旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

壹錢洋食

2011年12月19日 | カメ見聞録・国内編

祇園をそぞろ歩いていると、前方に見覚えアリアリのお店ハッケン!

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Bスポマニアなら知らない人は居ない、壹錢洋食だ!!!

「いや~、何だか強い力に導かれるがごとく来てしまったなぁ・・・」
と、軽く感激。
迷うことなく店に入った。

ところで、洋食と言ってもカニクリームコロッケやオムライスを出す洋食屋とは違う。

●店のHPより抜粋●
京都の祗園で今も愛していただいています壹錢洋食。そもそも壹錢洋食とは、大正から昭和の初めころ、駄菓子屋のおばさんたちがおダシ入の水で溶いた小麦粉を鉄板で焼いた上に、刻んだおネギなどを乗せてさらに焼き上げ、ソースをかけて、主には近所の子どもたちのおやつとして一銭で販売されていたものです。いわばお好み焼きの前身であり粉モノの元祖にあたるものですが、当時はソースをかければみんな洋食と考えられていた時代ですから、一銭で買える洋食すなわち「いっせんようしょく」と呼ばれ、多くのこどもたちに親しまれていました。当用漢字では一銭洋食となりますが当店では、名前とお店の雰囲気は温故の精神、お味とサービスは知新の精神で、誕生当時の「壹錢洋食」を伝統的な表記として用いさせていただいております。

ってなワケで、メニューはもんじゃ焼き以上お好み焼き未満なる粉もの、ただひとつのみ。

この壹錢洋食、昔は「お好み焼きが美味しい普通のお店」だったそうで、その頃からの客によると
「普通のお好み焼き屋が何であんな風になったのか・・・?」
と不思議でならないらしい(笑

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↑壹錢洋食の看板小僧、壹錢喰太郎
犬に追われてケツ丸出しの喰太郎(チ○コも丸見え!)の像(像かいっ!)には広大なる物語があって、その一場面がこの像(像なのかいっ!)なのだ。
ちなみに、店側によれば犬は紀州犬だって~(笑

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↑店内のいたるところにおさわりオッケーのホステスさんが。
向かいの壁に掛かるはお色気絵馬
壹錢洋食と言ったらお色気絵馬!ってくらい相当リキが入ってる。
お色気絵馬の真ん中には区内町御用達の木札が。

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↑もう、こんなんばっか!

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↑隅から隅までギャグが潜んでいる。

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↑運ばれて来たお好み焼き。
薄い皮の中に、味付けコンニャク、竹輪、九条ネギ、紅ショウガなどがふんだんに入り、それが味の濃いソースと絡み合って美味しかった。

「お好み焼きなら、パパッと出て来て、ササッと食べられるだろう」
と思っていたら、供されるまでに結構な時間が掛かった。
・・・で、退屈しのぎについついお色気絵馬を見てしまうのだけど、このエロさはちょっとハードかも知れない。
このカメがそう思うのだから、普通の女子は仰天しちゃうね、きっと。
何て言うのかな、昭和初期特有のジメッ・ネットリとしたエロで、穴の奥(!)まで見せながらもカラリとした平成エロとは異質。
見ていて気落ちするエロだと思ったよ。

・・・で、いたって普通のお好み焼き屋が、何でこんな変貌遂げたか?
それは、
「(お客さまが)焼き上がりを待つ間、花街らしい工夫を凝らした店内を見ながら楽しんでいただきたい」
なる店主の心遣いの表れだそうな。

ちなみに、子供連れの客はお色気絵馬から離れた席に案内されるらしい。
(^∇^) アハハ!


