民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

終活

2017-03-01 11:45:36 | その他

これまでは多少は自分のことでもあるとは思いましたが、研究の対象であった終活について、真剣に考えるようになりました。もちろん妻の病気がきっかけですが、自分もあと一か月ばかりで65となりますので、先が短くなったと感ずるのです。自分の思考と体力が思うようになるうちに、始末をつけておかなければならないと思うのです。

とはいえ、具体的何をどうしたらいいのか、考えていたら時間がたってしまいます。墓のこと、葬儀のこと、身辺の整理のこと、不自由になった時の生活の場のこと。何から手をつければいいのやら、困ってしまいます。家という建築物がこれから先も保持されるものと信じ、身辺の始末に困ってきたら子どもに頼ればよいと思っていられた頃は、経済的には豊かではなかったにしても、今ほどの老後への不安は感じなかったかもしれません。また、現代でも不安は感じないで年老いていく人もいます。しかし、大部分の年寄りは子どもに迷惑はかけたくない。できるなら自分の最後は自分で決めたいと思っているのではないでしょうか。

優先順位からして何から整理したらよいのか。細々とした身辺の整理でしょうか。まとめてそっくり捨ててもらえばいいといっても、それにも手間がかかります。物をとにかく少なくすることでしょうか。衣服はもっと捨てなければいけませんし、手元におく蔵書も、もっと整理しなくてはならないと思います。写真の整理もしなくてはなりません。ネガをデジタル化しようと2年ばかり前に始めて中断している作業も再開しなくてはなりません。ああ、原稿だってもっと書かなくては。これじゃ死んでる暇がありません。