今年は未だコタツが片付けられていない。あまり日が当たらない一階の居間は朝夕まだ寒く感じられる。
モッコウバラがやや遅い開花。2年目の苗はまだもこもこになるほど咲かないけれど、成長が早いモッコウバラは地植えにするとどんどん育つらしい。今は植木鉢で育てているがいつか地面におろしてやりたい。去年花が終わった時期に買って来た。夫が好きだと言っていたので咲いて本人が気付くまで黙っていようと約1年玄関に隠し事を育てていた。昨日、玄関のやつモッコウバラ?と聞いてきたので秘密はめでたく開花したのだった。
花が終わって半値で売っている哀愁漂う苗や、弱っているけどなんだか惹かれる苗をわざわざ買って育てるのが好きであり、今それら紫陽花やミニバラが騒がしいような成長をみせ花芽をふいている。特にミニバラはどんな花が咲くのかまだ見たことがない。
今年は大株に育っているディオレサンスは房咲きに挑戦するらしい。株がちいさいうちは新しく伸びた枝に一輪ずつしか咲かないのだが、今4輪ついている枝がある。
しばらくワークショップに通っている。やっている内容は1分くらいの短い動きを誰かにソロで1回即興でやってもらう。それを見て他の人はすぐそれと同じ動きをするのだが、単に動きをトレースするのではなくて「その人になれ」と言うのだ。
まず1回しか見られない動きを全部正確に出来ないし、覚えている限りのものを思い出してつなげてやってみるのだが、全然違っていたりする。それでも「その人になろう」とすることは諦めないでやる。
今のところ繰り返さずにどんどん別の人のソロをやっては動きやっては動きしている。それで数人分の1分程のソロを見た。1分のソロに特にテーマ等は与えられないので、皆その場で思いついたことをやるのだが、ここでひとつ発見があった。覚えられないということについて。速度が速いと追えないということもあるけれど、ある動きから次の動きへの繋がりに動機が見えないものは覚えにくい。本人の体のなかでは関連があるのかも知れないが、何がどう展開したのかわからなくなるものが多い。
それぞれのダンサーの特徴は1分見ただけでも垣間みられる。びっくりするほど踊る人のひととなりが表れてしまう。私にとってのダンスはこういうものです、と表明せよというようなシビアなものではないのだが、あらかじめ用意し企図せず選び取られた動きを並べてみると、そういうことが少なからず露呈してしまうものだと気付く。各々の発表会になっても仕方がないし、人に渡せるものを自分がどう提示できるかというところはしどころというかしないどころというか、簡潔にしすぎても小馬鹿にしているようだし、なんだか独創的なアイデアを盛り込んだり技巧的なことをしすぎても人には触り辛いものになる。どのように踊り始め、何を踊りとし、なぜ踊るのか、結局そういうことが問われていくもののように思った。