舞妓はん

2011年12月18日 | カメ見聞録・国内編

絶品ちりめん山椒のはりまは南座の直ぐ近く。

なので、はりまを出てから祇園をそぞろ歩き。
大通りからわき道を見ると、何やら人だかりが。

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良く言えば好奇心旺盛、普通に言って野次馬根性丸出しの自分、早速人だかりに混ざってみた。

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場所は、あの一力前。
・・・ってことは、撮影や有名タレントじゃなく舞妓さん目当て?
と思ったら、どうやらその通りだった。

12月13日は事始めと言って、花街や室町などの旧家では、この日から正月の準備を始め、芸舞妓はお師匠さんやお世話になった茶屋などに挨拶に出掛けるのだそう。

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そう言やホテルの朝食に大根炊きが付いて来たけど、この大根炊きも、京都の今の時期ならではの風物詩だったのねぇ。

それにしても、昼日中から正装の舞妓さんを見られるなんてラッキー☆
こんな特別な日でもなきゃ、観光客の俄か舞妓しか見られないものなぁ・・・

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お!
出て来た♪出て来た♪

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うっひゃ~!何て美しいのでしょ!
しかも、肩上げの着物、だらりの帯、ぽっくりが似合う可憐さ!

ほんの一瞬だったけど、目の保養になりました。
それにしても、一力などの茶屋に一度で良いから上がってみたひ・・・


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ところで、京都にも銀の塔があったのね~。
知らなかった。
恐らく、歌舞伎座裏にある店の2号店だと思われ。
歌舞伎役者さんにファンが多いこの店、自分はグラタンが美味しいと思う。

西の花街~南座~銀の塔
東の花街~歌舞伎座~銀の塔
何やら面白い。


はれまのちりめん山椒

2011年12月17日 | カメ見聞録・国内編

先週は京都泊だったので、京都のおみやげを買って来た。

甘いものには興味がないから、お漬物とちりめん山椒を。


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↑大安や西利はとうに卒業で、一番好きな味はこのニシダヤ
総本山智積院御用達の店で、どちらかと言うと関東人向けの味かも。

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↑ちりめん山椒のはれま

親交ある寺のご住職が、京都に行く度に買って来てくださるちりめん山椒がとても美味しくてですね、店名を教えてもらって訪ねてみた。

ホテルの方の話だと、老舗料亭に卸すのがメインで小売りには力を入れていないとか。
その通りと言うか、店内は商売っ気なく、店の人の応対も素っ気なかった。

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しかし、例え素っ気なくされようとも買ってしまえばコチラのもの(笑
味の濃いちりめん山椒が多い中、これは控え目な味付け。
甘みなし、上質なじゃこと山椒の風味が際立っており、これだけでごはん3合はいけるな。うんうん

そして、お世話になった方や親しい方にお土産でお上げしたら、うち一人からこのようなメールが・・・

「シラスの佃煮、ありがとう!」

・・・・・・・。
・・・・・・・。

う・・うん。
まぁ・・そうだけど。


善女の善光寺参り

2011年10月15日 | カメ見聞録・国内編

牛に轢かれてあの世参り。

いやいや、
牛に引かれて善光寺参り。

何でも、昔のババアが洗濯物をついウッカリと牛の角に掛けてしまったら、牛が走り出し、「洗濯物を返せ~!」と追って行ったらそこは善光寺。
ババアは善光寺参りをして仏心を得た、と言うお話。

そんなわけで、昨日は寺庭婦人会研修旅行で、善光寺・山門特別拝観と軽井沢の旅に出掛けた。

参加者13名のバス旅行。
7時30分に出発し、途中で休憩をはさみながら10時30分には善光寺に着いた。


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↑日本忠霊殿

戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦争で亡くなった英霊を祀る仏式霊廟。
祀られる数は約240万柱。
靖国神社の寺バージョンと言ったところか。

実は、昼食をいただく予定になっている宿坊の職員が善光寺案内ガイドを務めてくれたのだが、このガイドとやらが、もろに客を提携業者に連れて行くことでバックマージンを取ると言った類。
善光寺とあまり関係のないところにアチコチ引き回され、時間のロスが大きくて辟易してしまった。
しょっぱなから、この日本忠霊殿内の奥座敷に案内され、善光寺御本尊についてのいい加減な説明(実にいい加減だった!)の後、おもむろに特別祈祷申し込み用紙を渡され、
「特別祈祷料・お一人さま3000円以上でお願いします」
ヾ(ーー )オイオイ・・
寺の人間にそれをやるのは禁じ手だろーが!
「寺の人間として目を逸らせたい宗教の集金マシーン的部分を、こうも露骨に出されたんじゃなぁ」
・・・と、着いて直ぐにウンザリ気分↓↓↓

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↑忠霊殿前の獅子

とても凛々しいお姿をしている。
此処の獅子は「阿」だけ。それは、戦地に命を散らせた兵士が帰らぬことから「吽」の獅子を造らなかったそうで。

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↑日本忠霊殿から本堂に向かう

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↑途中に経蔵があった。
古くて立派な経蔵!

