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ブラックセプテンバー/五輪テロの真実(2)

2006年02月17日 12時55分14秒 | 映画
 まず選手の格好をさせた警官たちを占拠されたビルの屋上などに配置し、突入させようとした。その姿を見て思わず一言。「バレバレじゃん」
 各国のトレーナーを着てライフルを持った人間がビルの屋上などをうろうろしているのだ。ものすごい光景だ。そして案の定、その姿が全国にテレヴィ放送されていることを知り、この作戦を断念(最初から考えとけよお、と突っ込みの嵐だ)。
 ゲリラ側も長引くことによる消耗を恐れ、逃走用の飛行機を要求。人質とともに安全な国へ出国しようとした。
 ドイツは要求通り逃走用の飛行機を用意し、空港まで人質とともにヘリで輸送。
 その一方でその飛行機には警官を乗り込ませ、空港には狙撃手を配置、ゲリラを制圧しつつ、装甲車を突入させて人質の確保を目指した。
 しかしドイツはこの3つのこと、飛行機の警官、狙撃手、装甲車、すべてに失敗する。
 まず飛行機に乗った警官たちが、全員一致で「危ないから」飛行機を降りてしまう。そう、作戦に無理があるのだ。しかもこのことが狙撃手に知らされていない。
 次に狙撃手。8人のゲリラに対し、用意されたのはたったの5人。しかも無線機を付けていないので、狙撃の指令も状況の確認もできない。
 最後にもっともすごいミスは装甲車。警察はこの手配をなんと「忘れた」のだ。しかもミュンヘンに装甲車はなく、隣町から渋滞する道路を走ってくるハメになる。装甲車が駆けつけたのは、銃撃戦が始まって一時間もあとのことだった。
 ヘリから降りたゲリラのリーダーは確認のため飛行機にやってくる。そして誰もいない飛行機を見て、罠だと気づき騒ぐ。ゲリラが何人いるか知らなかった狙撃手たちは、無線機がないので命令を受けることもできずに、ただ、なんとなく、そう、なんとなく銃撃戦が始まる。照明が撃たれて、あたりが真っ暗になる中2時間にわたって銃撃戦が繰り広げられる。飛び交う弾丸、炸裂する手榴弾。
 そして最悪のシナリオ。人質は全員死亡。ゲリラは5名死亡、3名逮捕。
 カメラはドイツの対応のまずさを糾弾する如く、容赦なく、無惨な遺体を映し続ける。
 焼けた遺体に無機的におかれた数字のプレート。
 悲惨な結末がイヤと言うほど伝わってくる。
 事件から7ヶ月たったある日。不思議な事件が起こる。
 女性や子どもの乗客が一人もいない上に、数人の客しか乗っていない大型ジェット機がハイジャックされる。犯人の要求はドイツに逮捕された3人の釈放。ドイツ政府はイスラエルに打診することもなく、早々に要求をのみ3人を出国させる。
 映画では政府関係者は否定することもなく曖昧な表情をしていたが、そう、これ以上パレスチナ問題に関わることをいやがったドイツ政府の芝居であった。
 この事件に関するドイツの対応、その責任の取り方には非難されるべきものが多くあると思う。
 大きな事件の単なるドキュメントを超え、この映像のもつ力はすごい。巧みな編集、貴重なインタビュー(とくにジャマール・アル・ガーシー)、DVDにもなっているそうなので未見の方にはお勧め。
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ブラックセプテンバー/五輪テロの真実(1)

2006年02月17日 12時17分38秒 | 映画
 1999年アカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞。たぶんスピルバーグの「ミュンヘン」上映がきっかけで放映されたのだろう。しっかりとした作りで瞬く間に画面に引き込まれた。
 この映画とは関係ないが、グループ名「ブラックセプテンバー」をミュンヘン五輪テロが9月だったからと勘違いしている人が多い。彼らのグループ名の9月はミュンヘン五輪の1972年ではなく、1970年9月にちなんでいるのだ。ヨルダンとPLOとの関係が悪化し(かなり単純化した言い方だが)、ヨルダンのフセイン国王は1970年9月PLOを弾圧。その際のPLOの死者は5000人とも伝えられている。もちろんこれはヨルダン側が一方的に悪いわけではない。ヨルダンはPLOのよき支持国であり、訓練基地などの提供もしていた。それに対し、PLOがしだいに横暴化し、ヨルダン国内で資金調達と称する強盗を働いたり、パレスチナ人から搾取したりし始める。決定的になったのは5件のハイジャック事件だ。ハイジャックした機をヨルダン国内のドーソン基地に着陸させ(失敗したり、滑走路が短くて着陸できない場合もあったが)、ここから各国に政治犯の釈放などの要求をした。
 さすがのフセイン国王もこれにはキレた。今まで我慢しためていた鬱憤が爆発。戒厳令をひき、国王親衛隊のベドウィン兵にPLO討伐を命じたのだった。これが1970年9月。PLO側はこの事件を「ブラックセプテンバー」と名付け、これ以降国際テロをするときのグループ名にしたのだ。
 映画の内容に戻る。
 まずは当時のセキュリティー観念のなさに驚く。夜中銃をもったゲリラたちが塀を乗り越えて難なく選手村に入っていく。しかも酒を飲んでいて閉め出されたアメリカ人選手たちと力を合わせて。アメリカ人たちと「ありがとう」を言い合って別れたあと、彼らはイスラエル宿舎へ向ったのだ。今では考えられない。
 そしてすごいのは、この証言をした人間。これを証言できるのは実行犯だけだ。そう、この映画には実行犯最後の生き残り、当時18歳だったジャマール・アル・ガーシーが出ているのだ。今でもモサドに狙われているので、もちろん顔は隠してだが。
 事件の時間に沿って映画が進むに連れ、驚くのはドイツ側のこれでもかこれでもかという程の対応のまずさだ。ドイツというともっとしっかりした国や人を思い浮かべていたのだが(実際にミュンヘンに行ったとき、いろんな人間と話していてそう思ったのだが)、このドイツの対応の悪さは犯罪に匹敵するほどだ。現にその悪さが惨事をエスカレートさせた。
 ドイツはミュンヘンオリンピックを支障なく続行できるように、とにかくスピードを優先した。

 長くなるので続きます
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