figromage

流出雑記 

2015/8/6

2015年08月07日 | Weblog
おにぎりと卵焼きとソーセージを焼いたのをお盆の上に並べたら絵に描いたような普通、が出来上がっていた。

おにぎりにはそうめんのつゆを作るために使った鰹節と昆布のだし殻を炒った甘辛いやつで、例えば世の中のあらゆる何かの目的のために出た殻なり屑なりが、無駄なくうまくあわよくば美味しく回っていくのだったらどんなにいいことかと思う。

今日8月6日だったと思うと、原爆のことから連想してしまうのは行方の知れない燃料棒や汚染水や核廃棄物や安保法案、9条、ただ今のことが絡まりながらせり上がってきて、この殺意をはらんだ暑さもあいまって息苦しい。そういう呼吸環境におかれてなおまっとうに息をしながら生きるには文字通り左右のことに振り回されないで目を澄ましていなければならないし、最も自分にとってやる必要のあることに力を尽くすことを、なおさらやるべきと思う。この世界で生きていて吸い込むものの割合に負の要素が多いようでも、そこで形成された自分の形状からものを考えないことにはどうにもならないんだから、世界は私のかたちでもあると、半ば無理矢理にではあるが接続させ輪郭を押し広げる動力イメージを持ちながらアイスコーヒーでライフサイズに鎮静する。
氷を、うちの冷凍庫は自動的に作ってはくれないので日に何度か製氷皿に水を張る。お昼にそうめんとアイスコーヒーを冷やすのに使ったらもう底が見える。製氷皿、という言葉を文字で見たのも使ったのもたぶんこれが初めてで、使ったことのない言葉を使えるのはうれしい。皿という字はいつでも血に変わる隙がある。不本意に打たれた場所から逃走をはかった読点が傍にあった皿のふちに隠れたつもりが血になることは起こりうる。製氷血という、新しく出来てしまった言葉の意味は精製された輸血用冷血。主に戦地に向かう前の兵士に用いられる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