民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

辺見庸著『1★9★3★7』読了

2017-04-11 15:53:33 | 歴史

辺見は中国戦線で戦い、復員して新聞記者をした父と父の世代に、父の生前には聞くことができなかった問、「あなたは中国で何をしたのか」を執拗に問う。そしてその問いは自分がその場にいたら、何をしたか、捕虜を銃剣で刺し殺すことに加担したか、しぶしぶ従わざるを得なかったか、拒否したかなどの問いを、自分自身にも突きつける。「すべてが敵の悪、戦争のせいだと言い切れるのだったら、どんなにいいことだろう」 海軍の志願兵として一兵卒としての戦争に行った父に、どうして負けるとわかっているような戦争に好んで行ったのか、私も問うた。その答えは、あの頃は戦争に行くのが当たり前で、誰も負けるなんて思っていなかった、そういう時代だったのだという答えだった。戦争は避けることができない台風のようにやってきて過ぎ去っていったというのである。そして、戦争中何をしたのか、戦地でした残虐行為は決して語らず大部分の元兵士は既に土に還ってしまった。子どものころ酒に酔って好んで戦争の話をする大人の男はいた、しかし無抵抗な市民を殺したなどと話す大人はいなかった。酔っぱらって目を赤くした大人の男は、何を繕って話していたのか、子どもだった私には定かな記憶がない。民俗調査に行って、1度だけ見たくない、聞きたくない話をきかされたことがある。話者のおじいさんが、古びて丸まった布を持ってきて見せた。何かといえば、中国で殺した死体から記念にもぎ取ってきたという。そのおじいさんは、地域で役職をしたりして信頼される人であった。やさしい好々爺が戦地では人を殺して自慢する。戦争とはそうしたものなのだ。

 こうなったことの責任をはたしてどうやってとるのかーというのは、堀田(善衛)じしんが、眼前の天皇にたいしおもったのだ。けれども、あつまってきたひとびとは天皇を責めるどころか、土下座して涙をながし、まことにもうしわけありませんと、ヒロヒトにわびたというのだ。天皇のむなぐらをつかみ「おまえ、この責任をとれ!ここで土下座しろ!」とさけんだ者は、憲兵らが警護していたからとはいえ、いうまでもないことに、皆無だった。いうまでもなく、と書いたけれど、これは本質的に、いうまでもなく、ではない。いうまでもなく、というのは、天皇制の超論理的病性に骨がらみ冒されているニッポンジンのがわからのジョーシキなのであり、ニッポン以外の旧枢軸国のどこでもつうようはしない、非常識な「いうまでもなく」なのだ。責任は原因をこしらえたがわではなく、惨禍をこうむったがわにある、という、とんでもない逆転と倒錯の光景が、ともあれ、作家の目のまえでごく自然に生じた。

 私は言われるままに(忖度して)動いただけだと下はいい、上は下からあがったものを認めただけだという。では裁可した責任はといえば「その場の空気」だという。神のみぞ知るその場の雰囲気にすべてを押し付け、最終責任は誰もとろうとしない。敗戦以来連綿と繰り返されてきたこの国の組織の構図は繰り返されている。もう幾らなんでも同じことを繰り返してはならないが、このことに気付いて自覚的に行動できる人は残念ながら少ない。