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ベジタリアン・マーフィーの菜食日記・日々是精進

平和を愛するベジタリアン。生命倫理、菜食、環境問題など、みんなで考えよう!

三人行かば我が師あり(論語に曰く)

2014-09-19 22:47:10 | 心の修養
論語の述而第七に書いてある、『三人行かば我が師あり』…普通に解釈すると、三人の人が歩んでいたら、そのなかに見習うべき方を見出だす。という風な意味になります。


しかし、孔子が本当に示唆したのは、『三人のうちの真ん中の人が師である』
三人というのは比喩で、うち二人は右目と左目の肉眼の意味で、三人めは肉眼ではなく第三の目を指しています。

第三の目は真理を見抜く目でもありますが、それは宇宙創造主から天賦された霊性、仏性のことです。

後々、イエス・キリストが 十字架にはりつけにされた時、右側と左側で罪人が同じようにはりつけにされました。

これは、真ん中のイエス様が真理の目であり、右側と左側の肉眼(罪人)は、罪を犯すという意味です。


肉眼は、あれが欲しいこれが欲しいと欲望の火を燃やし、あの人はどうだこうだ…と色眼鏡で悪口を言ったり、あるいは隣の芝生がきれいだと羨む心を生みます。


肉眼によってを右往左往させて罪を作らず、真ん中の目で以て、真理を学び正しい生き方を心がけて、今世の修養のなかに生きていきましょう。

人に生まれてきて、こんなチャンスは二度と無いのですから。

唯我独尊

2014-08-17 22:24:32 | 心の修養
【唯我独尊】

この言葉はお釈迦様が誕生されたとき、七歩歩いて言われた…などと故事として語られています。

ネット上で検索してみたら、一般的な解釈としては、
釈迦は衆生を救うために生まれてきたのだから、唯一私が尊い…。
あるいは、人間個人個人が尊い…などの解釈があります。

しかし『我』についての考えが浅いため、真意を解釈してないと思います。

この場合の『我』は『真我』のことで、宇宙創造主(万霊主宰)から与えられた霊性(仏性、良心)がこの世で唯一尊いものである。
と解釈するのが正しいと思います。


間違った解釈をして、自分は偉い、人間は地球上で一番上の存在なんだから、何をしてもよいんだ…と大きな勘違いをして、大きな罪を作ってしまいます。

くれぐれも、天地において創造主からいただいた霊性(仏性)が一番大切で、良心や道徳心の根源でもあることを認識しましょう。

施餓鬼供養の起源(2008年の再投稿)

2014-08-15 12:00:00 | 心の修養
皆さま、お盆はいかがお過ごしでしょうか~


本日は終戦記念日で、正午には追悼のサイレンが鳴りました。


また旧暦7月15日でもあり“中元”と言います。
中元は全ての霊を供養する(中元普渡)日で、ウランバーナと言います。

ある日、お釈迦様の弟子で神通力第一の木蓮尊者は、亡くなった母を思い、神通力を使い母を探しに行きます。

すると母は餓鬼道に墜ちて逆さ吊りにされてました。
ウランバーナはサンスクリット語で逆さ吊りの意味です。

母の喉は針のように細くて、食べ物を口に運ぶと燃えて炭になり、いつも飢えて苦しんでいます。


木蓮はお釈迦様に何とか母を救いたい!と懇願しました。



お釈迦様は、母の貪、憤、痴な行為が餓鬼道に墜ちた原因だと説明され、夏の修行が開ける7月15日に、沢山のお供えをお盆に盛り、十方の羅漢、菩薩、神聖に供養しなさいと指示されました。



この功徳により、母は餓鬼道から救われました。


これが“施餓鬼供養”の始まりです。



私たち日本人は“もったいない”精神で食べ物を大事にし、飢餓に苦しむ子供たちに食べ物が行き渡るように、意識したいですねー!

ご利益とご加護

2014-08-11 22:50:18 | 心の修養
昨日は各地で被害が出た模様ですが、私の住む地域は大した被害はなかったです。

お昼頃には台風が上空を通過したはずですが、特に強い風も吹かずいつの間にか去った模様でした。
いつも神仏のご加護に感謝しております。

神仏とか言うと、何か良いことでも期待できるのか…とご利益を求めるのが、大半の一般人の傾向ですが、人間本来の為すべきは、自分自身の過ちを改めて、磨いて浄化していくことです。
そして、その氣が周囲の人々にも影響を与えて、弥勒浄土の実現につながります。
神仏を拝んでるだけでは、前には進みませんね。


『道』を学んで実践していけば、必ずご加護はあります。
ご利益は…無いと思った方が幸せになります(笑)

蓮の華

2014-06-27 22:42:07 | 心の修養
写真は愛知県春日井市の三ツ又公園に咲いてた蓮の華です。
大賀ハス(古代)の立て看板もありました。
私の住む街のお隣、加東市社町にも大賀ハスが咲いてます。
なんだかご縁を感じますね~o(^-^)o