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↑おっと!改修工事中かよぉ~!
善光寺と言えばこのアングルなのに、白いテントが残念だぁ~!

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↑斜め横から見た本堂

善光寺本堂は、東大寺大仏殿、三十三間堂と共に日本を代表する巨大木造建築。
何度もの火災を経た後で現存するのは、1707年(宝永4年)に5年の歳月を費やして再建されたもの。

ところで、善光寺は、インド~百済を経て、552年(欽明13年)に日本に渡られた阿弥陀三尊を本田善光(よしみつ)氏が信州の地に安置されたのが始まりと言われる。
善光さんが開山した寺から善光寺と名が付いたと言うのだけど、どうも善光寺の寺名にちなんで後から作られた説話っぽい。

ただ、ご本尊の阿弥陀三尊が古代・飛鳥時代のものであるのは真実っぽい。
しかし、お前立(本尊)であるにも関わらず如何にも有難く開帳するのは善光寺側だけで、仏像研究者にはあまり重要視されていない。
絶対的秘仏とされているが、お厨子の中は実は空っぽと推論する研究者も少なくないのだ。

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↑本堂前の獅子の香炉

先の日本忠霊殿前の獅子と同じ凛々しいお姿をしてますなぁ。

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↑あはは!絵馬ならぬクマ!
しかも、リラックマ!
カワイイ~

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↑さて、いよいよ本堂内部に・・・

・・・で、3000円を志納した特別祈祷とやらは、内陣に案内され、簡単に祈祷文を読み上げ、般若心経を1回唱えただけだった。
その間、内陣奥の龍の刺繍の幕が上がり、その先の須弥壇上に置かれた厨子が拝める、と言った具合。
勿論、厨子の中にはご本尊が安置されている。

自分達を案内するガイドと同種のガイドが、次から次へと団体客を内陣に引き入れては簡素な特別祈祷とやらが成され、その度に厨子を覆う幕が上がり下がりを繰り返す。
上げ下げするのは、勿論僧侶で、その光景たるや俗の極み。
マジで背筋が凍りついた。

毎度、お下劣な例えで申し訳ないが、それはまるで小向美奈子がチラッと股を開くことで大枚を稼ぐのと何ら変わりない。

先にも言ったが、仏像研究者の多くが
「善光寺ご本尊はない!」
と言うのも、こんな寺の体質に起因するのかも知れぬ。

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↑三門

1750年(寛延3年)に建立された門。2002年から2007年までの間、大規模な修復工事が成され、その際に耐震補強もされたことで、2008年より約40年に渡って中断されていた三門二階への登楼参拝が再開された。
しかし、通年拝観ではなく、年に一度、期間を限定した特別拝観。

それなのに・・・
ガイドが三門をスルーして提携の土産屋に急ごうとするんだよ。
当然、強く制止したぜ!
「この旅行の目玉は三門特別拝観ですよ!」
すると、時間が押しているとか何とか言い訳するので、
「昼食や自由時間を削ってでも三門を拝観させて下さい!」
とゴリ押しし、無事に三門を拝観することが出来た。
ヤレヤレ・・

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↑三門に掛かる鳩字の額

善光寺の文字には5羽の鳩が隠れており、善は牛の顔に似せているんだって。

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↑三門から見た門前町の様子

二階には文殊菩薩像と四天王像が安置されており、江戸時代の作。
文殊菩薩がお祀りされていることから、この三門は知恵の門とも呼ばれているそう。
お像に関しては・・・
うん、まぁ、独自の解釈で勝手にやっちゃってるのが江戸らしいとでも言おうか。

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↑三門前の地蔵菩薩

良いお姿だねぇ・・・

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↑玉照院宿坊

本日の昼食場所。

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↑何と、イタリアン懐石!

