毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

早稲田対トヨタ

2006年02月13日 09時03分53秒 | 

 「勝っちゃったらどうしよう」
 「まさかなあ~ハハハ」
 2つのペナルティゴールを決めたあとぼくたちの回りの反応はそういうものだった。
 多くのファンは早稲田が勝つところを見に来たわけではなかった。佐々木組の最終試合、今年で任期が切れる清宮監督の最終試合、それを見届けようと集まっていた。
 相手は社会人トップリーグのトヨタ。
 勝つ、なんて思ってもいなかった。
 「まさかな」が「おいおい」に変わったものの、後半いきなりトライを奪われ、「やっぱりな」に。しかしそれがトライではなく、逆にトヨタのオブストラクションとわかると場内は「もしかしたら」の雰囲気に。
 そこからは観客七転八倒。
 胃に悪い、胃に悪いよお、とぼやきながら見ているヤツ。
 声をふりしぼって応援するヤツ。
 やめて、やめて、やめてー、と絶叫している女性。
 泣いてるオヤジ(ぼくじゃないよ)。
 阿鼻叫喚の渦。
早稲田が東芝府中に勝ったとき、日本代表がスコットランド15に勝ったとき、雪の早明戦、それぞれぼくは競技場で見ていた。久しぶりにあの興奮が甦った。
 いつもなら今のプレイはね、トライよりも、その前のセンターのボールを離すタイミング、あれがすごいんだよ、などと連れに説明していたのだけれど、この日はだめ。
 写真もなし。
 目の前で曽我部がインゴールにダイブしたとき、写真を撮る腕は天高く突き上げられていた。
 トヨタのインプレイがなかなか切れずジリジリしながらも、ようやくノーサイド。
 わき上がる歓声。
 その一部、後ろの席で…。
 「勝っちゃったよお。どうする来週?」
 「来るしかないだろう? それにしても新幹線代がぁ………」
 もう一試合佐々木組の試合が見られる喜びには代え難いね。
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立川談志遺言大全集2

2006年02月12日 09時48分13秒 | 読書
立川談志「立川談志遺言大全集2 書いた落語傑作選2」

 古谷三敏の「寄席芸人伝」に下ネタばかりやる落語家の話があった。ときは戦前・戦中。下ネタの落語家を文化人たちが反権力だともてはやす。時局が切迫するに連れ、しかし、文化人たちは下ネタではなく、「愛国」だの「七生報国」だの言い出す。当の落語家は相変わらず下ネタを続け、あるときは宮様の前でもやり(今日のはとくに汚ねえなあ、と回りがびっくりするような)、当局にひどい目に合わされる。それでも下ネタを続ける落語家。
 そう、彼の芸は、それで完結しており、それを全うすることこそ芸人魂を貫くことと同義であった。
 偉そうなこと言う人間を、下ネタによって人間の普遍的な部分までひきずりおろす。そこに笑いがあり、また偉さに対する健全な反応の一つと言ってもいいだろう(ルネサンス期の巨人フランソワ・ラブレーを今思い起こした人、あなたは偉い!)。
 常に偉そうなことを言っていた文化人たちが戦後コソコソとし、下ネタを貫いた落語家が堂々としている。だって、文化人たちは偉そうな物言いだけ同じで態度をころころ変えたのに対して、落語家は一貫して踏みとどまったから。
 さて、この2巻には「勘定板」が収録されている。あまり落語全集などには載らない話。枕からキタナイ。この話もふくらませ方、終わらせ方によってキタナサのエスカレーションが限りないだろう。
 「”閑所場”というのもある。つまり静かな処、といことらしい。成程、あそこは静かだ。第一、一人で満員。あまりトイレのダブルとかツインてなァねえや。もっとも中国へ行くと凄えぞォ………」

