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+ 横道の枝垂桜・・・ 「スポーツ科学の神聖」 「遊びの神聖」 「神も仏もある国づくり」

2011年04月20日 08時03分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 


 

 花過ぎて  左に入りし  枝垂かな 

    梅士 Baishi 

 

 

 

 桜はすっかり散り過ぎて緑を描き始めているが、遅咲き

の枝垂桜は、まだ、満開に枝垂れている。

 舞妓はんの髪飾りのような、ひな祭りのような桃色の花

である。

 帰り道、遠回りをして、枝垂桜に一息をつく。

 

 今朝の気温は10℃。

 少し、ひんやりとした朝である。

 今日は久しぶりのウィンブルドンテニス。

 ずいぶんとテニスチームが増えた。

 遊びとはいえ、指導者が必要である。

 

 国民皆スポーツといい、生涯スポーツ、健康スポーツと

言っても、スポーツは文化であり、科学であり教育である。

 だから、指導者が必要である。

 そのことが看過されているから広がらないのだ。

 

 また、スポーツは単なる勝敗を競って遊ぶ技術ではなく、

神事として楽しむ文化であると思う。

 特に、スポーツの神聖を忘れてはならない。

 だからこそ、礼が求められる。

 

 スポーツには医学的な要素が多く、唯物論になりかねな

い性格がある。

 そこに、現代スポーツ科学が陥っている堕落があるので

はないか。

 

 遊び心には、神の世界を楽しむという神聖を忘れてはなら

ない。

 だからこそ、服装も清浄なものでなくてはならない。

 競技場を汚してはならない。

 

 スポーツを清潔に、清々しく楽しみたいものだ。 

 

 

 

 

 人生の神聖と正しさの探求が信仰である 


 神聖さを見失った人間関係は穢れやすい。

 矛盾したご都合主義の言葉に穢れる。

 感情が波立ち、無理解を支配で埋めようとする。

 結局は、神聖さを見失うと言うことは、傲慢と卑屈の支配

関係を生み、智慧を見失う。 

 

 信仰とは服従でも洗脳でもない。

 神なるものへの探究心である。

 支配的人間関係を超えた向上心である。

 私利私欲でも自己保身の願いでもない。

 使命を求め、死に甲斐を求める向上心である。

 

 日本人は、信仰の精神を見失ってはならない。

 聖なる精神を回復しなければならない。

 神の前の謙虚と探究心に目覚めなければならない。

 

 穢れた国家観ではなく、仏国土日本、神国日本という神聖

な国家観を回復したいものだ。 

 そして、神の国にも軍神の働きがあり、聖なる国を守って

いるということも、理解すべきことである。

 

 新しい政権の受け皿として、幸福実現党があるのではな

いかということが話題になりつつある。

 『神も仏もある国づくり』をしたいものだ。 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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