花過ぎて 左に入りし 枝垂かな
梅士 Baishi
桜はすっかり散り過ぎて緑を描き始めているが、遅咲き
の枝垂桜は、まだ、満開に枝垂れている。
舞妓はんの髪飾りのような、ひな祭りのような桃色の花
である。
帰り道、遠回りをして、枝垂桜に一息をつく。
今朝の気温は10℃。
少し、ひんやりとした朝である。
今日は久しぶりのウィンブルドンテニス。
ずいぶんとテニスチームが増えた。
遊びとはいえ、指導者が必要である。
国民皆スポーツといい、生涯スポーツ、健康スポーツと
言っても、スポーツは文化であり、科学であり教育である。
だから、指導者が必要である。
そのことが看過されているから広がらないのだ。
また、スポーツは単なる勝敗を競って遊ぶ技術ではなく、
神事として楽しむ文化であると思う。
特に、スポーツの神聖を忘れてはならない。
だからこそ、礼が求められる。
スポーツには医学的な要素が多く、唯物論になりかねな
い性格がある。
そこに、現代スポーツ科学が陥っている堕落があるので
はないか。
遊び心には、神の世界を楽しむという神聖を忘れてはなら
ない。
だからこそ、服装も清浄なものでなくてはならない。
競技場を汚してはならない。
スポーツを清潔に、清々しく楽しみたいものだ。
【 人生の神聖と正しさの探求が信仰である 】
神聖さを見失った人間関係は穢れやすい。
矛盾したご都合主義の言葉に穢れる。
感情が波立ち、無理解を支配で埋めようとする。
結局は、神聖さを見失うと言うことは、傲慢と卑屈の支配
関係を生み、智慧を見失う。
信仰とは服従でも洗脳でもない。
神なるものへの探究心である。
支配的人間関係を超えた向上心である。
私利私欲でも自己保身の願いでもない。
使命を求め、死に甲斐を求める向上心である。
日本人は、信仰の精神を見失ってはならない。
聖なる精神を回復しなければならない。
神の前の謙虚と探究心に目覚めなければならない。
穢れた国家観ではなく、仏国土日本、神国日本という神聖
な国家観を回復したいものだ。
そして、神の国にも軍神の働きがあり、聖なる国を守って
いるということも、理解すべきことである。
新しい政権の受け皿として、幸福実現党があるのではな
いかということが話題になりつつある。
『神も仏もある国づくり』をしたいものだ。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi