民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

映像民俗学の会松本大会2日目

2017-03-27 14:16:00 | 民俗学

昨日、2日目の大会に参加しました。この日は海外をフィールドにした作品が主で、午前中はアジア地域、昼食をはさんで日本と、アフリカを舞台にした作品が発表されました。私は、午前中だけ参加しました。

午前は、バリ島の火葬儀礼が2作品、中国雲南省のワ族の葬儀の3つでした。どれもアジアの環太平洋地域ということで、豚を儀礼食とすること洗骨など、どことなく共通する雰囲気が感じられました。この国の文化、特に沖縄の文化は広い文化圏で見ないと解明できないことを痛感しました。ワ族が殯(通夜)の際に歌う葬送歌はこぶしがまわって、盆踊りのようでもありました。また、どの文化でも死後の世界を現世からの延長として生き生きとイメージしており、その中で葬送儀礼が理解されるものでした。やはり海外の習俗については、映像で見ることは大いに理解を助けるものでした。また、この日は映像記録の技術的なことが話題となりました。特に、現場の音をどうやって拾うか、編集作業として整音(シーンごとの音のレベル調整)が大事なこと、文字情報は多く入れがちだが多すぎると映像を見ないでテロップばかり追ってしまうなど、なるほどと思われる指摘がいくつもありました。

外国の葬儀の現場を見て思ったのは、どこでもたくさん調理してよく食べるのが葬儀だということです。これって日本も全く同じだと思いました。妻の祖母の葬儀(40年近く以前)までは自宅で行い、近所の人が調理していました。とにかく何でもたくさん作り、作った料理の多くは自分たちの食べる物でした。朝から来て調理して葬家で食べたのです。葬式が終わると大量の食品が残り、最後は畑に穴をほって埋めました。あの時の映像をとっておけばよかったと思いました。ワ族の葬儀とやってることは同じですから。皆が集まってきて、ワイワイ言いながら連日会食していたのです。ヒンズー教で階層制度の厳しいバリでは、多くの費用をかけてやる葬式が貧富の差の解消の役目をになっているようです。富者から貧者への富(食品)の移動ということです。