年の瀬の 港出るらし 汽笛吹き
中村 梅士 Baishi
今朝の博多の気温は3℃弱、少し暖かい。
港の方から汽笛の音が聞こえた。
年の瀬の海を渡る船らしい。
そういう人生行路もある。
年末の海を眺めたのはもう三年前になる。
今はバイオ戦争の最中にある。
コロナおみくじ株が流行の兆しを見せている。
不穏なのは再び外に出るな、人に会うな、マスクを強制
しろなどという権力統制が始まっていることだ。
そんなことを気にするのはこの世的な捉われだというが、
それが悟りだと言うなら遠く及ばない。
ウィルスも渡れな三途の川を早々に渡ってもよいのだが、
凡庸な人生とは言え、し残したことがないかといえば山ほ
どある。
そこに生きる意味があるのだろう。
夜の瞑想というか、迷走と言うか、シャンバラ観光に飛んだ。
シャンバラの修行は高級霊が招かれてゆくところだという。
自分は招かれないから観光なのだ。
まあ、そんな気分を楽しんだと言うことかもしれない。
さて、今日は走りたい。
年末だが、山を歩くか、海を渡るか、両方か、写真撮影
の散策に出たい。
レーザー電磁波を使った防衛型新兵器の開発を急いでほ
しいと思う。
中共の核やミサイル等のコントロールを失わせ、逆にコ
ントロール可能な武器があれば、いわば返し技で中共の攻
撃を無力化できる。
専守防衛と言うなら、そうするべきである。
すでに有事なのである。
バイオ戦争であり、ステルス戦争が仕掛けられている。
売国ではなく、新兵器開発で攻撃を抑止し、安全を確保
するべきである。
教育においては武士道と愛国心を育てるべきである。
国旗を飾ることが右翼だという「常識」は売国心である。
愛国心とは、主権国民の誇りであり責任なのだ。
心の足腰が定まっていなければ健康も勤勉も技術の活用
もできない。
心の足腰の鍛錬は信仰と霊的覚醒を強化することである。
この世的には愛国心というべきである。
戦時下にあって、この世の価値は破壊され、奪われるこ
ともあるだろう。
今は公務員を筆頭に安泰な暮らしをしているであろうが、
それも砂上の楼閣となる。
一旦失われなければ分からないことである。
暗黒の10年が始まっているのではないか。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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