民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

火葬の時期をめぐって

2013-05-11 20:04:44 | 民俗学

15年以上も前から、火葬にはいつするのかということが気になっています。私の住んでいる中央高地では、葬儀・告別式の前に火葬にするのが一般的で、それがあたりまえ、どこでもそうだと思ってました。ところがそうではなくて、葬儀の後に火葬場に送るというのが通常だと知ってから、どういうことなのかと頭から離れません。それは、土葬から火葬に変化する過程で生じたことですので、東北の被災地における火葬にこだわった死者の弔い方の問題にも及びます。これについて、近郊農村に住んでいた私の父の父母、つまり私の祖父母の葬儀が、祖父は土葬で祖母は火葬にしたと聞いていたので、今日は聞き取りに行ってきました。

祖父が亡くなったのは昭和40年で、この時は土葬が一般的だったといいます。祖母が亡くなったのは、昭和48年で火葬にしましたが、昭和45年ころには火葬が普及していたといいます。祖母は、「熱くていけねで火葬にはしなんでくり」といっていたそうですが、そんなわけにいかないで、火葬にしたとのことです。今回聞いてみて衝撃的だったのは、祖父は寝棺ではなく、「桶」にいれて座棺で葬ったようなのです。記憶がはっきりしないとはいわれましたが、桶にいれるために遺体は足を曲げて布団をかぶせて安置しておき、納棺したようです。座棺に入れるためにはあたりまえなのですが、死者を題材にした昔の映画などを見てもこの辺りはあいまいですね。足を折ってでも棺桶、まさに桶に入れたもんだと話してくれましたが、あらかじめ足を曲げておかなければそういうこともあったかもしれません。土葬の時は、家から葬列をつくって墓地まで担いでいったといいます。墓地が遠かったので、重くて大変だったといいます。自分も部分的には担いだのだろうが、全く覚えていません。
次に祖母の葬式では、葬式の前に火葬にし、葬式が終わるとお骨などを持って、葬列はつくらず、車で納骨のために墓地に行ったといいます。この際、いつ火葬にするか、つまり葬儀のまえに火葬にするか、葬儀の後で火葬にするか考えたこと、迷ったことはなかったといいます。つまり、葬儀の前に火葬にするのが既に一般的だったようです。これはどういうことでしょうか。火葬が始まったころ、もしくは始まったすぐ近くのころから、選択の余地なく葬儀の前に火葬にしているのです。ということは、葬儀の場に遺体がないことが心地よいこと当たり前のこととして、参列者に火葬の当初からとらえう心性が、もしくは火葬が始まる前からも潜在的にあったといってよいでしょう。

お骨にしてから葬儀をすることを、「骨葬」というようですが、それは東北地方と中央高地に色濃く分布しています。根拠もなく自分のカンなのですが、この地域に縄文文化が栄えていたことと何らかの関係があるのかもしれません。これらの地域は、死者を先祖として敬う以前に、死霊にとりつかれるのを嫌って、貝塚に捨てたような心性があった、死霊を恐れる気持ちが濃厚に残っている地域ではないか。とまあ、こんなことは何の実証性もありませんが、落日の民俗学としては、話題提供して民俗学に注目してもらうためには、多少センセーショナルな仮説を述べることも必要ではないかと思ったりします。


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