民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

愛子さんの憂鬱

2017-03-09 15:26:38 | 民俗学

愛子さんとは、もちろん天皇家の愛子さんです。最近の写真を見ると、拒食症といっていいやせ方です。思春期を迎えて、母の悩みにシンクロし、あるいは悩みが増幅し心を病んでいるのでしょう。本当に母子ともに可哀そうです。将来展望を全く描けないということは、人から生きる希望を奪ってしまいます。悩み深き二人を見ていると、愛子さんこそ時期天皇にふさわしいのではないかと思うのです。

前にも書きましたが、『折口信夫』を今読んでいますが、折口の天皇論というか安藤礼二の折口論の核心は「天皇論」のあり、天皇はミコトモチ=神の言葉を保持する人、ナカツスメラミコト=人と神とを仲介する人、つまりは神に憑かれる人なのです。だから男系の長男なら誰でも天皇になれたわけではありません。神の声を聞くことができる事が、原天皇の資質であったはずです。これは折口の天皇観であるわけですが、沖縄に行ってきて私も強くそう思います。

江戸末期、明治の初期、社会的には下層で社会的には周縁におかれたおばあさん達が、苦しい暮らしの中で神がかりし、新宗教の教祖となります。現実生活の中で追いつめられることで、ある面逃避として神の世界に入るといってもいいと思います。東北のイタコは初潮前にお師匠さんについて厳しい修行を強いられる中で、神がかって一人前となりました。苦しい者にこそ神はその姿を現すのです。今、雅子さんと愛子さんは、人であるかどうかに苦しんでいます。昔なら、生活苦や女性なるが故の男尊女卑の苦悩がありましたが、愛子さんの苦しみは人権を主張できない、国民と認められない苦しみです。苦しむ人にこそ神は姿を現すとすれば、天皇家で一番神に近いのは雅子さんと愛子さんですから、愛子さんこそが天皇にふさわしいと思うのです。いっそ早く神がかってしまえばいいのです。神の声を聴くことこそが、天皇の使命なのですから。


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