美味しゅうございました。合掌

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↑食事の後は門前町をぶらり・・・

老舗味噌店すや亀にて味噌ソフトを食べた。 名前に惹かれた

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↑結構イケる♪

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↑回向柱

7年に1度のお前立本尊ご開帳の時に本堂前に建てられる高さ10mの角塔婆。
ご開帳が終わると、此処に納められて歴代の回向柱と共に徐々に土に還って行くのだそう。

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↑このお堂には、爪彫如来像が納められている。

親鸞聖人が爪で彫ったと言われ、眼病に効果ありだそう。

爪彫り伝説・・・良くある話ね。
○○聖の布教手段だったと思われ。

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↑買って来たお土産~♪


あのさ、善光寺って地方寺院ならではの素朴さに満ちているのだと、勝手に思い込んでいた。
ところが、それはトンだ間違いで、絶対的秘仏のご本尊を実に上手く駆使しては参拝人の現世利益願望を満たし、金を落とさせるのであった。
仏像フリークの自分はアチコチの寺院を拝観して来、その経験上言わせてもらうならば、こんなに俗っぽい品のない寺は、少なくとも他にはなかった。
(新薬師寺はちょっと危ない。笑)

案内ガイドも悪かったが、こんなガイドの出入りを許していることからして寺の体質が窺い知れると言うものだ。

創建から一宗一派にこだわることなく、女人禁制にすることもなく最初から庶民の女性も救い続けて来た善光寺。
(「牛に引かれて・・」は、その辺りに由来するのだろう)
その寺の有り難さを、寺の方で勘違いしちゃってる。

悪いけど、ガッカリだ。


初のツーリング体験

2011年08月08日 | カメ見聞録・国内編

前々から
「一度はやってみたいツーリング♪」
と思っていた。
そしたら、
「今度ツーリングをやるのに、カメラマンが欲しいんだって」
と、話が持ち込まれた。
これはチャンス到来!とばかりに喰いついた。

しかも、目的地は福島県の大内宿・・・前々から行ってみたかった場所。


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↑朝6時、セブンイレブン駐車場に集合。

うわ~!
アメリカンタイプのバイクがいっぱい!
圧巻!
ハーレーが多い・・・しかも、どれもがカスタマイズされ、俺だけのマシンっぷり全開

・・・で、22歳の可愛いギャルが一眼レフ持参で参加。
これにてカメのお役は御免となり、肩の荷が降りてお気楽参加となった。
ひゃっほぅ♪

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↑出発してから最初の休憩地は、あの秘宝館
この時点で、既に興奮MAX。

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↑次なる休憩地は、栃木県から福島県に入って直ぐの道の駅田島

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↑仮面ライダーならぬカメライダー参上!

しかし、此処道の駅では恐ろしい恒例イベントが待っていた。
それはジャンケン大会
負けた1人が、本日参加27名全員にジュースをおごるのだ。
コワ・・・

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↑恐怖のジャンケン大会の幕開け。

ちなみにカメは、初戦突破(ホッ

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↑上位(?)2名による決勝戦(?)勝敗の決定的瞬間!

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「それではカンパーイ♪
Kさん、ごちそうさまで~す♪」

・・・しかし、150円×27本だよ(汗
勝利者にならなくて良かった。

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↑次の休憩地で。
このマシン、ハーレー・ファンなら堪らないだろうなぁ。

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↑此処から大内宿までノンストップ。

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↑着いた!着いた!

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↑Oh!茅葺屋根!

<大内宿概要>
南会津の山中にあり、全長約450メートルの往還の両側に、道に妻を向けた寄棟造の民家が建ち並ぶ。江戸時代には「半農半宿」の宿場であったが、現在でもその雰囲気をよく残し、田園の中の旧街道沿いに茅葺き民家の街割りが整然と並ぶ。
大内宿本陣跡には、下郷町町並み展示館がある。民宿や土産物屋、蕎麦屋などが多数立ち並ぶ。特に蕎麦に関しては、高遠そばの名で知られており、箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習がある。
(ウィキより引用)

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↑しっかし、夏らしい日だなぁ~

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↑おっと!レトロな消火栓、見っけ!

