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流出雑記 

2014/1/31

2014年01月31日 | Weblog
起床。晴れ。
ココア、かりんとう、軽いストレッチ。
稽古は11時から。新しいテキスト。

昼は行こうとした近くのスーパーホテルのランチがもう終わっていて、また少し歩いて定食屋を見つけた。
唐揚げ定食400円という価格帯。店は雑然としていて、もっぱら男子が来る感じ。
ケットちゃんはまた、チキンと言った。チキンなら唐揚げかチキンカツかどちらかになる。昨日チキンカツだったので今日は唐揚げにした。ナナさんはチキンカツ、私は日替わり。日替わりには一口大のサーモンとイカのフライ、サツマイモの天ぷら、生姜焼きがヒラっと一枚、あとは牛肉と野菜を甘辛く炊いたもの。サラダに味噌汁付き530円だった。唐揚げもカツも大きい塊が5つ乗ってきたので女子には多い。ケットちゃんは箸を両手に一本ずつ持って唐揚げを割る。ナマな訳ではないけれど肉の赤っぽい部分が嫌みたいで、そこを取り除きながら食べていた。
食後夕方の再集合まで一旦解散。マンションに本を忘れたので帰ってカフェオレをいれて本を読んだ。
気付けばもう1月が終わる。今日の気候はもう小春日和。熊本生活もあと3日。心残りがないように、京都の半額くらいで買えるトマトのアイコと黄色いトマトも買った。熊本、トマトがおいしい。冷蔵庫の残り物をうまくなくしていくスケジュールを立てること。
その傍らで京都の家、ちゃんと家賃を払いに行ってくれただろうかとも思う。

2014/1/30

2014年01月31日 | Weblog
今日は演出家のinviteを受けてご自宅にたくさんの人が集い、なんだかんだで2時に帰宅。風呂に入ったりして現在3時20分。眠気も傍らにあるけれど作文の気力があるので書けそう。

稽古自体は休みだったが、午後から女子で温泉に行くことになっていた。近くの交通センターから1時間弱バスに揺られて山鹿温泉。着いて昼食。昼やや遅かったので入った店のランチメニューは売り切れが多く、チキンカツ、ポークカツ、塩麹漬けの豚肉ソテーの3択だった。ケットちゃんにはフライドチキンorフライドポークorポークソテー。なぜフライドと言っているかというとカツレツという言葉は伝わらなかったから、とにかく揚げているのだということを伝える。ケットちゃんはchikinと言った。その他3人はソテー。名前は忘れたが熊本のブランド豚は脂身が嫌にならない美味しさだった。

八千代座という古い劇場が近くにあり、500円払うと中を見学できるけど、帰りのバスの都合があり中までは見ず。
目的は温泉。タイには温泉がないらしく、ケットちゃんは初体験。
さくら湯という、湯屋ですねという雰囲気の温泉。湯加減もぬるめですぐのぼせないので長く浸かっていられる。ケットちゃんがしんどくならないか心配だったが、この温度なら大丈夫かなと思った。久々に温泉に入ったけど、肌がすべすべになる。
今夜の準備要員で急ぎ帰らなければならないメンバーは先に帰りのバスに乗り、私にはこの温泉街にある酒造で今夜の宴の差し入れを調達する任務があった。少し歩くと酒蔵と店舗のある古い町並みのエリアにたどり着く。そとの排水溝から柔らかい湯気があがって、お酒のにおいにさそわれる。
お酒はいろいろ並んでいて悩んだけれど、日持ちはあまりしないが今しか出ないという言葉に押されて原酒にした。澱のあるものとないものがあって、ある方は好みが分かれるそうなので、ない方。明後日神戸からやってくるディレクターにもお土産に一本。甘酒を試飲。酒屋の隣は麹屋で、塩麹やら味噌などが売っている。奥様へ手土産に醤油麹というのを一瓶買う。ここでも甘酒を試飲。酒屋の方が口にあった。
帰りのバス、30分ほど待たないといけなかった。向かいにある温泉プラザというところ、道の駅みたいな感じで、直産品やら特産品が並んでいる。いろいろ買ってみたいものもあったけど、酒瓶の重さが抑止力となって60円の味噌饅頭をひとつ買って食べた。
帰りのバスは途中まで寝ていたけれど、着かなければいけない時間ギリギリになりそうなのがわかってからずっとそわそわしていた。ピチェさんとケットちゃんと待ち合わせして電車に乗ってお連れする予定だった。やや待たせたが、電車の時間には間に合い無事使命を果たす。
演出家宅にはたくさんの子供が集っていた。今回の企画に協力してもらった方々を招いてのパーティーだった。
数種のカレー、料理上手な奥さんたちお手製の体に良さそうな食べ物。揚げてない春巻きとか。
子供たちにあやとりを教えたら人気者に、しりとりでパンツと言ったら大爆笑がとれた。
鳥が好きな男の子が一生懸命マガモのことを話すのが可愛かった。マガモの茶色いのはメスで、季節によって色が変わるのがオスだけど、茶色い方がオスっぽいのにね、とか、アヒルは人間に飼われるために作られたってお父さんが言ってたよ、とか。彼はマガモを飼いたいらしかった。でも買えないからプラスチックの輪っかのようなおもちゃで作った言われて見ればそう見えるマガモをお風呂に浮かべたいから早く帰りたいのだと言っていた。彼のお父さんは珈琲をその場で焙煎して数種の豆で飲み比べさせてくれる珈琲マスターかつミュージシャンで、お母さんはタピオカを使ってベジいくらを作ってしまうような料理発明家らしい。

演出家は寝る前の娘の歯を磨いてあげていた。

子供をもつと付き合う人の幅がものすごく広くなるのだろうと思った。当然だけど。特殊なことをやっていようが、それまで知らなかった社会との接続面が子供を通して広がる。そのことに対して面倒しさを嗅ぎつけてしまうことも嘘ではないけれど、そういった必然によって自分の時間が裂かれていくこと、自分が裂けていくことは可能性でもあるんだろうなとも思う。たぶん。