卒業の 太き返事の 育ちけり
梅士 Baishi
今朝の気温は6℃と暖かくなった。
かつて卒業式の夜は、親不孝通りのカラオケにはまって、朝まで飲
んでいた。
今はとても、そんな無謀な体力はない。
自分が読み上げた卒業生は、分校のように、たったの一人だった。
しかし、期待に応え、荒武者のように響く返事をしてくれた。
卒業式の返事は、恩返しである。
一騎当千の返事に満足した。
卒業の夜、「先生」たちは学生のいる二次会に呼ばれて三々五々
と出かけて行く。
担任講師の誉れでもあろう。
そう言えば、去年は女子学生に囲まれて12時過ぎまで歌っていた
なあ・・・。
今年はお呼ばれもなく、熱心な学生のために遅くまで就職指導に
あたったのだった。
それもまた誉れである。
そんな季節である。
【 不可解な医療予算とスポーツの医療価値のアンバランス 】
公的な医療費負担がどれくらいかを調べようとしても、白書でも明
確ではない。
言い訳がましい細分化されたデータが並んで、いかにも必要経費
であり、診療報酬をあげなければいけないのだということを強調する
ばかりである。
結局、健康保険と言う税金と一般予算からの支出を合わせた合計
金額は不明確なままだった。
介護保険等を除いても、診療報酬として40兆円、別に10兆円ほど
を使っているようである。
しかも、75歳以上の高齢者医療費は全体の3分の1ほどではないか。
高齢者が医者の食い物にされていることが分かる。
総額50兆円の医療費予算に対して、スポーツ基本法で国民健康
のための地域スポーツを充実するとしているが、その国家予算はせ
いぜい医療費の1%にも満たない程度である。
地方の予算を入れても、1兆円にも満たない。
しかも、スポーツ振興予算を捻出するために、競輪、競馬、サッカー
を使って公営ギャンブルをやっている。
サッカーくじの収益からスポーツ振興に振り分ける金額は200億円
足らず。
国家予算を使ってまでスポーツを振興する価値はないといのが国
の考え方である。
これでは、スポーツ振興といっても、ギャンブル促進程度のスポー
ツ観である。
ワールドカップでサッカー賭博が広がっているが、官僚も同類である。
医療保険は、まず予防医療としてのスポーツクラブに適用するべき
である。
また、公営のスポーツギャンブルはやめるべきである。
賭博罪の趣旨をないがしろにする国家行為に他ならないからである。
賭博にからめた関心と、「見るスポーツ」の関心は全く別である。
賭博を介さなければ観る価値がないのならば、プロスポーツはなく
てもよい。
アマチュアリズムを護るべきだと言う気持ちも分からないではない。
確かに、アマチュアリズムは貴族文化としてのスポーツ観であるが、
賭博的なスポーツになるなら、貴族文化に戻した方がよいとさえ思える。
あるいは、品格のあるアマチュアリズムスポーツと、商売スポーツと
を分けるというのも間違ってはいないのかもしれない。
文化には品格が必要なのだ。
スポーツも表現の文化である。
品格を貶めるマスメディアや公営ギャンブルを考えると、プロスポー
ツは賤しい職業だと言われてしまうのではないか。
スポーツは身体競技としての遊びの文化であろうが、精神的表現
である文化としての品格を問われるべきである。
そうでなければ、感動の文化とは言えないだろうし、教育としのス
ポーツも穢されてしまうからである。
スポーツ基本法の欺瞞は糺されるべきである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党