民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

啄木の短歌

2016-02-14 21:05:03 | その他

 啄木生誕130年だといいます。今年牧水の企画展をやるのに調べたら、赤貧の啄木の最後を看取ったのは牧水だったというのです。むろん牧水だってどん底生活でした。

 啄木の短歌に、「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ」というものがあります。この短歌には忘れられない苦い思い出があります。

 君はまさか新婚旅行にいくなどといって休みをとったりしないだろうね。あんな恥ずかしいことはないからな。

とその校長はいいました。私の婚礼に、礼儀と思って仲人を依頼しましたが、もっと適任者がいるだろうといってあっさり断られました。断ってもらったのを幸いに、依頼したという形は残りましたから、私も妻も知っている先輩に依頼しました。幾日かして婚礼の招待状を差し上げたところ、その日は都合が悪いと断られました。教頭にも教務主任にも都合が悪いと断られました。そこまでいくと、こいつは何かあるなと鈍感な私にもわかりました。当時は妻と半同棲のような暮らしをしていました。今なら当たり前ですが、当時は眉をひそめられるような出来事だったと思います。そんな噂を誰かから聞いて、日ごろから従順でなかったこともあって、校長は私に腹を立ていやがらせをしたのだと思いました。先の休みなどとらないだろうなというのは、婚礼の招待状を渡したときの言葉でした。宛名に先生と書いてあるだけで「校長先生」となかったこと、平服で会費制でお願いしますとあったのも、気に入らなかったようです。婚礼のすぐ後に休みを取るのは忙しい時期に不可能と始めっから思っていたので、休みをとるなといわれてもダメージは感じませんでした。しかし、よく考えてみれば、ひどいパワハラですね。その人は、いうことを聞かない職員に「そんなこというなら○○(山間地の学校)へ飛ばすぞ」とおどしたという話を、後日聞きました。

 婚礼の次の日、校長のところへ挨拶にいきました。そのとき、君の為にこの短冊を書いたといって渡されたのが、啄木のこの短歌でした。どういう意味なのかその場ではよくわからず、祝いにくれたものですから、お礼を述べていただきました。

 よく考えてその短冊は廃棄しました。その後、「友がみな我よりえらくみえる」こともなく退職を迎えることができました。というより、友がえらく見えるような水準で競い合うことはなかったのです。自分には民俗学がありましたから。


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