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ベジタリアン・マーフィーの菜食日記・日々是精進

平和を愛するベジタリアン。生命倫理、菜食、環境問題など、みんなで考えよう!

幸せになる観点

2014-02-09 22:01:05 | 心の修養
【幸せになる観点】

今日の勉強会での話をもう1つ。


1991年の秋、台風の影響で青森県のリンゴが9割ほど落ちて、リンゴ農家の方々は嘆き悲しみました。


ところが、ある農家の方は落胆せずに「大丈夫。大丈夫。」と。


その方は落ちた9割のリンゴに目を向けたのではなく、樹に残った1割のリンゴに目を向けていました。


そして、落ちなかったリンゴを『落ちないリンゴ』の名前で受験生に売り出したのです。


一個千円で。


すると高いけど、縁起が良いと飛ぶように売れたそうです。
これで農家の方も助かり、受験生にも喜ばれました。


あなたが観る方向により、幸せにも不幸にもなります。


もちろん、好きな方を選択できますよ~。



ひすいこたろう著PHP『心が喜ぶ生き方』25年7月号参照。

鳴かぬなら…

2014-02-09 15:14:16 | 心の修養
今日は古巣の修道場から呼ばれて、久しぶりに勉強会に参加しました。


午前10時~13時半までノンストップです(苦笑)


一つネタを書いてみますが、『鳴かぬなら…ホトトギス』は有名な言葉ですね。

殺してしまう信長、鳴かせようとする秀吉、じっとチャンスを待つ家康、三人の特徴を示してます。

ところが、タレントの萩本欣一さんは『鳴かぬなら、そのままでいいよ、ホトトギス』と詠んだそうです。

歴史上の三人は利己的な観点から見てますが、欣ちゃんはホトトギスの立場か気分を尊重して詠んだんでしょうね、おそらく。


人間というのは他人から強制されても、なかなか言う通りにはしてくれませんね(苦笑)


写真はいただいたお弁当で、卵以外は全て植物性です。

中庸第15章に曰く

2014-02-04 21:41:21 | 心の修養
【中庸第15章】


君子の道は、遠くに行くに近くから出発するようなもの。
また高く登るに低い所から登り始めるもの。


つまり聖人や仏陀は物凄く高くて遠い存在に思えるが、そんな聖人仏陀も先ず家庭を円満に(夫婦や兄弟、祖父母など)して、仲睦まじく過ごすことが基本となります。

中庸第14章に曰く

2014-02-02 23:03:35 | 心の修養
【中庸第14章】


君子は自分の立場などを本来の持ち分とよく理解して、それに最適な行為をして、それ以外の持ち分に口出ししないこと。

また富豪の家に生まれたとしても、おごり高ぶることは宜しくないです。

また貧困な家庭に生まれたとしても、卑屈にならず自分に出来る努力を積み重ねるのが宜しいです。

あるいは災難にあっても、恐れたり憂えたりはしないように。


君子はいかなる境遇にあっても、不平不満を言わず悠々自適にするものである。

中庸第13章に曰く

2014-02-02 22:48:18 | 心の修養
【中庸第13章】には『君子の道は4つある』と書いてあります。


◎我が子にあれこれ求めておるが、我が親に対してはどうか…?


◎我が部下にあれこれ要求しておるが、自分自身は上司に対してどうか…?


◎弟にあれこれしなさいと言うてるが、兄に対してはどうか…?


◎友人に何か要求する前に、自分自身から友人に先ず施すこと、いたってないな…。


君子と言うのは立派な事を述べるのではなく、日常的になすべき徳を実践して、言葉を発するときは謹しんで言うように心がけよう。

中庸・第九章

2014-01-18 21:53:33 | 心の修養
【中庸・第九章】


子曰く、国は大きいので統治するのは難しい。しかし識見ある人はよく平和に統治できる。


高位高官に登り高い給料を得るのは、人間の欲望であり、これを辞することは容易ではないが、廉潔なる人はこれを辞することができる。


このように中庸を得ることは大変に難しいが、義理に精通し(何をするべきか、如何に行うかを宜しく知っておること)仁徳の極致に至り、少しも私利私欲の念が無いならば、中庸の精神を得ることが可能である。


※仁徳(じんとく)…心広く懐の深い博愛の精神。

孔子の一番弟子、顔淵(顔回)

2014-01-18 21:23:15 | 心の修養
【子曰、回之為人也】

子曰く(孔子先生がおっしゃるには)、回(孔子の一番弟子の顔淵)という人間は、あらゆる物事において、善悪や過不及をわきまえて中庸を択ぶ。
さらに一善(真の道、正法)を得たるのちは、しっかり両手で胸に抱いて失わない。

※以下は蛇足ですが、当時、孔子は天下の大明師であり、弟子の顔淵に真の道(を伝えたことを暗に表現しているのだと個人的に解釈しています。

当時は単伝独授と言いまして、大明師は選ばれた弟子一人ないし二人程度に正道を伝承し、中国では孟子で途絶えてしまい、インドのお釈迦様にバトンタッチをすることになりました。
その後、お釈迦様から28代目の達磨大師までインドで正道は伝えられていきます。

※大明師…輪廻の苦海で迷える子羊を救うために、額に灯をつけることを天から託されています。
新約聖書の黙示録では、額に刻印を押す…という表現をしています。

この額の印は肉眼では見えません。
仏像の光背輪の中心が額の真ん中であるのは、そのことを仏師や絵師は暗に表現したのです。
この灯は功徳により大きくなったり小さくなったりします。

子曰、人皆曰予知

2014-01-16 19:04:55 | 心の修養
【人皆曰予知】


子曰く(孔子先生がおっしゃるには)、人は皆さん自分には知慧があると言うが、はたして知慧があるなら、色々なトラブルを未然に防がねばならない。

災いの根っこは地下に隠れておるが、人はそれを覚らない。

もし、よく中庸を選び固く守ったとしても、1ヶ月ももたないであろう。

喜怒哀楽の未だ發せざる、これを中と謂う。

2014-01-13 14:18:36 | 心の修養
【喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。】


喜怒哀楽の情は外物の刺激に応じて起こるものである。

この喜怒哀楽の情が未だに起こっていない精神状態は、偏ることがないので、名付けて中と言う。


喜怒哀楽の情が起こった場合、聖人君子はその情を適切にコントロールして、和を保つ。

しかし凡愚の人は節が無いので乱れてしまう。


中和を推し極むれば、国家天下の民は皆その徳に感化される。

人民皆その徳に感化され中和を保てば、すなわち天変地異など非常事態を招くことが無くなり、天地もまた平安となり、万物が育成されることになるのです。


※簡単に言うと、喜怒哀楽が激しかったり適宜で無いと、人心が乱れ、その反映として大災害や大事故が発生するわけです。
特に人の上に立つ人は、喜怒哀楽の情を乱してはならないのです。

もっと簡単に言うと、太陽が喜怒哀楽の情を乱高下したら、地球に住む全ての生命体は滅亡します。
太陽が安定しているのは大慈悲の表れだと感じます。
人間はこのように大自然の姿(形あるもの)から真理(形ないもの)を学ぶことが出来ます。