このような場合に、本音が露骨に出るわけです。
靖国神社遊就館、アメリカが批判した記述を修正(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061006k0000m040143000c.html
” 変更するのは、大戦時の世界情勢に関する「ルーズベルト(米大統領)の大
戦略/(不況下の)ルーズベルトに残された道は資源に乏しい日本を禁輸で
追い詰めて開戦を強要することだった。(日本の)参戦によって米経済は完
全に復興した」との記述。米側が反発し、7月にはシーファー駐日大使やア
ーミテージ元国務副長官もこうした歴史観を公然と非難した。
国内でも首相参拝支持の代表的論客である岡崎久彦 元駐タイ大使が8月24
日付産経新聞に「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」と寄稿。南部利昭宮司
らは即日、岡崎氏を招いて意見を聞いた。”
個人的には『戦略的思考とは何か』の頃の輝いていた(いとすぎにはそう見えた)
岡崎久彦 氏が戻って来られたような気がしました。
御自身も「未熟な反中史観を見直せ」と指摘されないよう願いたいところ。
せっかく靖国神社側が軍事史専門家の方々を招聘したのであれば、
アジア関連の記述も見直し客観性を追及すれば良かったのに。
自身の史観・価値観が偏向していることを、自ら明らかにしたわけです。
(アメリカの批判には耳を傾けるが、中韓の批判は黙殺していますから)
… 東京大空襲やヒロシマのような大虐殺を実行した国の方が
日本に与えた人的被害が大きいですから、考えてみると不思議な判断です。
神社関係者の「侵略行為を認めるのは英霊顕彰にふさわしくない」との発言
こそ、おそらくあからさまな本音ではないでしょうか。
侵略を認めるだけでなく、強く否定するのも同様に政治的行為に他なりません。
「侵略行為を露骨に否定するのは国のため亡くなった人々の哀悼にふさわしくない」
と改めるべきだと思います。
◇ ◇ ◇ ◇
ちなみに、
日中戦争から太平洋戦争開戦までの日本の政策判断に根本的な誤りがあり、
それを「大東亜共栄圏」「八紘一宇」という虚名で糊塗したという事実は、
少し歴史を知っている人ならば当たり前のことです。
日中戦争時の石原莞爾の言葉
「(中国は)辺疆寸土の国土の存する限り、国民党を中心に長期に
渡り我々に抵抗すべきは疑いをいれざるところ 」
「 今日、政論家いたずらに積極的作戦を強調し武力の優越を過信
する者は、支那事変が持久戦の覚悟を要請するの根本義を解せざ
るものと言うべく、為政者、兵を彊域に用いて局地の捷報に国民
を悦ばしめんとする者は、その政治的弱体の暴露を覆わんとして
無名の帥に国力を蕩尽せんとするものと言わざるべからず。」
→ 大義名分のない戦争(米のイラク攻撃などよりも下等です)で
国力をすり潰している状況を批判しています。
『支那事変戦争指導史』の堀場一雄の言葉
「 いまや東京には支那事変を凝視する者なく、世界情勢に眩惑せ
られて、努力は散漫に拡大せり。国力の確認及び戦争目的の堅持
は既に失われ、禍因を蔵する新外交政策は放漫なる回転を始めた
り。」
→ これは結果的に日本を破滅させた「南部仏印進駐」への批判。
日本の国力と政策目標を見失ってその場しのぎになる悪癖は、
戦前からずっと続いていることが分かります。
私は遊就館の資料をすべて知っているわけではないのですが、
これら日本の将来を真剣に憂えた人々の言葉も掲示して当然ではないでしょうか。
私も戦争で亡くなられた方々への哀悼に対しては勿論賛成ですが、
日中戦争の時から既に「英霊」という言葉の政治利用がなされており、
(口を開けない戦死者の意志を騙って、自分の政治的主張を補強している)
これは誰も否定できない歴史的事実です。
亡くなられた方を盾としてプロパガンダに用いることこそ、
僭越きわまりない態度であり、国益を損なう行為ではないでしょうか。
政治も偏った史観も語らずに、静かに戦死者を悼むことができるはずなのに。