 と、今週はこの5冊でした。
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妖怪と怨霊の日本史

2006年02月11日 09時20分41秒 | 読書
田中聡「妖怪と怨霊の日本史」

  怨霊も妖怪も幽霊も、それが生まれたのは、人間がそれぞれを意識したときに始まる。恐竜やカンブリア紀の愉快な仲間たちと異なり、人類が誕生する前の古い地層から怨霊の化石を発見することはできないのだ。
 人はどのようにそれを意識しはじめたのか。
 妖怪と名指しはされなかったが、古代から続く概念。これが奈良期に怨霊と別れ、さらに平安期、この怨霊が個人的な内面を持つことによって、幽霊へと進化(?)していく。この変遷がさまざまな怪異妖怪怨霊譚によって語られていく。楽しい。
 著者のあとがきによれば、妖怪のエピソードを通じて古代から現代までの通史を書く野望があるとのこと。是非、平安から中世期の続きも期待したい。

 「鬼とは、心に地獄を作り出した者たちの姿でもあった。」
 能の「鉄輪」にしても、異人としての鬼ではなく、心に地獄を作り出してしまった女だった。
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評伝マイスター・エックハルト

2006年02月10日 15時51分56秒 | 読書
ゲルハルト・ヴェーア「評伝マイスター・エックハルト」

 翻訳がもうちょっとどうかなってたら、エックハルトの入門書として面白かったかもしれない。
 昔エックハルトの説教集を読んで、一遍上人の考えとかなり近いんじゃないか、と感心したことがあった。生まれは一遍上人の方がちょっと早いが、まあ同時期の中世、片や鎌倉、片やドイツ。どちらも求めたいものを厳密に求めようとして、それが対象として求められるものではないことを痛感したのではないか、と思う。法や神や仏、など言葉は違うにしても。
 エックハルトの言う一者と一遍の言う不二はまさに通じ合う。
 「神はまったくの一であり、どのような様態も特異性もないのであるから、神とは父でもなければ子でもなく、聖霊でもないのである。」(ここにこれと対応する一遍上人の言葉を入れられたらいいのだが、引っ越しのためその本はまだ段ボールの中………)。
 このようなことを中世に言ってしまったエックハルトは、やはり異端審問の標的となる(全然関係ないがぼくは「まさかのときにスペインの異端審問」というモンティ・パイソンのギャグが大好きである)。
 栄達きわまりない前半生に比べ、年を取ってからのエックハルトの姿は悲しい。
 さて、この本の特徴は、最後の3章にある。エックハルトの生涯(分からない部分も多いが)や説教の解説を書いてある本は多いが、その思想が今日どのような影響をもたらしたのか、あるいは現代の作家や思想家の中にどのようなエコーを響かせているのか考察した本は少ない。ナチス、マルティン・ブーバー、エーリッヒ・フロム、カール・グスタフ・ユングなどなど。しかし、限られた紙数のせいか、どれもが舌足らずな印象をぬぐえない。
 つまり、この本の立ち位置が分からないのだ。初心者に読ませるには、説明が足りないし、エックハルト好きな人間に読ませるには食い足りない内容。翻訳ともども、ちょっと不満。

 「神秘思想家とは今ここで信じる者である。キリスト教の神秘を今ここで覚りそれによって生きる者である。」
 空海の即身成仏にもつながる概念である。
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カルティエ・ブレッソンのパリ

2006年02月10日 12時31分28秒 | 読書

「カレティエ=ブレッソンのパリ」  
 決定的瞬間。 
 まさに、写真を撮ろうとする人間にとってもっとも大切なことかもしれない。人はその瞬間を求め、重い機材を担いで山に登ったり、海に潜ったり、ロケットに乗ったり、六本木で何時間も張り込んだりするのである。
 アンリ・カルティエ・ブレッソンはこの世のどんなものでも決定的瞬間があると考える。特別なものではない。どこにでも、何にでもある。しかし、その決定的瞬間なのだ。この本は彼の愛するパリの市井での決定的瞬間を収めた写真集である。
 と説明するまでもないこの有名な写真集。見たことなくても水たまりの上を人が影を落として飛んでいる写真など、写真そのものをご存じの方も多いと思う。
 一枚一枚めくるのが楽しい131枚のパリの旅だ。
 未見の方はマグナムのページ(日本語)で見られます(買えます)。カルティエ・ブレッソンの主要な作品が多く見られるので、お勧めです。ぜひどうぞ。
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サルトルの世紀

