日頃からゴルフが好きだった主人が、この日もこの愛用のゴルフバックを持って
「じゃちょっと練習に行ってくるから~」と我が家の玄関を後にし出かけて行きました。
よもやこの言葉が、主人との今生の別れの言葉になろうとは、、、、、
その後いつも行っていたゴルフ練習場で心筋梗塞で倒れ帰らぬ人となってしまいました。
周りの方のお話では一瞬の出来事で、救急車で搬送される時すでに意識がなかったよう
だったと聞いています。
おそらく主人は一瞬の苦しみだけであの世に旅立ったのだと思います。
家族が駆けつけた病院の集中治療室でも意識は戻らず、先生方の懸命の手当て
甲斐もなく、あまりにあっさりとあの世へ旅立ってしまったのです。
丁度14年前にも一度心筋梗塞で入院するということがありました。
地域のソフトボールのお仲間と朝から二試合出場し、その二試合とも勝って
「じゃ、祝杯!」とばかり飲みに出かける乗り合わせの車の中で急激な発作を起こしました。
でもこの時には幸いにも一命を取り止め、その後は奇跡的な回復ぶりで、土曜日は
ゴルフ、日曜日はソフトといかにも外見的には健康そのものでした。
このお仲間とはソフトの他にも年数回の男同士の飲み旅行に出かけたり、時にはゴルフ
コンペを開いたりとシニアライフを十分楽しんでおりました。
第二、第三のお仕事にも恵まれ、まだまだ現役に近い状態でした。
この狭い我が家の細長い庭でよく毎週のようにパターの練習をしていました。
室内でも暇さえあればクラブを持ってパターの練習に余念がなかった主人でした
ので、ゴルフ練習場での最後は本望だったかもしれません。
今でもコーンコーンというゴルフボールの音が庭から聞こえてきそうです。
まったく偶然にこんなサイトを見つけました。
(無料占い)
生年月日を入力すると、占いで有名な鏡リュウジ氏が「日食が変える、あなたの運命とは
?」を占ってくれるというものです。
試しにやってみてビックリしました。
ブログ再開はなんとなくふと始める気になったのですが、、、
偶然ではなかったのでしょうか??
以下が私の生年月日に該当する内容でした。
“日食パワーを最も受け取れる人”
日食の時期、最も強い恩恵を受けられるのはあなたです。家族や友人など、
身近な人との関わりを大事にするタイプですが、この時期は自分のエリアから
一歩だけ外に出てみることに幸運があります。
開運の鍵は「新しいことをはじめる」
自分の殻を少し破ってみることで、新しい世界が開けていくはずです。
日食当日の7月22日に、かねてからの夢に向かって、何か一つ、具体的な
行動を起こしてみてください。歯車が確かに動きだすでしょう。
「風のたより」さんの未来が明るく開けることを祈ってます。
ご本人は本望だったかもしれないけど、残された人は信じたくない亡くなり方です。でも現実を認めなくてはならず!本当になんといってよいか?
わが夫も週に3日間はゴルフに明け暮れています。
秋に娘のところに又で助っ人に行きますが一人置いていくのが心配になりました。
お悔やみの言葉もありません・・・
大変でしたね ご愁傷さまでございます。
どうぞ、ご主人さまの思い出を大切に、心の中で会話をなさってくださいね。
日食パワーを受け取られて、元気に歩んでくさい。
ご主人さまが見守ってくださると思います。
きっとご主人様が見守ってくださると思います。
このゴルフバックを見ると悲しくなります。
使い手のなくなった主人のいろいろの物が
まだまだ片付けられずにいます。
やっぱり不思議なことってあるものですね。
偶然目にしたこのサイトで試した結果に
私も驚いています。
出ませんでした。でも今頃になってからの方が
なんだかいろいろ思い出され悲しいものです。
ご主人様もゴルフをやられるのですか。
健康体でいらっしゃるならなんら問題はない
のではないでしょうか。
今では悲しいけれど人間一度はあることと思えるようになりました。
辛いけれどこの事実だけは記しておきたいと
いう思いでした。
亡くなっても主人とは四六時中いつでも会話しています。人が見たら可笑しいでしょうね。
まだ亡くなったという感覚が薄いようで、、、
あまりにぴったりのこの占いにもビックリしています。
ブログ再開のお知らせもしないまま失礼
しました。コメントありがとうございます。
まだまだいろいろ思い出し涙する日々ですが
こうして皆様に慰めて頂き、すこしづつ前に
歩けるような気がします。
日食パワーの占いにはビックリしています。
ブログ再開も偶然ではなく必然だったという
ことでしょうか。
鏡リュウジさんの母上は存じ上げている方なんですよ。
占いでより元気づけられたって素晴らしいですね。
時に付け辛い日もあるかもしれませんが又以前の
ように時々でもおたより載せて下さい。楽しみにしています。
とても残念なこととお察しいたします
奈良国立博物館の西山厚学芸部長著の「仏教発見!」に
このようなことが書いてありました
思い出せば、死んだ人は目を覚ます
思い出すとき、死んだ人は心の中で蘇る
心の中で生きているのだから、完全に死んだことにはならない
死んだ人は、その人のことを思い出す人が誰もいなくなった時、二度目の死を迎えるのである
死ぬことは 無くなることではない
「死ぬとは 先に亡くなった一番大切な人に会えること」