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肖像写真の愉しみ2 ナダール

2006年02月21日 11時00分48秒 | 読書
パリの肖像
      ポール&フェリックス・ナダール  立風書房

 よくジャズなんかの評論に出くわす「時代と寝る」という表現がある。
 比喩として何も「寝る」という言葉を用いなくてもいいじゃないか、と思うけれど、まあ、要するにその時代の空気、匂いを強く感じさせ、まさにその時代でなければできなかったようなことに対して使われる。
 その意味で1820年に生まれ、20世紀まで生き続けたナダールは、その活躍を考えると「時代と寝た」人間であった。
 ナダールはもちろん肖像写真家として有名であるが、彼はほかに風刺画を描き、小説と回想記をものにし、気球乗りとしても有名であると同時に、ジャーナリストであった。
 青年期フランス文壇にはバルザックが君臨する。ナダールの成熟とともに、時代はボードレール、フローベールの時代に、ジュール・ヴェルヌも活躍しはじめる。彼の出世作「気球に乗って5週間」は、ナダールが建造中の気球にヒントを得た物だった(彼の「月世界旅行」の主人公アルダンはナダールのアナグラムである)。まさに文学が百花繚乱と咲き誇る中、ナダールは多くの文人と交遊を結ぶ。いつの時代でも文学しか知らない文学者はいない。ナダールの交遊の中には、多くの音楽家、美術家が含まれる。
 彼の肖像写真の一枚、一枚はその時代をとことん生き抜いたナダールの人生を物語っている。
 大きな店を構えるようになっても、ナダールはとまらなかった。帝政を嫌い、パリ・コミューンに参加、ポーランドの蜂起には兵士として出かけてゆく。コミューンが潰れると敵方の総帥チエールに直談判に出かけ、コミューン側の将軍ベルジュレの国外亡命を黙認させる。ナダールは大いなる反抗者だった。帝政に反抗し、ナポレオン3世に反抗し、ブルジョワに反抗し、コミューン弾圧者に反抗し、植民地収奪者に反抗した。ナダールの人生に美しい友情は多かったが、安定はなかった。70歳で生活費に困窮すると、マルセイユに移り、そこで70歳でもう一旗あげる。
 ナダールのこれらの肖像写真はフランス文化に興味があるものなら、いや文化というものに関心がある人なら、多くの知っている名前を見つけるだろう。ジュール・ミシュレ、デュマ、デュマ・フィス、ユゴー、ジョルジュ・サンド、ネルヴァル(しかもこれは発狂して首をくくる直前のものだ)、テオフィル・ゴーチエ、ゴンクール、ツルゲーネフ、ファーブル、ドーデ、ヴィリエ・ド・リラダン、ゾラ、マラルメ、ユイスマン、モーパッサン、プルースト、文学者だけでもこんな調子。これに画家や音楽家が加わる。
 こうした人々の写真を残してくれただけでも後世の人間はナダールに感謝すべきだ。
 さらにそれ以上に素晴らしいのは、生涯の友人ボードレールの若い頃と晩年の肖像だ。 波乱の生涯を送った長命のナダールと不幸で短命だったボードレール、彼らの交流を思い浮かべてしみじみとしてしまった。
コメント
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