民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

道祖神碑を盗む意味

2015-07-23 18:16:42 | 民俗学

 江戸時代の天明(1781~)のころから、昭和の初年にかけて、松本・塩尻・安曇野を中心としながら北安曇・上伊那あたりにかけて、「道祖神盗み」という習俗が行われました。100年~150年ほど流行った習俗です。それは、盗んだ・盗まれたという伝承があったり、再建立に際して盗まれたという事実を新しい道祖神碑に刻んだり、道祖神碑を祀る地域とは異なる地域名が道祖神碑に刻まれていたりなどすることから明らかとなったものです。

 「道祖神盗み」の事実は小幡麻美さんの最近の研究でかなり明らかになりましたし、『長野県の中・南部の石造物』でも、何体も取り上げられています。ただ、盗みの理由について小幡さんは若者の遊びや力較べではないかとされていますが、はっきりした理由は明らかではありません。長野市大岡で見学した石造物の一つに、隠れ道祖神というものがありました。盗んできてほとぼりの冷めるまで、山の中腹においておいたものがそのままになったということで、下から見ても姿が見えない山の中腹に祀られていました。これなら何となくわかりますが、松本近辺では他地区の地域名が彫られた道祖神碑を、堂々と村の中に祀ってあります。罪悪感は皆無なのです。また逆に、今回調べてわかったのですが、同じ村が2度3度と違った村に盗まれているのです。そこに祀られていた道祖神碑はとりわけ御利益があるのでしょうか。私も道祖神盗みについて小論を書きましたが、なぜそんなことをするのか、今も謎だと思います。単なる青年の遊びで、100年以上も習俗として続くものでしょうか。

次々回の長野県民俗の会の例会では、こうした盗まれた・盗んだ道祖神碑をセットとして該当する地区を見て回ろうと計画しています。目的は、道祖神盗みのムラ、地域環境、距離などを体験することで、盗みの本義に迫ろうとするものです。それまで無意味と思われていたトーテミズムがレヴィストロースによって、世界認識の方法だと明らかにされたように、この例会に多くの人が参加して議論し、道祖神碑盗みの隠れた意味が明らかにならないかと夢想しているのです。例会の日取りは9月~10月の休日ということで、まだ定まってはいません


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