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流出雑記 

2014/10/11

2014年10月17日 | Weblog

11日朝、9時過ぎに起きてチェックアウトの10時にホテルを出る。昨日目を付けておいた森下駅近くの喫茶店で朝食。鉄板で焼いたホットケーキがおすすめと店先に貼ってあったのが美味しそうだった。それとカフェオレ、夫ハムチーズトーストとブレンド。カフェオレは巨大な碗に入って出て来た。ホットケーキは両手の親指と人差し指で輪を作ったくらいの大きさで、4センチくらいの厚みがあった。何もつけずに食べてみて、昨日のたい焼きの美味しくなさを彷彿とさせる美味しくなさにはっとした。厚みはあるけれど、メレンゲでふんわりさせているのではなくて、水分を少なくしたタネを焼いているので、小麦粉のかたまりのようになっている。申し訳ないけれど例えるならおやきの皮に近い。それで風味もなく粉気が強い。シロップをかければと思ったけれど自家製らしいシロップもメープルやカラメルのような風味がなく、三温糖を煮溶かしたよう。そんなごまかしが効かない土俵でこのホットケーキは一体何で勝負しているのか。決して口には出せないけれど、どうしたらこんなに美味しくないホットケーキが作れるのですかと質問したい気持ちでいっぱいだった。

近くにパン屋があってここのカレーパンがおいしいと友人から聞いて、パンも小麦粉だからもしやと思ったけれど、なかなか来る機会もないので買ってみる事にした。揚げたてのカレーパンをあつあつのままでもらった。これは間違いなく美味しかったので、森下駅の粉ものは2連敗で止まった。

今回の滞在の主目的は東京都現代美術館でピチェ クランチェンダンスカンパニーのパフォーマンス「Tam Kai」を見ること。今年の2月に競演したピチェとカンパニーダンサーのケットちゃんが来ている。踊っているところを見たかった。

美術館では「新たな系譜学を求めて」という身体、ダンスに焦点をあてた展覧会をやっていて、その関連イベントでパフォーマンスをやってる。

「Tam Kai」という作品は今年の3月にピチェのワークショップを受けたときに踊ったことがあった。1時間くらいずっと大まかな構成はあるけれど動き自体は毎回即興で、展開のなかで常にピチェからsomething new!と言われ、もう必死で雑巾を絞るように自分にとってのなんなのかわからないnewに手を伸ばし続ける感じで大変だった。その場で起きること自体にダンサーたちの体が向かい、体に起こったことが場になって連なっていく。誰かのある選択は、即他の誰かへの多角的な意味での振付になり、お互いに掴んだり掴み損ねたりしながら全部ひっくるめて上演される。

ピチェのカンパニーダンサーは伝統舞踊のコーンの型を稽古するベースの上でコンテンポラリーな動きを模索している。

私がワークショップを受けたときの私を含めたほとんどが、日本のコンテンポラリーダンスと呼ばれているものからダンスに入ってきた日本人、20代~30代のダンサーだった。各々の動きの傾向というものはあるけれど、いわゆる型を持っていない。その初期設定の違いでこの作品の雰囲気というのはかなり違うことは始まってすぐにわかった。

カンパニーダンサーは年齢も40代~20代と幅広く、伝統の型に入れ込むことの出来る体であるけれど、そこからの外れ方、動きのチョイスにはにそれぞれの思考がもろに反映され、踊る人が体をどう捉えているか説明してもらわなくても一見してわかってしまう。それがこの作品を踊ることの怖いところであり、面白いところでもある。

公演が終わって数ヶ月ぶりの再会を果たすも相変わらず英語はあまり喋れないので終始浮き足立っていた。来年の公演に向けてのことを少し話し、会うべき人に挨拶をし、駅弁を買い夕方の新幹線に乗って京都に戻る。

留守番の猫たちはごはんを食べ尽くしていた。トイレ掃除をしてきれいな水とごはん。

猫たちを置いて行った夜はいつも今頃、あれ帰って来ないにゃーと思ってるかなと話したりするけれど、そもそも猫はそんなふうに思考せず、語尾ににゃーも付かず、帰ってくるとか来ないとかいう概念もないかも知れないと思った。