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↑真夏の空と鳥居

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↑鳥居の先には・・・何やらトトロの世界が・・・

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↑鳥居の横には庚申さまなどの石塔、石仏が並んでいた。
あ~、こ~ゆう風景、イイな~

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↑そして大内宿

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↑宿内に入って直ぐのところで、引き込みの沢水で顔を洗うメンバー。
長道中の疲れもこれでスッキリ。
すごーく冷たい水で、夏なのに10秒と手を浸けていられないほど。

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↑これから、大内宿名物高遠そばを。

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↑隣の男子が注文した水そば大盛り。
そば猪口に入っているのは大根おろしの汁。
そこに濃縮タレを入れて食べる。

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↑カメが注文した高遠そば大盛り(大盛りかいっ!
箸の代わりにネギで食べるのが大内宿流?
で、薬味としてネギをかじる。
それにしても、ネギ一本とは大胆だなぁ。

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↑宿の真ん中にも神社がある。
信仰篤い風景が美しい。

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↑巨大わらじ型せんべいに魅かれて入ってみると・・・

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↑何と手焼きのせんべいが売られていた。

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↑自分の顔より大きなぜんべいを完食する勢い。
ついさっき、大盛りそばを食べたばかりなのに・・・(汗

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↑良阿養仙居士?お墓?

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↑水神さま
小さな祠だけど、除草され、きちんとお祀りされている。

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↑浄土宗正法寺
閉められた本堂と庫裡がないことから無住の寺だと思われ。

本堂扉には、児童虐待防止を訴えるポスターが4枚も貼られていた。
浄土宗と言えば子育て呑龍さま
戦国~江戸時代の僧・呑龍上人は、貧しい子供を手厚く保護した僧侶で、また親の病気を治すために禁制の鶴を殺した少年を庇って逃走、後に赦免となった逸話も有名。
それなので、浄土宗は宗派を挙げて幼児教育や児童虐待防止問題に取り組んでいる。
自分の友達に浄土宗寺院の嫁さんが居るが、彼女も本山で幼児教室インストラクターの養成講座を経て、寺坊で浄土宗公認の幼児教室を開いている。

おっと!寺のことになると、ついつい熱が入ってしまうな(汗

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↑正法寺歴代住職の墓

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↑キリリと冷えた会津磐梯サイダーを飲んでひと休み。

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↑惚れ惚れするような夏空!

あのさぁ・・・
お隣福島県に来ると、何故だか晴れ晴れとした気持ちになるんだよね。
宮城に行っても岩手に行っても、そんな気持ちにはならないのに、福島県に来ると俄然空を見上げる回数が多くなる。
何故だろう・・・?
智恵子が入るのかな・・・?(笑
それだけに、原発事故によってこの大らかな大地が汚れてしまったことに深い哀しみを感じる。
東電よ、全力を挙げて土壌汚染を除去してくれ!

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↑夏だねぇ・・・


帰りは夕立に遭いながらも何とか帰還。

80年代LAメタルバンドさながらの人種に囲まれながらの宿場めぐりはオツなものだった。
80年代LAメタルって?
MotleyCrue
WASP
TwistedSister
あたりを代表とするムーブメントで、MTVでもガンガン流れていた(懐かしい・・
そして、MVには必ずと言って良いほどアメリカンスタイルのバイクに乗ってドガドガ走る(アメリカンなのにドガ?笑)シーンが登場する。

そうそう、バイクに跨る画像があったけど、カメは原付すら乗れましぇん(汗
今は、バイクよりも自分の足で走ることに夢中だな~
・・・って、結局はソコに着地かいっ!


富岡製糸工場と高崎観音

2011年07月04日 | カメ見聞録・国内編

一昨日はオフ会ならぬ親子会。
子カメ達と一緒に、赤レンガ建造物好きにはたまらない富岡製糸工場に行って来た。

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↑正門前

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↑製品を検査する人の宿舎「検査人館」を一部改造した受付。
入場料は、大人500円、学生250円。

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↑検査人館内部
白が基調の涼しげな造り。
ああ・・中に入りたい。

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↑向かって直ぐの東繭倉庫のキーストーン
明治五年・・・明治五年でこの建造物!
その頃はセメントがなかったので、日本古来の漆喰でレンガを積み上げて行った。
フランス積。

