いつもその日の朝から書いているので今日は遡ってみる。
食後温かい棒茶を飲んでいたら米が炊けた。自分の夕飯は中途半端な量で残っていた冷やご飯を温め、冷蔵庫にある納豆、卵、キムチ、ちくわ、きんぴら、リングねぎを全部ごはんの上に乗せて混ぜる、ビビンパと言い張ればそんな気もする丼、を食べた。夫は稽古で帰りが9時過ぎる。
出町柳から自転車で帰ってくる途中、鷺の森神社へ上がる坂道を登っていたら、散髪屋から子供とたぶんその父が出て来て坂の上の方を見てはじまってるではじまってるでというので、何かお祭りなんてあったかなと思ったら、その親子が見ていたのは月だった。そういえばフェイスブックの投稿で最近月蝕という文字を見たことを思い出した。今日は月蝕なのかと親子に少し遅れて月を見上げ、下の方から欠けてきていることを確認したけれど、さっきから聞いているituneストアの視聴の曲の方に意識が傾いていることは変わらなかった。80年代の曲が100曲くらい入ったオムニバスのCDを上から順に視聴しながら帰っていた。昔からこういう聞き方をして、自分にとっての掘り出し物を探すのが好きだった。TSUTAYAで60~70年代歌謡曲の1年ごとのヒット曲が入ったCDを60年、61年と順番に全部借り、好きな曲だけ抜粋したMDを作ったりしていた。誰がどう見ても欠けている月の現象を見るより、未知の1曲に出会う可能性が開かれた端末の方に神秘を感じ、今日聞きあてたKim Carnesの「Bette Davis Eyes」という曲がたぶんこの先も聞き続けるタイプの曲で、歌詞の意味もわからないのに聞いていて泣きそうになった。
他にも玄関先に出て月を見ている人たちがいる。月に心が傾かず、端末にどこからか届けられる数十秒の視聴音源をイヤホンから接種し、でも大半はひっかからずすり抜けていく曲を手に取ってみては捨てペダルをこぎ、月にもうちょっと何か感じればいいのにと思う。
仕事中は夫のお昼に作り置いて来たクロックムッシュ、5枚切りの食パンで作ったのでちゃん中心まで火が通っていたかどうか気になっていた。