民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

豊洲・森友・戦後処理

2017-03-24 19:24:36 | 政治

連日の予算委員会での森友問題の審議に注目が集まっています。同時進行みたいに、豊洲移転の問題もあります。ワイドショーではネタに困らないでしょうし、番組の構成しなくて、ライブで国会審議を流したほうがむしろ面白いような状況です。政治への国民の関心が高まっていいという見方もできますが、ワイドショー政治でいいのかとも考えてしまいます。

豊洲の市場長などの発言や、昨日の籠池発言、今日の担当役人の発言を聞いても、残念ながら何もわからないだろうという予想が立ってしまいます。みんな知らないとか、言われるとおりにしたとか。石原元知事が際立っていたのですが、既定の路線に抗うことができず、自分はそれに従っただけだと。森友問題の忖度の問題も、誰も賄賂をもらうとか何か見返りを約束してもらったとかは今のところありません。事実なかったのかもしれません。あったのは、忖度合戦です。いかに上司のいうことを先取りして気に入ってもらうか。上に立つものは、そうした行為がわかっていても、絶対それについて口にしない、公になったら部下がかってにやったことだというでしょう。北朝鮮の官僚がやると、ひどい将軍様のご機嫌とりだとかと解説するマスコミが日本の役人がやるとそうはいいません。

いったい誰が判断して最終的に決裁したのか、なんとなくはっきりしないままに終わってしまいます。豊洲も森友も今のところそうです。それは、あの戦争責任の取り方や戦後処理の在り方についても全く同じです。誰が決裁したのかはっきりしないままに、いたずらに時間が経過してうやむやになってしまう。全くこの国の人間は、責任者をいつまでたってもはっきりさせないのです。だから無能な管理職がはびこってしまう。