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↑この東繭館から、ガイドさんの案内に従って見学する。

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↑女工館
明治6年、フランスから招いた女性技術者の宿舎として建てられた。
コロニアル様式。
格子状に組まれた天井が、さわやかな風を誘うようだ。

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↑女工館のガラス
ガラスの技術がなかった当時、すべてフランスから輸入された。

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↑繰糸場
明治5年の建設時のまま残されている。

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↑繰糸場の天井
通し柱と三角に組まれた柱とで屋根の重さを分散させるトラス構造。
このため、屋内に柱がなく作業効率を上げることが出来た。
採光のためのガラス窓がふんだんに用いられ、大きな建物であるにも関わらず非常に明るい。

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↑昭和62年まで操業していた機械
当初の機械は別の博物館に展示されている。

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↑「目標粒付9.1」と言うのは、約9個の繭から一本の糸を紡ぐってことらしい。

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↑何やら可愛い赤いバルブ

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↑繭から糸先を手繰り寄せる機械

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↑糸先を見つけられた繭は、このバゲットに入れられて各機械に落とされて行く。

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↑繰糸場と東繭倉庫

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↑製糸上裏手には川が流れている。
この清流こそが、この地に官営の製糸場を招いた。

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↑病室
南向きの開放的な病室で、
「此処に入院してみたい!」
と、思わず三人で叫んでしまった。

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↑東繭倉庫にある計量器

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↑乾燥場
乾燥とは熱風を当てて蛹を殺すこと。
買い入れられた繭は、先ず此処で処理された。

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↑東繭倉庫と相対して建つ西繭倉庫
それにしても壮大だなぁ!
東京国立博物館本館みたい!

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↑煙突
現存するのは、昭和14年に建造された鉄筋コンクリートのもの。
しかし、当初の煙突は4.4メートルのレンガ積の基礎に、36メートルの鉄筒を積んだものだった。
当時にして40メートルほどの高さだったのは、煤煙による生糸の汚れ防止と従業員や周辺住民への配慮だったと言われる。

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↑鉄サビの赤と植物の緑
こんな無機質なところからも草は生える。

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↑鉄水槽水溜め
当初はレンガで造られていたが、明治8年、造船の横浜製作所が建造した。
鉄板の接合にはリベット留めが用いられている。

・・・此処で思い出してしまった、
そう遠くない昔に、リベット留めのアエロフロート機に乗った時の恐怖を。
マジでボロボロだった。

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↑モーター兄弟♪

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↑古い古いショベルカー
近くに寄りたいが、「関係者以外立ち入り禁止」の柵に阻まれて行けない。
警備員もやたらと多いし・・(汗

そんなこんなで、充実の見学を終え富岡製糸工場を後にした。

そうそう、東繭倉庫のところで
「富岡市役所の者ですが、モデルになっていただけませんか」
と声を掛けられた。
「女工の恰好をした職員から案内パンフレットを受け取るところを撮らせて欲しい」と。
持ち前の好奇心でヒョイヒョイ着いて行って(アホ!)3人のカメラマンに撮られたから、何かに載るやも知れぬ。

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↑折角だからと、富岡銘菓を買おうと和菓子屋さんに入った。
そこで、レトロな販促冷蔵庫発見!

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↑先の和菓子屋さんのオススメで向かったのが、橘源氏庵。
シルク入りうどんが美味しいって。

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↑うどんがツヤツヤ・シコシコで美味しかった。


お昼ごはんを食べても時間が余っていたので、近くの高崎観音にお参りすることにした。

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↑関東八十八ヶ所霊場第一番。
ちなみに、ウチは二十一番。

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↑出ました!白衣観音!

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↑観音ビーム、発射~!

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↑慈眼院本堂

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↑光音堂
此処の金色の観音さまは縁結び観音だそうな。

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↑金ピカの観音さまよりご利益ありそうな地蔵さま。


そんなこんなでカメ親子らしい一日を満喫した。


そう言や、製糸工場と言うと「ああ!野麦峠!」や「女工哀史」などが先に出て、つい「過酷な労働を課せられ可哀想な女工さん」と頭に浮かぶが、それは民営製糸工場の話で、官営の富岡製糸場では女工さんの待遇はとても良かった。
明治初期にしてこの近代化された建物内で働けるのは、解体された藩士の子女であり、有能な女性ばかりだった。
当時にして最先端の建物、工機、そしてフランス人技師、エリート女工・・・明治26年に三井家に払い下げられるまでは、華やかな光景が繰り広げられていたことだろうと想像する。


そうだ東寺、行こう!

