実家の庭の物干しの下には祖父の陶芸の作業場があった。水っぽい粘土がなみなみ入ったポリバケツや道具類、ろくろをまわす祖父の横で粘土を捏ねて遊びながら分厚い小皿を作らせてもらったりした。写真はその小皿。裏に片仮名でミカと彫ってある。実家の食器棚から持って帰って来て、今も漬け物を盛ったりするのに使っている。
祖父が生きていたら、河井寛次郎の話しをしたかった。祖父の尊敬する人であったらしい。
河井寛次郎の文書を読みながら、祖父と大野一雄の話しもしてみたいと思った。そんな舞踏家がこの世にいたことを祖父はおそらく知らなかっただろう。そんな話しをできたらよかったが、祖父は私が小学生の頃に亡くなっている。
「 番茶碗の高台をつまんで釉の中に浸す。素焼きされたこの茶碗は夏の旅人のように裸体で渇いているので、いきなり全身をあげてこの釉の泥水を吸う。思う存分吸う。すすめれば酒好きはどろどろになるまで酔いしれても酒から離れないように、これもまたほっておけばずぶずぶになるまで吸うのである。
茶碗は水が欲しかったのだけれど、水と親しく交わっていた釉の分子はどこまでも水と別れを惜しんで、この渇者に四方八方からとりすがる。次の瞬間には裸体であった茶碗は水を吸った報いにぴったりと膚についた釉の着物を貰って出て来るのである。」
河井寛次郎 『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ』 より
この部分は大野一雄より土方巽の「病める舞姫」を思ったが、どうもこの人の言葉はからだにひっかかる。からだにひっかかりのある言葉を使うということは、そのようにものを考えているということだ。
河井寛次郎は生涯新たな技法や釉薬を研究し続け、それに伴ってさまざまな色やかたちを生み出した。
土身火魂
これも陶工の残した言葉だが、読み方も意味も指定されていないらしい。
ツチノミヒノタマシイ
土を捏ねてかたちをつくり、釉をかける。土、かたち、釉薬、それに熱が加わる、その交わるところに結ばれるうつわ。
器官、知覚、感情、記憶、体温の熱を帯びて、それらの交わるところ、からだというかたち、それは常に揺れて変化し続けるけれど、それに照応するように、新たな自分のかたちを探すようにうつわが作られる。うつわ かたち からだ。
ものをつくるということがそのような探索の旅であるとき、その痕跡に惹かれる。惹かれるものはいつもそうだ。居直ってしまっているものをあまりおもしろいと感じない。
河井寛次郎に惹かれるのは晩年の写真に祖父の面影をみるところがあるというのもひとつ。
祖父が生きていたら、河井寛次郎の話しをしたかった。祖父の尊敬する人であったらしい。
河井寛次郎の文書を読みながら、祖父と大野一雄の話しもしてみたいと思った。そんな舞踏家がこの世にいたことを祖父はおそらく知らなかっただろう。そんな話しをできたらよかったが、祖父は私が小学生の頃に亡くなっている。
「 番茶碗の高台をつまんで釉の中に浸す。素焼きされたこの茶碗は夏の旅人のように裸体で渇いているので、いきなり全身をあげてこの釉の泥水を吸う。思う存分吸う。すすめれば酒好きはどろどろになるまで酔いしれても酒から離れないように、これもまたほっておけばずぶずぶになるまで吸うのである。
茶碗は水が欲しかったのだけれど、水と親しく交わっていた釉の分子はどこまでも水と別れを惜しんで、この渇者に四方八方からとりすがる。次の瞬間には裸体であった茶碗は水を吸った報いにぴったりと膚についた釉の着物を貰って出て来るのである。」
河井寛次郎 『蝶が飛ぶ葉っぱが飛ぶ』 より
この部分は大野一雄より土方巽の「病める舞姫」を思ったが、どうもこの人の言葉はからだにひっかかる。からだにひっかかりのある言葉を使うということは、そのようにものを考えているということだ。
河井寛次郎は生涯新たな技法や釉薬を研究し続け、それに伴ってさまざまな色やかたちを生み出した。
土身火魂
これも陶工の残した言葉だが、読み方も意味も指定されていないらしい。
ツチノミヒノタマシイ
土を捏ねてかたちをつくり、釉をかける。土、かたち、釉薬、それに熱が加わる、その交わるところに結ばれるうつわ。
器官、知覚、感情、記憶、体温の熱を帯びて、それらの交わるところ、からだというかたち、それは常に揺れて変化し続けるけれど、それに照応するように、新たな自分のかたちを探すようにうつわが作られる。うつわ かたち からだ。
ものをつくるということがそのような探索の旅であるとき、その痕跡に惹かれる。惹かれるものはいつもそうだ。居直ってしまっているものをあまりおもしろいと感じない。
河井寛次郎に惹かれるのは晩年の写真に祖父の面影をみるところがあるというのもひとつ。