春ぼたん 天の恵みし 緋を開き
馬糞 Bafun
色とりどりに、成長著しい春であることよ。
見事な春ボタンや芍薬であってさえも、埋もれてしまいそうなくらい
に、たくさんの草花が成長の喜びを表現している。
その生命に恵まれた成長力とその花を、迷わず、恐れず、素直に
花開いている。
迷いも、恐れも、他人と比較した不平不満であり、不幸感覚にほか
ならないであろう。
人間に与えられた創造力を、何ゆえに不幸の拡大生産に振り向け
るのだろうか。
自分に与えられた唯一の個性を、何ゆえに他人と比較しようとする
のか。
それぞれの幸福をもたらす努力の分野が、個性的に違うだけのこ
とではないのか。
一歩先の他人は、目標であり、希望であるものを、何ゆえに、それ
がなければいいのにと、嫉妬するのだろうか。
花もまた、さまざまなことを、人に教えてくれるものである。
【努力論】
花のように、人もまた、輝きだそうとする神性、仏性を本質として
いるであろうに、一体、何に迷っているのであろうか。
努力するほかはないのに、その時間に耐えないまま、不足をいっ
ているのだろうか。
その努力こそが楽しくて仕方がないのに、その若さを、その老体を
もてあましている。
努力こそが生きがいであり、努力こそが幸福であるのに、その努力
をお金で買おうとでも思っているのか。
神性・仏性とは、努力を至福とする成長してやまない魂の由来である。
幸福な家庭は、努力してやまない家庭にある。
幸福な人生は、努力してやまない生き方の中にある。
幸福な人間関係とは、ともに努力してやまない仲間である。
ということは、貧しいものこそは、無限の幸福を展望しているものに
他ならない。
劣っていると見えることは、たくさんの幸福を指し示されている恵ま
れた境遇である。
何をおそれ、迷うことがあるだろうか。
恵まれた人生を、素直に生きようではないか。
この机上に積まれた本の堆積もまた、幸福の風景であり、有り余る
ほどの希望であることよ。
梅士 Baishi