彼岸湯の 炎熱サウナに 呻きおり
梅士 Baishi
今日は秋分の日、彼岸の中日だった。
長崎から老母が出てきたので、筥崎宮花庭園につれて
ゆき、迎賓館でフランス料理のランチをして、博多駅ま
で見送った。
それだけのことだが、年寄りの要領の悪さ、難聴とい
う当たり前の老化にさえ不機嫌になった。
今日はなぜか、朝から不機嫌だったのだ。
どうも、悪霊が漂っている感じなのだ。
それで、いつもの町営温泉に出かけて、サウナと水風
呂で不機嫌を洗い流した。
サウナでは、男たちがうんうんと呻きながら我慢比べ
をしている。
彼岸の地獄仲間というでもあるまいが・・・。
知らない人たちばかりだし、しゃべることも無いが、
同じ日本人ではあるのだろう。
炎熱地獄の後の水風呂は爽快である。
だから地獄は止められぬという計算か・・・。
風呂から上がって久しぶり、ザル蕎麦と熱燗を楽しん
だ。
何を食べても、今のところアレルギーとは無縁である
のはありがたい。
といっても、背中がかゆいのだが・・・。
もっとも学生時代、アタリメに当たったのか、じん麻
疹と高熱で三日間寝込んだことがあった。
回復してからも、手足の皮が剥けるという強烈な食中
毒体験だった。
因みに、末期癌から立ち直った食事療法という特集雑
誌を立ち読みした。
四足の肉、塩分はタブーなのだそうである。
免疫力を高める食品には蜂蜜が挙げられていた。
そうだ、蜂蜜を朝食にして、駆けてゆこう!
ポスト資本主義とか、資本主義の未来とかが議論され、
研究され、問題提起されている。
現代の資本主義経済が破綻に瀕しているという認識で
ある。
もちろん、対極にある共産主義や社会主義は多くの同
胞を虐殺しながら、貧困の平等を目指したのであるが、
とっくに破綻している。
資本主義の良いところは、自由と合意を本質としてい
るところだろう。
息苦しい恐怖政治の共産主義とは決定的に違うのが、
この自由の精神にある。
しかし、資本主義が行き着いたところは、植民地経済
であったし、マネーゲームといわれるほどの欲望とだま
しのもうけ主義だった。
この資本主義の歪を官僚社会主義による富の再配分で
修正しようとして重税主義に傾いているのだが、欲望の
資本主義を社会主義で改善することはできないところで
ある。
資本とは、富を生み出す元手ということだが、自助努
力ということでもある。
この資本主義が病んだのは、信仰の名のもとに、神の
心に反する独善的人種差別と弱肉強食の欲望に取りつか
れたからである。
自由といっても、愛を見失っては暴力になる。
つまり、自助努力は経済の本質的要素であるが、愛と
慈悲を見失ってはならないということである。
信仰なき自由では、資本主義もまた闇の支配力となる
ということである。
資本主義の未来とは、信仰としての自由に目覚めるこ
と以外にはないということなのだ。
惜福、植福、分福という思想もまた、信仰の経済であ
る。
敬天愛人という思想も、資本主義の精神である。
正しき信仰を見失ってはならない。
『敬天資本主義』、これが、経済の基本精神というべ
きではないだろうか。
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党