昨夜は15夜でした。晴れて静かな夜に、大きな月がかかって、お月見らしい晩でした。お月見に関連して、昨日一昨日とラジオではお月見泥棒の話題で盛り上がっていました。月に備えた団子や餅などは、子どもたちがよその家に行って勝手にもらってきてもいいという習俗が各地にあり、それをラジオはお月見泥棒といっていました。長野県ではこの習俗は今は失われてしまいましたが、かつては次のようでした。お盆にオカザリモチと葉つきの大根を並べて廊下などに供える。お膳に煮物やゆで豆を載せて供える。明治時代には若い衆が、あぜ豆を盗んで歩いた。15夜はスゲボーズといった。スゲで束ねられる豆や大根などをとってもいい日とされ、人の畑のものをとって歩いて、腹いっぱい食べて楽しんだ。15夜以外にも、盗みが許される日がありました。11月末の、タイシコーもそうです。つぶさにあたってみれば、もう少しあるかもしれませんが、1年間のある日を限って盗みを許したとは、どういうことでしょうか。神様にお供えした物を、子どもが代わって食べてくれるように盗みを許したなどと、解説本には書いてありますが、本当でしょうか。神様にお供えをする日は他にもたくさんありますが、その日の全てで盗みが許されているわけではありません。許す時と許さない時があるのはなぜでしょうか。今は答えがみつかりません。物の所有権がいつから生まれたのか。そもそも、物を所有するとはどういうことか。持ち主と物との関係はどうなっているのか。一時的に所有権が放棄される、あるいはあいまいになってしまう機会があったのか。など、歴史を遡って考えてみなければならない、根源的な問題にゆきつきます。そして、今問題となる、万引きにもかえってきます。時を限って盗みを許すことの教育的効果、もしくは心理的効果とは何か、いや、マイナス効果しかないからこんな習俗はなくしたほうがよかったとは、単純にはいえないと思うのですが、いかがなものでしょうか。
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