昨日は智山伝法院の平成24年度受講講座初日で、昨年に続いてまた月に一度のオノボリサンが始まった。
第一回目は
「密厳院発露懺悔文(みつごんいんほつろさんげのもん)」
これは、新義真言宗の祖である覚鑁(かくばん)により著されたもの。
覚鑁が生きた平安後期は非常に不安定な時代で(平成と同じ!)、政治は腐敗し(今と同じ!)社会秩序はくずれ(同じ!同じ!)自然災害が度重なり(これも同じ。涙)人々は末法の世が来たと恐れおののいていた。
そして、あろうことか仏教界も荒んでおり、僧が僧兵となり仏塔や伽藍の破壊が繰り返された。
そのような時代に、高野山の伝法会を再興を志して入山したのが覚鑁。
覚鑁は、大伝法会を行うために大伝法院と密厳院を建立するなど精力的な活動をし、従う僧侶も増え、入山からたった4年で高野山の一大新勢力となった。
しかし、此処からが良くある話で(笑)そんな新勢力を面白く思わぬ旧精力・金剛峰寺方は、覚鑁を非難し批判し追放しようとする。
そして、大伝法院方と金剛峰寺方の軋轢がひどくなり、とうとう覚鑁は密厳院に籠もり約1500日に及ぶ無言三昧行に入り、自行内観に専一した。
その時に著したととされるのがこの密厳院懺悔文。
8年間に及ぶ大伝法院方と金剛峰寺方の確執の中で、僧侶による様々な悪行を目の当たりにし、それを懺悔する心で著したものとされる。
そこには、生きとし生ける者が犯してしまう悪行を私(覚鑁)が代わりに懺悔し、その報いを受けましょうぞ・・・と。
何て崇高な精神なんだ!
しかし、それだけに自分にゃ耳が痛い内容で、例えば
「屡しば忿恚を起こして忍辱ならず
多く懈怠を生じて精進ならず」
(よく怒りの心を起こして我慢することもなく、何時でも怠けてばかりでちっとも精進しません)
「遊戯笑語して徒らに年を送り
諂誑詐偽して空しく日を過ぐ」
(遊び戯れ、笑い話をして無駄に年を送り、他にへつらい欺き、空しく日を過ごしています)
これって、まんま自分やん!
つーか、そんな自分の不徳すら代わりに懺悔してくれるのだろうか、興教大師。
あれ・・・?
ひょっとして、自分、坊さんだった・・・?
あいや~!
代わりに懺悔する立場じゃん・・・
本山の密厳院の前ででも読んだんでしょうか?
豊山派では、長谷寺本堂での勤行の後、本堂の舞台から外に向かって大声で暗唱します!
そのシーンが「JR東海」のCMにもなったナムよ。
今迄カメ様が、崇高な和尚様とは知らずに御無礼仕りました
(だって、カメさんのブログ見てたらそんなん思えヘンもん)
カメ様の前では「ダルマさんが転んだ」は出来ませんネ・・・
大阪では「ダルマさんが転んだ」ではなくて「ボンさん(お坊さん)が屁をこいた」って言うんです
聴講しながら、ナムナムさんブログの「長谷の僧侶が高野山の方向かって唱える云々」を思い出しておりました。
JR東海の長谷寺のCMは、舞台にて般若心経を唱えるシーンしか知りませんが、密厳院発露懺悔文のバージョンもあるのでしょうか?
だとしたら、見てみたい・・・
ところで、覚鑁の何が凄いって、それは真言密教の中に浄土教を取り入れたことだと思うのです。
覚鑁著「五輪九字明秘密釈」には、大日如来と阿弥陀如来は一体であることが述べられているそうで、はてさて、何処をどのようにして大日如来と弥陀が一体化するのか?そのプロセス(?)が知りたいと思うのであります。
昨年までは一般人にも開かれた講義を聴いておりましたが、今年からは僧侶限定のものを聴いております。
今までは「聴いて自分に取り込む」だったのですが、今度は「聴いて伝える」なのですね。その点が大きな違いです。
僧侶と言っても僧籍に入っているだけですがね~
僧籍に入っていないと、本堂内陣には入る資格なし、梵字を書く資格なし、と寺の仕事をやるには不自由極まりないのですわ。
だから得度したようなもので。
俗名、坊さんの名前、書道の雅号と、名前を3つ持っておりますが、一番知れ渡っているのは何と「カメ」。
何だかなぁ・・・(沈
舞台に立って外に向かって柏手を打ち、土地の神々を拝した後(確か向かい側の山が何かのご神体)覚鑁上人のお堂に向かって懺悔文を唱えて、南無興教大師と三唱しています。
その前に大師堂に向かって南無大師遍照金剛だったですか。
心経も読んでたかな?
写真撮ってて良く聴いてなかったナム
m(_ _)m
それじゃ同じJR東海でも違うCMなのかも。
自分はyou-tubeでしか見ていないのですが、うましうるはし奈良の夏バージョンで、舞台から遠方の山に向かって(?)心経を唱える動画です。
そして、最後に出るは十一面観音の圧倒的なお姿!
それにしても、長谷の回りには見事なほどな~んにもありませんね~
良かった・・・祇園が近い智積院で(ホッ
しかし、上子カメは長谷寺のような山中にこもって行をやりたいのだそうです。
「行中に救急車の音が聞こえるなんて変!街のど真ん中は嫌だ!」
と言っております。
まー、以前なら
「それじゃ出流に行け」
と言えましたが、今はねぇ・・・(沈
いですねぇ、感激新た。
あれですね、あの太鼓・錫杖付きの心経は勤行のもので、それがそのまま舞台の映像に被さってる、ということですね。
それにしても、良いとこを撮ってます。
ところで、長谷寺といえば「高低差!」であります。修行僧はあそこを毎日何度も上り下り、ってことを考えると、豊山派にはフィジカル面では勝てませんな。
今年行った時に、何度も上り下りをしてきました。
私も二十歳のことには出流で鍛えてましたが・・・
知恩院は、参道がまっすぐ祇園に向かってますから(^o^)
良いですよねぇ・・・
突き抜けるような夏の青空、山々を彩る緑、そして長谷の舞台、読経する僧侶たち。
これだけでも長谷寺の魅力がビシバシと伝わるところに、最後に御出ましになられるご本尊・十一面観音菩薩の巨像!
長谷寺の十一面観音さま・・・あの眼がよろしいですね。
「観音は女性的で優しいだけの仏じゃないんだよ。時に天部の明王たちよりも厳しく恐ろしい仏にもなるんだよ」
と示されるような厳しき眼。
長谷寺は十一面悔過を行うのでしょうか?
あの十一面観音さまで悔過法を行ったら、間違いなく効力が現れそうな、そんな気がします。
あ~っ!
奈良、行きて~!
そうか・・・祇園は浄土宗僧侶御用達の浄土であったか(笑
まー、個人的に
「オレの浄土はDX東寺♪」
って僧侶も居るかも知れませんが(爆