2006年02月10日 07時23分56秒 | 読書
 ベルナール・アンリ・レヴィ(BHL)がサルトルについて書く。これにあまり触手が伸びなかったのは、昔の恋人について他人に悪口を言われることが(その悪口は正しいかもしれないし、自分でもそう思うにしても)、面白くないという気分に似ている。
 そう、ぼくはサルトルが大好きだったのだ。中学生のとき夢中になって、明けても暮れてもサルトル。サルトルはぼくのヒーローだったのだ(もう一人のヒーローがウッディ・アレンだとは、なんだか眼鏡の小男好きみたいだが)。
 しかし、ここで描かれているサルトルの姿は驚くほど賞賛されている。
 サルトルだけではない。カストール(ボーヴォワール)のこと。そして二人のこと。
 「いったいどうして、こうしたこと一切を理解するのに人々はこれほど苦労するのか?
 二十世紀が知った、もっとも奇妙なラヴ・ストーリィの一つかもしれないが、同時にもっとも麗しいラヴ・ストーリィの一つでもあるものを、どうして人々はかくも執拗に戯画化し、滑稽化し、矮小化することに血道をあげるのか?」
 実際サルトルは間違わなかったか?
 いや、やはり個々の事象について彼は間違いを犯しただろう。
 それについて厳しい批判を繰り返していたBHLが、なぜここにきてこれまでのサルトル礼賛を繰り広げるのか。
 われわれが考えているサルトルは「実存主義はヒューマニズム(ユマニスム)である」という講演に見られるように、ユマニストとしてのサルトルであるが、BHLは「嘔吐」や「存在と無」などの読解から反ユマニストとしてのサルトルを評価する。BHLによれば、ユマニスムは現実の人間を、よりよい存在にしようとする考え方で、その帰着がときに強制収容所であったり、思想の弾圧、大量虐殺につながるという(これこそ彼の言う「人間の顔をした野蛮」だ)。したがって、そうした読解から見られる反ユマニストのサルトルはよい存在なのだ。ここが今回BHLがサルトルを大きく評価する点である。
 しかしその一方、共同体思想を持つ悪しきサルトルが存在した、とも言う。その悪しきサルトルと良きサルトルの相反が、ソ連賛美やマオ派の若者への支持という矛盾した行動をとらせることになった、と言う。
 アパルトマンをOASに爆破されたりしながらも、常に人々の先頭に立ち、人々に愛されたサルトルが、構造主義の時代、批判すらされることなく忘れ去られたような観があったが、ここにきてまた新たな評価が生まれる機運が起きている。
 この本がそのきっかけの一つとなったことは確かで、その意味でも大きな役割をもった本と言っていいかもしれない。
 また、ときとして彼の「ほら、どうだ、ぼくの文ってすごいだろ?」というところが鼻につかなくもないが、確かにそのダイナミックで生き生きとした文章は、邦訳900ページの本を一気に読ませるリズムを持っている。サルトルをこれから読んでみようかと思う向きにもお勧めだ。

 P.S.ぼくがここで言っているユマニスムは、渡辺一夫が言うユマニスムとは異なっていると思う。渡辺一夫が言うユマニスムは狂信の時代に、人が生きる上できわめて大切な概念だと思う。
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雪解け

2006年02月08日 08時37分41秒 | 写真


 引っ越してから通勤ルートが変わったので、カメラを持って歩くのも新鮮です。
 そのうち飽きちゃうのかもしれないけれど。
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広隆寺の蝋梅

2006年02月07日 20時31分21秒 | 観光


 体の節々が痛いです。
 でも仕事が………。

 写真は去年のもの。
 元気になってまたこんな花を見に行きたい。
 冬来たりなば春遠からじ、を信じよう。
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束の間の存在

2006年02月07日 11時33分43秒 | 写真


 今日はシグマの50mmF2.8DG MACROと通勤。
 いつもはズームを使っているのですが、単焦点の描写はいいですね。
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VIET NAM そこは、戦場だった

