大晦日 慌ただしさも 無きままに
中村梅士 Baishi
今日はとうとう大晦日。
大晦日を在宅で迎えるようになったのは去年からであ
るが、どう過ごしたかは記憶にない。
今朝は雨、気温7℃、日の出は7:23、穏やかな冬
である。
アルビノーニのアダージョがぴったりの朝である。
一年を振り返ると、可もなく不可もなしという平凡な
一年だった。
志賀島一周ジョギングをし、野生のたぬきとかわいそ
うなイノシシを見たのが初体験だった。
その分、仕事に専念した一年だった。
歴史としての2017年は起こりそうで起こらなかっ
た緊張の一年というべきか。
大地震も大噴火もおこらなかった。
北朝鮮は既に滅亡しているはずだったが、先延ばしに
なった。
最大の出来事は、天皇の生前退位が決まったことかも
しれない。
その実態は、天皇制の生前廃止を意味するからである。
さて、穏やかな大晦日の一日である。
今日は革命をテーマに読書で過ごしたい。
鐘を撞きたい衝動もあるが、寺社のご近所にお任せす
るとしよう。
2018年に何が起こるのか。
朝鮮戦争の再開と終結。
ピョンチャン・オリンピックの中止。
米軍による朝鮮制圧と管理統治開始。
日本に戒厳令、再軍備宣言がなされなければ大天変地
異が発生し、革命の天命が下るであろう。
毎年、こうした楽観は裏切られるのであるが、日本の
天皇制が事実上終焉する年でもある。
天皇には、もはや象徴性は失われたからである。
今上天皇には、幸福の科学の警告を無視して退位を推
し進めた責任がある。
本来、皇室には霊性革命の責任があったはずである。
宗教的権威を排除しては皇室は成り立たないからであ
る。
ところが、人間宣言からさらに公務員宣言にまで貶め
たことは、自ら、天皇制の終焉を宣言したに等しいであ
ろう。
その真意は、人間天皇を終わりにして、皇室の権威を
高天原に奉還したいと言うことかもしれない。
象徴としての権威が失われた皇室に、万世一系を誇る
資格はない。
天皇制翼賛会というべき生長の家は三代目で無神論の
環境左翼団体に変質したが、これも天皇が象徴性を失っ
たことの表れであろう。
革命としての崩壊現象が既に起こっていると考えるべ
きであろう。
政治も、政権選択の余地さえもないどうしようもない
閉塞した状況になった。
東北大震災でもこの閉塞を打ち破れなかった。
熊本大震災も天意としては無視された。
平和ボケした日本人には同時多発大震災か、ジョンジ
ョンの飛翔体が誤って着弾するかという事態が必要だろ
う。
来月中にも予想される朝鮮動乱が日本を平和ボケから
覚ましてくれるとよいのだが。
これが来年の期待である。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party