蓮の華は仏様の絵によく描かれていますね。

何を意味しているのでしょうか…


それは、俗世(沼池)から出て(出家して)修道して仏となる(赤い華を咲かせる)ことを意味しているのです。


さらに現在は蓮根の時代となり、泥のなかに白い蓮根を実らすのです。

つまり俗世の人が修道して真っ白な心となり、仏となることを意味しています。

お寺や教会で心を養うのも良いのですが、天からの示唆としては、一般家庭において日常生活を正して、心を修めることが本流の時代となりました。


弥勒の世が実現するか否かは、すべて人間の心次第と言えます。

貧者の一灯

2014-06-08 22:06:18 | 心の修養
今日の勉強会での教えの一つを紹介します。


【貧者の一灯】

お釈迦様がまだ在世のとき、多くの人が寄進して仏灯を点けました。

ある時、強い風が吹き大半の灯は消えましたが、一本だけ消えずに残った灯がありました。

お釈迦様は、『この灯は永遠に消えない』と仰いました。


それは無一文な女性が自分の髪の毛を切ってお金に代えて、寄進して仏灯を点けてもらったのです。

たとえローソクの灯は無くなっても、その方の真心は永遠に灯っているのです。

近江聖人

2014-03-30 22:16:52 | 心の修養
今日は滋賀県の高島市マキノ町に行ってたんですが、以前は高速道路で舞鶴まで行き、そのあとは国道をずっと走ってましが、今は高速道路が延長され小浜まで国道を走らなくなってます。
それまでは海上自衛隊や原子力発電所を横手に見ながら走ったものですが、今は全く目にしません。
高速道路を使うことで社会の一面を隠す効果も狙ってるんじゃないか!?

なんて疑念を抱いてしまう今日のヒトコマでした。


さてマキノ町と言えば、スキー場もありますが、江戸時代に活躍した儒学者、中江藤樹(またの名を近江聖人)の出生地です。

藤樹先生は、それまで学問が男子限定であったのを女性にも学んで欲しいと、漢文の孝経をカナ書きに書き直されました。

親からいただいた身体を大事にするのは孝の初めである。

天国に親の名前を掲げるのは孝の最終目標である。と教えておられます。

天国に親の名前を掲げることが出来たのは、お釈迦様やイエス様などの聖人仏陀です。

論語に書いてある、一を聞いて十を知る…本当の意味

2014-03-21 07:54:55 | 心の修養
子、子貢に謂いて曰く、「なんじと回と、いずれか優れる?」

子貢答えて曰く、「回や一を聞いて以て十を知る。腸や一を聞いて以て二を知る。」


これは、十とか二とかの理解の深さや応用力を説明してるのではありません。

【一を聞く】…一は道、真理、仏性、霊性などの意味で、聞くは、得ること。


【十】は十字架のことで縦の一と横の一の交わる点…自分のなかに仏性があることの意味を表します。


【二】…これは陰陽の世界の意味です。

つまり現代訳すると下記の意味になります。


孔子が弟子の子貢に質問した、『お前と顔回とではどちらが優れているか?』

子貢が答えた、『顔回は真理、道を得たら仏性、霊性、宇宙の根元のことを覚りました。しかし私は真理を得ても、陰陽の世界のことしか覚ることが出来ませんでした。顔回は聖人に相応しい人格者です。』


※人生で大事なのは十字架の本当の意味を知り、道を修めることに精進することです。

超能力を磨いたり、気を練り、瞑想などをしても、それは大覚とは程遠い邪道です。

多くの人々は邪道に魅力を感じて、迷いの淵から抜け出せなくなります。

真の道は本当に地味です。

誠は天の道なり…

2014-03-04 23:00:21 | 心の修養
『中庸二十章』より。

誠は天の道なり。

これを誠にするは、人の道なり。

誠は勉めずして中り、思わずして得。

從容として道に中るは聖人なり。

これを誠にするは、善を択んで固くこれを執る者なり。



※誠の心は天の道である。

天道は春夏秋冬、万物が育成されるがごときは、一ミリの狂いも無い。

しかし、凡人は私利私欲に霊性を曇らせて、なかなか誠を実現できない。


聖人のみが自然と道を得ることができるが、我々凡人は善を選んで実践し、片時も善を離すことをしてはならない。



すなわち、人の道を全うしてこそ、天道を体得できるのです。

三達徳・五達道

2014-03-02 08:30:13 | 心の修養
【三逹徳・五逹道】

この社会で行われるべき道は五つある。
◎君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友の五つの人間関係の構築。

この五つの人間関係を上手く築いていくために、必要な徳性は三つ必要だ。


◎知仁勇

知…物事の道理を学び智恵をつける。

仁…深くて広い愛情を養う。

勇…色々と困難があっても乗り越える勇気。



※後に現れる孟子は、君臣より父子を先に持ってきて、さらに内容を加えて書いてます。

父子親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり。


つまり、親子の関係は親睦であれ。

職場などの上下関係では義を守る。

夫婦、男女には各々の特徴がある。

兄弟や先輩後輩には順序がある。

友人知人においては信頼関係が一番である。