2006年02月06日 20時00分17秒 | 読書


 東京写真美術館
 「発掘された不滅の記録1954-1975 VIET NAM そこは、戦場だった」


 イスラム教徒の攻撃はテロであり、アメリカ政府のやることは「自由を守る」ことである。戦後アメリカ政府は世界中で「自由を守った」。
 「9月11日だった。意を決した数人のパイロットによって異常な針路をとった飛行機が、彼らの憎むべき政治体制のシンボルを壊滅すべく、大都市の中心部に向けて突進した。瞬時の爆発、四方に飛び散る破片、地獄の轟音のなかで崩壊する建物、愕然として瓦礫のなかを逃げまどう人々。そして、この惨劇を生中継するメディア………」(イニャシオ・ラモネ「敵の出現」ル・モンド・ディプロマティーク)
 2001年の話ではない。1973年チリの首都サンティアゴの話だ。この攻撃を主導したのはアメリカ政府であり、彼らが目指したのは合法的に選ばれたアジェンデ大統領の政府を転覆させることであった。
 アメリカ政府は「自由を守るために」、ピノチェトという独裁者を君臨させ、チリの自由を奪った(マルケスの「戒厳令下チリ潜入記」が楽しい)。アメリカの後押しでピノチェトが政権を掌握してしばらくの間に3000名が「行方不明」になったことについて、それをアメリカ政府のテロだと言ってはいけないだろうか?
 同じくアメリカがヴィエトナムでやったことも、戦争の口実さえないテロであった。
 「テロとの戦い」をアメリカ人が口にするには、まず、自らのテロ活動の精算から始めなければならないのではないか。
 もちろん、現代世界が単純な善悪二元論で切り分けることができるわけではない。
 悪の米帝と英雄的なヴィエトナム人民などというのは夢想に近いだろうし、その夢想を信じた日本の左翼が存在したこともあった。世の中はそんなに単純ではない。
 しかし、ただ一つ言えることは、裸で泣きながら爆撃から逃げる子どもの姿は、世界中誰一人として疑い得ない悲劇であるということだ。
 そしてこの爆撃は、アメリカ人がなんのいきがかりもないヴィエトナムの地で行ったことである。アメリカが太平洋戦争で日本に使用した爆弾の量はハワイから東南アジア、日本本土、アリューシャンにいたる広い戦線全部で16万トンだったが、小国ヴィエトナムに落とした量は200万トンと異常な量である(さらに隣国カンボジア、ラオスには120万トン)。その上1万人の致死量が1グラムという猛毒のダイオキシンを170kg(何人分よ?)投下。その結果ヴィエトナム人の戦死者は300万人に近い。
 「自由を守る」「テロとの戦い」、お題目はたいそうだが、そのお題目のおかげで裸で泣いている子どもたちがいっぱいいるのだ。ぼくらは想像力を持たねばならない。なすすべもなく泣いている子どもたちに思いを馳せねばならない。わかりやすいお題目に踊らされてはいけない。言葉ではなく、生身の人間の姿を、その生身の人間がぐしゃぐしゃに壊れていく様を思い浮かべなければならない。
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南大塚

2006年02月06日 16時20分43秒 | 観光


 東池袋から南大塚へお引っ越し。
 隣町だから見たことのない町ではないのだけれど、引っ越してみると意外に面白かったりする。
 いつものタムロン18-200mmではなく、ちょっとそこまでって感じのお散歩レンズシグマ18-50mmレンズをつけて。
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今週の読書

2006年02月03日 21時57分52秒 | 読書
 今週は忙しくて本を読む時間がまるでなかった。そんなわけで今週は2冊しか本を読んでいない。


後藤田正晴「語り遺したいこと」
 お互いの立場の違いは明白にありながらも、なお、共通の言葉で語り得る可能性を感じさせる加藤周一との対話など、後藤田正晴は単に保守派の政治家というだけでなく、高い知性と理念の持ち主であったことを如実に示している。もちろん、そうした姿を現出させるのは対談相手である加藤周一が素晴らしい知性の持ち主であることと対談名手であることの証でもあるのだが(ぼくは高校時代、ノーベル賞作家のモラヴィアと対談している加藤周一を見て感動したものだ)。
 また後藤田正晴という政治家の中でも希有なバランス感覚の持ち主からは、現在の日本は、バランスを失い、きわめて危うい状況の中にあるように見えるのだろう。そしてそうした感覚を今一度持つことも大切ではないだろうか。

