大寒の 清めし手水に 手を清め
馬糞 Bafun
里の水も凍るという大寒。
清めの寒さというべきか。
とは言っても、暖冬ではある。
冬は生物の繁栄を許さない厳しい季節である。
木立は葉を落とし、鳥も動物も命がけで春を待つ。
いわば、孤高の厳しさがある。
孤高はシンプルであり、清純で美しい。
自然の厳しさには、研ぎ澄まされた美しさがある。
しかし、人の世の厳しさには、信頼を裏切る邪悪な心の闇が広がっ
ている。
これには美しさがない。
だからといって、都会を離れ、孤高の世界に篭ることは人間の本質
に反する。
人は関係の中に生かされているからである。
では、人は関係としての邪悪にどう向き合ったらよいのか。
いじめに遭遇している子供たちの苦しみでもある。
自然の中にありながら、なぜ、人の心に邪悪があるのか。
自然は神が創られた世界である。
だから美しい。
人もまた、神が創られた。
ならば、人も美しいはずだ。
本来はそうである。
しかし、人の心は創造する権限を神から与えられた。
それは、孤高の美しさにはない、繁栄への挑戦であったろう。
繁栄とは関係としての美である。
その難しさは、個人としての意識が関係という目標を見失うところ
にある。
人間の邪悪は、神としても新たな創造への試練であるに違いない。
だからこそ、人は善良でありつつ、邪悪と向き合ってこれに光を当
てなければならない。
神もともに戦っているのだ。
《組織犯罪への対処》
組織犯罪といっても、その正体はボス一人である。
犯罪組織は、恐怖でつないだ尻尾で悪事を働く。
だから、尻尾をたどってボスを見つけ、頭から一人一人押さえ込む
ことだ。
そのためには、善の力を結集し、圧倒的な光の束となって悪党の
ボスを白日の下にさらし、隔離して制裁することだ。
徹底的に監視し、悪事を引きずり出すことである。
学校にも、制度的に警備会社等の監視員をおいて、問題児を監視
するとよい。
学校を治外法権としてはならない。
ボスをつぶせば悪の組織は崩壊する。
なぜなら、悪の勢力はばらばらだからである。
悪は自己中心であり、孤独な闇である。
組織犯罪といっても、それは信頼関係でつながってはいない。
自己中心を取っ手に、恐怖という鎖で繋がれているにすぎない。
断ち切られたいと願うもろい鎖である。
これに対して、光は無限の相乗的な関係として結び合うものである。
連携し、結集することが大切なのだ。
神は、孤高をもってよしとはしなかった。
だから、人を創った。
ゆえに人は、孤高であってはなるまい。
関係の美を探求しなければならない。
繁栄をこそ求めるべきである。
高貴で豊かな人間関係を作ってゆくべきである。
人間関係は誠意によってつくられる。
愛によって希望をもつ。
智慧によって強くなる。勇気によって道を切り開く。
《新しい企業評価の基準・・・ 雇用と賃金の体系》
企業もまた同じである。
恐怖によって繋がれた組織になっていないか、反省すべきである。
誠意と愛による絆が、巨大な智慧と勇気を生んでゆく。
経営者は、孤高を気取ってはなるまい。
ましてや恐怖で社員をつないではなるまい。
人を動かす力は、命令ではない。
愛である。
正しさである。
神の意に叶った願いである。
人々に尽くす誠意と愛と智慧と勇気を日々に反省しなければなら
ない。
そうでなければ、その企業は錆びてしまうだろう。
不二家という会社もまた、恐怖政治の企業になっていたことであろう。
買収され、再建しようにも、人間関係を総入れ替えにしなければ悪
い体質は変わらない。
生活が成り立たないような雇用は、誠意のない経営者のする
こと
である。
低賃金の会社は、会社としての存在資格がない。
競争を悪いものにする企業である。
企業のモラルとして、消費社会のモラルとして、家族を養える賃金
を基準として組み立ててゆかなければならない。
低賃金の企業は、社会的に貢献できない会社、信用のない会社で
ある。
従業員の豊かさ、幸福度による評価が重視されるべきであろう。
そのような格付機関があってよい。
社員を貧しくする企業に投資してはなるまい。
力を貸してはなるまい。
企業に注がれるべき光は、正しい基準を持った市場の監視ではな
いだろうか。
会社四季報にも、企業の賃金体系を明らかにすべきであろう。
教育とは幸福な人間関係とは何かを考える基礎作りである。
企業の使命は幸福を増産することにある。
れこそが、教育の本質であり、企業の倫理であることを忘れてはな
るまい。
馬糞 Bafun
冬の雲仙にセンダングサの小花が咲いていた。山に入ると、セーターにいっぱい
くっつくやつだ。
春遠く 数ゆる花は 冬枯れの
草の波間の 渡し舟かも
白川 馬草 Magusa