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+ 初夏の風・・・ 地球神待望の時代  オリンピアードの真実  神は偏狭ではない

2016年06月03日 10時48分14秒 | ◆ 日本国独立運動

   


 高原の  やふなり初夏の  風吹きぬ 

   梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 六月は初夏である。

 梅雨入り前の清々しい風が吹く季節でもある。

 菖蒲、あじさい、ゆり、菩提樹の花が今を盛りに咲い

ている。

 初夏の花が終わる頃、博多祇園山笠が15日間を闊

歩し、駆けまわる。

 そして、蝉が鳴く。

 その蝉がツクツクボウシの経を読む頃、彼岸花が咲

き始め、秋になる。





 今年は、台湾総統選があり、民進党政権が復活した。

 熊本では大震災が大打撃を与えた。

 つづいて、参院選、リオのオリンピック、アメリカの大

統領選と激動が続く。

 そうしたイベントだけで終わるとは思えない危機的緊

張がある。


 政治は本音の政治で活路を開かなければならない。

 人々は、不信仰な人間中心主義を改めなければな

らない。





 紀元前1000年以前にも遡る古代オリンピックは、四

年に一度、ギリシャ世界の国々がオリンピアのゼウス

神の前に集ってスポーツ競技を奉納し、ギリシャ世界

の絆を確認した。

 スポーツは神の前に神聖であり、かつ、仲間として

の友情を高める競技であった。

 

 しかし、近代オリンピックには聖火はあるが、共通の

神はない。

 オリンピヤードは紛争当事国であってもオリンピヤー

ドには休戦してオリンピックに参加したのである。

 ところが、近代オリンピックは戦争によって中止され

るオリンピックである。

 スポーツの神聖を穢す勝利至上主義が公認される。


 それを見るにつけ、国際社会を統合する地球神が

必要な時代なのだと思う。

 邪教は別として、キリスト教もイスラム教も仏教も、

神道もユダヤ教も、指導者は時代の救世主によるもの

だが、その説く真理には普遍性がある。


 神とは本来、人間知を越えた創造と教育の意識であ

る。

 宗教の源には創造主と言うべき地球神が統べてい

るのだ。

 他宗排他的教義を持つ宗教は、父なる神を独占しよ

うという過ちを犯している。

 キリスト教の排他性は邪道である。

 イスラム教の攻撃性も同様である。

 ユダヤ教に至っては一層罪深い。


 その点、神道は寛容である。

 戦時、廃仏毀釈の過ちを犯したが、結果、日本は仏

の加護を失って智慧においてアメリカに敗北するに至っ

たとみることもできるのではないか。

 廃仏毀釈運動は、儒教やキリスト教の偏狭と、国粋

主義による錯乱というべきであった。


 宗教は根本において正邪を正すものであるが、思想

においては偏狭であってはならない。

 創造の神は偏狭ではないからである。

 また、国粋主義と愛国心は異なる。

 国粋主義は選民思想であり、排他主義である。

 しかし、愛国心は他国の愛国心を尊重する。


 平和を愛するというなら、人間自己中心主義の不信

仰を恥じ、地球神を待望するべきである。

 その福音として、幸福の科学が輝きを増していること

を知るべきである。

 愚かな人間心で幸福の科学の輝きを懐疑し、嫉妬

するなど、人としても恥ずべき愚かさであろう。


 『うるわしき愛の星地球』というエル・カンターレ、大川

隆法の奇跡を新しいオリンピズムの精神としたいもの

である。

 それを、エル・カンターレ祭としたいものだ。


 世界の人々が地球人類の絆を確かめるために、東

京に集い、スポーツを中心とする文化の競演を奉納す

るのである。

 スポーツこそは、人類に根源なる神聖な文化である。

 真なるオリンピズムに目覚めるべきである。 


 

日本独立宣言・神聖九州やまとの国

  幸福実現党応援隊・中村梅士党  

          

 

 

 

  

  

 

 

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