立川談志「立川談志遺言大全集1 書いた落語傑作選1」
 さすが志らくの師匠。落語に対するメタな視線と愛情(業)に満ちあふれている。今回の傑作は「風呂敷」。登場するおかみさんが延々と迷走をする。これがいい。
 おかみさん「大変、たいへん、タイヘーン」と飛び込んでくる。
 にいさん「北朝鮮でも攻めてきたのか」
 おかみさん「北朝鮮なんぞ攻めてきたって、大丈夫よ。ウチは町内会がしっかりしてるから」
 もうワケわかんない。
 「竈幽霊」の疑問も、そう、ぼくも前からそう思ってた。だって、ハナから道具屋んとこ出てりゃ、話も早いんだし。
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植田正治展

2006年02月03日 17時35分06秒 | 読書
植田正治展

 東京都写真美術館で「植田正治:写真の作法」を見た。
 植田調、UEDA-CHOがフランスで通じる彼独特の世界。対象に向けた視線は柔らかく、優しく、どことなくユーモラスですらある。不思議な感覚のずれが、ちょっと寺山っぽく感じる。う~ん、たとえば砂丘。光、乾いた砂、そこに佇む和服姿の女性。
 あるいは「パパとママとコドモたち」。一連の流れから瞬間を切り取ると、不思議な瞬間になることがある。まさにそれ。
 またお面の面白さも感じた。お面を被っている写真がいくつかあったのだけれど、そこにお面があるというだけで、その写真全体が変容してしまう、その変化を如実に感じることができた。面を中心にそれをとりまく世界が奇妙な感じにうねるのだ。
 そのユーモラスに切り取られた瞬間、瞬間、そしてその瞬間を形作る黒と白、そしてグレーに潜む物語性に思わず微笑んでしまう展示であった。

 残念なことに2月5日(日)まで。ご近所の方は是非どうぞ。
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三浦半島5

2006年02月03日 01時57分35秒 | 観光
 朝、窓からの日の出がなかなか見物だった。

 「ここんとこ、ものすごい短期間に海の日の出を連発で見ている気がする」とぼく。
 「日の出なんて久しぶりだよ」とヤツは嬉しそうに言った。「今日も天気がよさそうでよかった。岩礁の道を歩くにぴったりだ」
 「ほんとに行くのか? 二人とも革靴じゃないか」
 ここの近くには岩礁の道、という11キロからなるハイキングコースがある。彼はここを歩きたい、と。しかしふたりともネクタイ姿に革靴。

 これがぼく。なんという場違いな格好だろう。腰にセーター巻いてるし。お互いを撮り合ったのだが、逆光をまるで無視した彼のカメラワークがナイス。
 ここはとても楽しい場所だった。スニーカーをはいていたらもっと楽しかっただろう。石灰岩が打ち寄せる波で削られ、いたるところで不思議な形を残している(これが歩くのにくせもので、革靴を1足だめにしてしまった)。

 この岩の形に人間の来し方など鼻にもかけない気が遠くなるような時間の蓄積を感じる。
 さらに崖。

 褶曲した地層。ここにも人間のスケールでは考えもつかないような莫大な力が形として表されている。
 砂浜ではなく、変形した岩場をひいひい言いながら歩き、ようやく宮川町のバス停に。

 バス停はタクワン作りの大根干し場と化している。不思議なところである。ここからバスに乗って、三浦海岸駅へ。彼は京急で羽田へ。ぼくは京急で品川へ。1泊のあわただしい旅だったけれど、満足してくれたかな? 
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三浦半島4

2006年02月02日 19時19分49秒 | 観光

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