靖国神社遊就館、アメリカが批判した記述を修正(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061006k0000m040143000c.html
” 変更するのは、大戦時の世界情勢に関する「ルーズベルト(米大統領)の大
戦略/(不況下の)ルーズベルトに残された道は資源に乏しい日本を禁輸で
追い詰めて開戦を強要することだった。(日本の)参戦によって米経済は完
全に復興した」との記述。米側が反発し、7月にはシーファー駐日大使やア
ーミテージ元国務副長官もこうした歴史観を公然と非難した。
国内でも首相参拝支持の代表的論客である岡崎久彦 元駐タイ大使が8月24
日付産経新聞に「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」と寄稿。南部利昭宮司
らは即日、岡崎氏を招いて意見を聞いた。”
個人的には『戦略的思考とは何か』の頃の輝いていた(いとすぎにはそう見えた)
岡崎久彦 氏が戻って来られたような気がしました。
御自身も「未熟な反中史観を見直せ」と指摘されないよう願いたいところ。
せっかく靖国神社側が軍事史専門家の方々を招聘したのであれば、
アジア関連の記述も見直し客観性を追及すれば良かったのに。
自身の史観・価値観が偏向していることを、自ら明らかにしたわけです。
(アメリカの批判には耳を傾けるが、中韓の批判は黙殺していますから)
… 東京大空襲やヒロシマのような大虐殺を実行した国の方が
日本に与えた人的被害が大きいですから、考えてみると不思議な判断です。
神社関係者の「侵略行為を認めるのは英霊顕彰にふさわしくない」との発言
こそ、おそらくあからさまな本音ではないでしょうか。
侵略を認めるだけでなく、強く否定するのも同様に政治的行為に他なりません。
「侵略行為を露骨に否定するのは国のため亡くなった人々の哀悼にふさわしくない」
と改めるべきだと思います。
◇ ◇ ◇ ◇
ちなみに、
日中戦争から太平洋戦争開戦までの日本の政策判断に根本的な誤りがあり、
それを「大東亜共栄圏」「八紘一宇」という虚名で糊塗したという事実は、
少し歴史を知っている人ならば当たり前のことです。
日中戦争時の石原莞爾の言葉
「(中国は)辺疆寸土の国土の存する限り、国民党を中心に長期に
渡り我々に抵抗すべきは疑いをいれざるところ 」
「 今日、政論家いたずらに積極的作戦を強調し武力の優越を過信
する者は、支那事変が持久戦の覚悟を要請するの根本義を解せざ
るものと言うべく、為政者、兵を彊域に用いて局地の捷報に国民
を悦ばしめんとする者は、その政治的弱体の暴露を覆わんとして
無名の帥に国力を蕩尽せんとするものと言わざるべからず。」
→ 大義名分のない戦争(米のイラク攻撃などよりも下等です)で
国力をすり潰している状況を批判しています。
『支那事変戦争指導史』の堀場一雄の言葉
「 いまや東京には支那事変を凝視する者なく、世界情勢に眩惑せ
られて、努力は散漫に拡大せり。国力の確認及び戦争目的の堅持
は既に失われ、禍因を蔵する新外交政策は放漫なる回転を始めた
り。」
→ これは結果的に日本を破滅させた「南部仏印進駐」への批判。
日本の国力と政策目標を見失ってその場しのぎになる悪癖は、
戦前からずっと続いていることが分かります。
私は遊就館の資料をすべて知っているわけではないのですが、
これら日本の将来を真剣に憂えた人々の言葉も掲示して当然ではないでしょうか。
私も戦争で亡くなられた方々への哀悼に対しては勿論賛成ですが、
日中戦争の時から既に「英霊」という言葉の政治利用がなされており、
(口を開けない戦死者の意志を騙って、自分の政治的主張を補強している)
これは誰も否定できない歴史的事実です。
亡くなられた方を盾としてプロパガンダに用いることこそ、
僭越きわまりない態度であり、国益を損なう行為ではないでしょうか。
政治も偏った史観も語らずに、静かに戦死者を悼むことができるはずなのに。