毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

今週の読書

2006年02月03日 21時57分52秒 | 読書
 今週は忙しくて本を読む時間がまるでなかった。そんなわけで今週は2冊しか本を読んでいない。


後藤田正晴「語り遺したいこと」
 お互いの立場の違いは明白にありながらも、なお、共通の言葉で語り得る可能性を感じさせる加藤周一との対話など、後藤田正晴は単に保守派の政治家というだけでなく、高い知性と理念の持ち主であったことを如実に示している。もちろん、そうした姿を現出させるのは対談相手である加藤周一が素晴らしい知性の持ち主であることと対談名手であることの証でもあるのだが(ぼくは高校時代、ノーベル賞作家のモラヴィアと対談している加藤周一を見て感動したものだ)。
 また後藤田正晴という政治家の中でも希有なバランス感覚の持ち主からは、現在の日本は、バランスを失い、きわめて危うい状況の中にあるように見えるのだろう。そしてそうした感覚を今一度持つことも大切ではないだろうか。

立川談志「立川談志遺言大全集1 書いた落語傑作選1」
 さすが志らくの師匠。落語に対するメタな視線と愛情(業)に満ちあふれている。今回の傑作は「風呂敷」。登場するおかみさんが延々と迷走をする。これがいい。
 おかみさん「大変、たいへん、タイヘーン」と飛び込んでくる。
 にいさん「北朝鮮でも攻めてきたのか」
 おかみさん「北朝鮮なんぞ攻めてきたって、大丈夫よ。ウチは町内会がしっかりしてるから」
 もうワケわかんない。
 「竈幽霊」の疑問も、そう、ぼくも前からそう思ってた。だって、ハナから道具屋んとこ出てりゃ、話も早いんだし。
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植田正治展

2006年02月03日 17時35分06秒 | 読書
植田正治展

 東京都写真美術館で「植田正治:写真の作法」を見た。
 植田調、UEDA-CHOがフランスで通じる彼独特の世界。対象に向けた視線は柔らかく、優しく、どことなくユーモラスですらある。不思議な感覚のずれが、ちょっと寺山っぽく感じる。う~ん、たとえば砂丘。光、乾いた砂、そこに佇む和服姿の女性。
 あるいは「パパとママとコドモたち」。一連の流れから瞬間を切り取ると、不思議な瞬間になることがある。まさにそれ。
 またお面の面白さも感じた。お面を被っている写真がいくつかあったのだけれど、そこにお面があるというだけで、その写真全体が変容してしまう、その変化を如実に感じることができた。面を中心にそれをとりまく世界が奇妙な感じにうねるのだ。
 そのユーモラスに切り取られた瞬間、瞬間、そしてその瞬間を形作る黒と白、そしてグレーに潜む物語性に思わず微笑んでしまう展示であった。

 残念なことに2月5日(日)まで。ご近所の方は是非どうぞ。
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三浦半島5

2006年02月03日 01時57分35秒 | 観光
 朝、窓からの日の出がなかなか見物だった。

 「ここんとこ、ものすごい短期間に海の日の出を連発で見ている気がする」とぼく。
 「日の出なんて久しぶりだよ」とヤツは嬉しそうに言った。「今日も天気がよさそうでよかった。岩礁の道を歩くにぴったりだ」
 「ほんとに行くのか? 二人とも革靴じゃないか」
 ここの近くには岩礁の道、という11キロからなるハイキングコースがある。彼はここを歩きたい、と。しかしふたりともネクタイ姿に革靴。

 これがぼく。なんという場違いな格好だろう。腰にセーター巻いてるし。お互いを撮り合ったのだが、逆光をまるで無視した彼のカメラワークがナイス。
 ここはとても楽しい場所だった。スニーカーをはいていたらもっと楽しかっただろう。石灰岩が打ち寄せる波で削られ、いたるところで不思議な形を残している(これが歩くのにくせもので、革靴を1足だめにしてしまった)。

 この岩の形に人間の来し方など鼻にもかけない気が遠くなるような時間の蓄積を感じる。
 さらに崖。

 褶曲した地層。ここにも人間のスケールでは考えもつかないような莫大な力が形として表されている。
 砂浜ではなく、変形した岩場をひいひい言いながら歩き、ようやく宮川町のバス停に。

 バス停はタクワン作りの大根干し場と化している。不思議なところである。ここからバスに乗って、三浦海岸駅へ。彼は京急で羽田へ。ぼくは京急で品川へ。1泊のあわただしい旅だったけれど、満足してくれたかな? 
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