民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

避難指示解除と報道の姿勢

2017-03-11 09:08:58 | 政治

今月末で原発避難指示が出ている飯館村など、多くの地域でそれが解除されるといいます。生活の場から放射能汚染がなくなり、以前の生活の場に復帰できるなら、こんなうれしいことはありません。除染が終わり、生活の復興が可能になり、補助金がなくなる。これが政府の描いたシナリオです。この件について、どんな報道がなされているか書きます。

最近の私のニュースの見方は、9時からNHKのニュースを見て気になるニュースは、NHKニュースが終わってから始まるテレビ朝日のニュースセンターで再チェックするという見方をしています。そして時にはBSフジのプライムニュースもチェックするようにしています。そうすると、同じ出来事でも報道の姿勢が異なることがよくわかる時があります。おとといの原発避難解除の報道でもそれがありました。NHKでは、待ち望んだ解除がついに実現して、みんなが故郷に帰りたがっている。故郷飯館で何としても酪農を再開する、再開しているといった住民の声を拾っていました。要するに、政府の方針に沿った報道の姿勢でした。本当に除染は済んだのか。生活圏から放射能はなくなったのだろうか。つまり、安全だといっていいのか、という疑問を私はもちました。続いてみたニュースステーションでは、驚愕の事実を報道していました。全国での放射能汚染の上限は年間1ミリシーベルトなのに、安全だと言って避難指示が解除された地域は、年間20ミリシーベルトに設定されているというのです。他の地域の20倍に許容限度を設定しておいて、除染が完了したという。基準値を上げればいくらでも安全だといえます。飯館の区長さんはまずこのことに怒っていました。そして、ここへ帰ってきて酪農しようとする人は、まず100%いないだろうともいってました。NHKでは風評被害といいましたが、屋敷の中でさえホットスポットがあり、周囲の山や空き地は汚染されたままなのに、そこで育てた家畜が安全だとはとても言えませんし、そんな場所で好んで子育てをしようとは思えません。これからは、自分の勝手で故郷に戻らないだけだから、自己責任で生活を再建しなさい、ということなのでしょうが、何で安全だといえるのでしょうか。山から流れる水、吹いてくる風、舞い上がる土ほこり、野生動物、山菜きのこ、すべて汚染されています。それでも故郷に帰るとは、余生を過ごす老人ならいえますが、これから記憶を積み重ね将来展望を描いていくという若者や子どもは、新しい土地を故郷と定めて暮らしを構築しようと当然思います。故郷を思う気持ちは尊いものですが、触れることのできない風景ならば、テレビで見るのと同じです。戻りたいけど戻れない、戻ってけれど不安である、そうした住民の葛藤をニュースセンターでは取り上げていました。

翌日の昨日のNHKラジオでは、福島から遠く離れて避難した住民の声を落合恵子が紹介していました。とても安心して帰れる状況ではないと。同じNHKでも、テレビとラジオではかなりニュアンスが異なっていました。生徒に教えるのは難しく、報道によるニュースの違いを授業で取り上げることはありませんでしたが、こんなにも違うと何とか工夫してやればよかったと今にして思います。そして、多くの報道があふれる今だからこそ、真っ当なニュースを見極める目を子どもたちに養うことが必要です。


愛子さんの憂鬱

2017-03-09 15:26:38 | 民俗学

愛子さんとは、もちろん天皇家の愛子さんです。最近の写真を見ると、拒食症といっていいやせ方です。思春期を迎えて、母の悩みにシンクロし、あるいは悩みが増幅し心を病んでいるのでしょう。本当に母子ともに可哀そうです。将来展望を全く描けないということは、人から生きる希望を奪ってしまいます。悩み深き二人を見ていると、愛子さんこそ時期天皇にふさわしいのではないかと思うのです。

前にも書きましたが、『折口信夫』を今読んでいますが、折口の天皇論というか安藤礼二の折口論の核心は「天皇論」のあり、天皇はミコトモチ=神の言葉を保持する人、ナカツスメラミコト=人と神とを仲介する人、つまりは神に憑かれる人なのです。だから男系の長男なら誰でも天皇になれたわけではありません。神の声を聞くことができる事が、原天皇の資質であったはずです。これは折口の天皇観であるわけですが、沖縄に行ってきて私も強くそう思います。

江戸末期、明治の初期、社会的には下層で社会的には周縁におかれたおばあさん達が、苦しい暮らしの中で神がかりし、新宗教の教祖となります。現実生活の中で追いつめられることで、ある面逃避として神の世界に入るといってもいいと思います。東北のイタコは初潮前にお師匠さんについて厳しい修行を強いられる中で、神がかって一人前となりました。苦しい者にこそ神はその姿を現すのです。今、雅子さんと愛子さんは、人であるかどうかに苦しんでいます。昔なら、生活苦や女性なるが故の男尊女卑の苦悩がありましたが、愛子さんの苦しみは人権を主張できない、国民と認められない苦しみです。苦しむ人にこそ神は姿を現すとすれば、天皇家で一番神に近いのは雅子さんと愛子さんですから、愛子さんこそが天皇にふさわしいと思うのです。いっそ早く神がかってしまえばいいのです。神の声を聴くことこそが、天皇の使命なのですから。