2011年03月04日 | カメ見聞録・国内編

モンキー・ロック君が京都のお土産をくれた。
偶然にもカメ母子とダブって京都入りしていたらしい。

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「何処に行ったの?」
と訊いたら、
「チャリで二条城や京都御所などを巡って来ました」
と・・・

「自力で巡ったんだ~凄いね~。でもさ、京都の町の呼び名は独特で迷わなかった?」
「そうっすね。俺、東寺を「ひがしでら」かと思ったら「とうじ」って読むんすね」
「あ!東寺にも行ったの?」
「はい、東寺は東寺でもDX東寺ですけど」

DX東寺!!
キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!

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彼の話では、ダンスが下手で田舎臭くて、とても浅草ロック座や歌舞伎町界隈劇場の比じゃないそうで・・・
そうか、例えストリップと言えども踊り子と呼ばれるからには、踊りの精進もせねばならぬ・・か。

でもさ、DX東寺って京都で一番の劇場なんだよね。
ずーっと昔に興味本位で見に行ったことがあるよ(笑

ところで、東寺と言えば、
JR東海 2011春のキャンペーンが東寺の桜ですな。

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↑CMと同じアングルで撮ってみますた。
割りと小振りの木だった。

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不二桜と言うのだそうで・・・

それにしても、
真言密教の道場として・・・
桜の名所として・・・
また大衆芸能の場(笑)として・・・
と、色々な顔を持つ東寺。

あー!また行きたくなっちゃったー!


そうだ京都、行こう

2011年02月09日 | カメ見聞録・国内編

子カメ達の受験も終わったことだし、この辺でひと息入れましょ♪
と、今月末に京都に行くことにした。

題して
「合格おめでとう&
お母さんお疲れさま ツアー」

JR東海「そうだ京都、行こう」のCMを見る度に
「京都!行きた~~~い!」
と叫びつつ畳の上でのた打ち回る子カメ達は大喜び。

そして、今回はお祝いと言うことで・・・
京都ブライトンホテル宿泊
のぞみグリーン席
「百足屋」で懐石料理
と、張り込みましたぜよ!

うひょひょ・・楽しみ~♪
寒いけど、元気に行って来よっ♪


究極の機能美

2011年01月03日 | カメ見聞録・国内編

「一年前の昨日」をカーボン紙で写したように同じ行動を取った昨日だった。

鹿島臨海コンビナートに行って、
那珂湊おさかな市場に行って、
那珂湊駅に行って・・・と。

でも、どれもこれもが凄く楽しかった♪
特に鹿島の巨大工場群に、究極の機能美を感じまくり~♪
巨大工場、萌えるわ~♪

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↑それにしても、波が高かった!
車が海水シャワーを浴びるんじゃないかと気が気じゃなかったよ~
・・・と、そこで思い出した。
頭から海水が降って来ると言えば軍艦島!
海に浮かぶ小さな島では、高波の折に海水の集中豪雨を浴びたそうで、その時の屋根付き避難場所が設けられていたっけ。

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↑そして、鹿島の次に向かったのが那珂湊「おさかな市場」
タラバ蟹8キロを買って、ウキウキ気分♪
森田水産の回転寿司も美味しかったし♪

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↑次に向かったのは、ひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅。
何度来ても、心から「ホッ♪」とする佇まいの駅舎。

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↑駅構内。
残念ながら、駅猫おさむには会えず終い。

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↑この赤レンガ倉庫にもグッと来る。
この倉庫は大正時代の建造物だと記憶しているけど、赤レンガ建造物の代表格は明治期のものが殆ど。
明治時代の人々にとって、赤レンガで建てられた電力施設や工場・倉庫の類は、現代の自分が巨大工場に感じるような究極の機能美の対象だったよね・・きっと。
時代を超えた究極の機能美?
うわ!何て素敵なのだろう!!!