不気味な秘密結社

2017-03-08 16:36:16 | 政治

小説の世界では、欧米の大企業の社長や富裕層が秘密結社を通じて闇の部分で繋がっており、不都合な真実があれば闇から闇へと葬ってしまうとされている。フリーメーソンなどである。マフィアも怖いが、政治や経済の指導者層が秘密結社を通じて結びついているとしたら、こんな怖い話はない。森友学園の話で、不可解な出来事が次々と明らかになるのに、鴻池氏を除けば政治家の疑惑がさっぱり話題にならないのは不気味です。皆というか知っている人はたくさんいるのに、みんなカーテンの向こうにいる人々だから、こちら側からはさっぱり見えないのではないでしょうか。カーテンの向こう側にいて群れているのは、「日本会議」の人々ではないかと思うのです。籠池理事長は大阪の日本会議の有力メンバーだといいますし、大阪を地盤とする政治家で日本会議に属する人も多いはずです。日本会議つながりで会っているはずで、「会ったこともない」などというのは(公的な場では)という留保条件付きの面談ではないかと思うのです。だとすれば、教育のしくみ、国の仕組みを明治時代に戻そうと考える一部の人々の秘密結社によって、既にこの国の政治は動かされ始めているということになります。森友学園の問題が明らかにしたのは、単に国有地の不正売買の問題ではなく、これまで表立って政治の場には現れることがなく、仲良しグループの勉強会のように思われていた「日本会議」が、いよいよ一般の人々をとりこみ牙を現し始めたということです。日本会議という秘密結社に属するグループは何をしても特権的に許されるというおかしな風潮が、政界あるいは財界に広がりつつあるとしたら、不気味です。籠池理事長との日本会議つながりの政治家を、マスコミはもっと徹底して取材すべきです。世の中にあたりさわりのない不倫騒動では大きく騒ぐ週刊誌が、政治がらみになるとさっぱりです。日本のマスコミは、芸能ネタしかかけないのでしょうか。そこへいくと大統領とでも戦うアメリカのメディアはすごいです。


変わらぬ読書傾向

2017-03-06 17:18:58 | 民俗学
県庁に勤めていたとき、佐久のT先生とたまたま下宿が一緒でした。先生は近代教育史が専門でしたが、当時ブームだった民俗学にも、読者として興味をもっていました。赤坂憲夫や網野の本について、熱く語り合いました。下宿ですから、時間はたっぷりありました。随分親しくお付き合いさせていただきました。といっても20歳近く年上です。退職されてから、あまりお会いする機会もなかったのですが、2年ばかり前にお宅を訪ねて、ゆっくり泊まりこみで互いの読書の話をしました。その時、原武史と安藤礼二が話題になりました。
2日ほど前、佐久の図書館に行った帰りに、先生を訪ねました。持参したのは、いま読みかけの『折口信夫』。こいつを枕に話をしよう。お宅に座ってやおら取りだすと、何、今俺も読んでるよ、というではありませんか。そこから派生した、出雲という思想、国家神道とは何か、も最近読み直したといいます。なんのことはない、この2ケ月ばかり、同じ本を読んでいたのです。それからは、神道やら出雲の話を熱く語り合いました。

終活

2017-03-01 11:45:36 | その他

これまでは多少は自分のことでもあるとは思いましたが、研究の対象であった終活について、真剣に考えるようになりました。もちろん妻の病気がきっかけですが、自分もあと一か月ばかりで65となりますので、先が短くなったと感ずるのです。自分の思考と体力が思うようになるうちに、始末をつけておかなければならないと思うのです。

とはいえ、具体的何をどうしたらいいのか、考えていたら時間がたってしまいます。墓のこと、葬儀のこと、身辺の整理のこと、不自由になった時の生活の場のこと。何から手をつければいいのやら、困ってしまいます。家という建築物がこれから先も保持されるものと信じ、身辺の始末に困ってきたら子どもに頼ればよいと思っていられた頃は、経済的には豊かではなかったにしても、今ほどの老後への不安は感じなかったかもしれません。また、現代でも不安は感じないで年老いていく人もいます。しかし、大部分の年寄りは子どもに迷惑はかけたくない。できるなら自分の最後は自分で決めたいと思っているのではないでしょうか。

優先順位からして何から整理したらよいのか。細々とした身辺の整理でしょうか。まとめてそっくり捨ててもらえばいいといっても、それにも手間がかかります。物をとにかく少なくすることでしょうか。衣服はもっと捨てなければいけませんし、手元におく蔵書も、もっと整理しなくてはならないと思います。写真の整理もしなくてはなりません。ネガをデジタル化しようと2年ばかり前に始めて中断している作業も再開しなくてはなりません。ああ、原稿だってもっと書かなくては。これじゃ死んでる暇がありません。