辺見庸がNHKこころの時間に出てたので、観る。あ、早起きでなく録画してたのをさっき観る。石巻出身の辺見庸は遺族。かなりキツそう。ふと思ったのだが、辺見庸の個人ドキュメント映画で『3.11』を撮影してもイイかも。20年仕事、というか、辺見庸が死ぬまでの撮影。なんか、ふと思う。
『3.11』と辺見庸は語っていたが、それぞれの『3.11』。大阪に住んでて、かつ、熟睡していて地震の揺れを全く感じない、余震も感じない私にとっての『3.11』と辺見庸の『3.11』とは全く違う。石巻出身で、自分が通っていた小学校が焼け焦げた辺見庸とは全く違う。親戚や友人が亡くなられたかも知れない辺見庸とは全く違う。
金曜日、22日に娘&ママの家族3人でアンパンマン・ミュージアムに行って来た。前日の木曜日に行く予定をしていたのだが、仕事も入ったし、前夜まで娘が高熱で「こりゃ無理」という事で、金曜日に出かけた。
娘、昼寝時間を早める為に朝早く起きた娘はパパの作戦通りに車の中で爆睡。丁度、桑名・長島のインターを降りた辺りで眼を覚ます。眼を覚まして、少しすると「ここはどこ?」のアンパンマンの国。オモチャ屋よりも遥かに多くのアンパンマンが居てるので戸惑う娘。でも、食事して、徐々にテンション上がって来て、楽しそう。楽しそうな娘を見ているのはパパも楽しいのだが、眠い。どこかのベンチで寝転んで昼寝でもしようと思ったのだが、結構狭いのよね、アンパンマン・ミュージアム。遊園地並みの広さがあると勝手に想像していたので、ちょっと残念。あ、昼寝の部分だけね。
結局、13時前に入って17時前までゆっくりと遊ぶ。
ちなみにアンパンマン丼が貰えるうどん屋は結構美味しいし、値段も無難。アンパンマン丼の子どもうどんは800円やったかな?少し高いのだが、まあ、アンパンマン丼代。きつねうどんが530円やったか?讃岐直送の麺らしく、まあ、無難に美味い。
駐車料金は1000円なんだが、すぐ近くにあるアウトレットモールで一店舗で3000円以上の買い物をすると駐車料金1000円が戻って来る。名古屋名物・有名店のフードコートがあり、『矢場とん』のわらじカツが1700円ぐらいだったし、少し贅沢な晩御飯を食べれば駐車料金が戻って来るし、福助のアウトレットで足袋を買ってもエエかも知れん。
行きは高速をひたすら走ったので、帰りはゆっくりと。せっかく桑名まで来たんだ。長島まで来たんだ。んが、晩御飯を食べるとすっかり夜。久々の長島をゆっくり巡りたかったのだが、また次回。亀山まで下道で「お!鈴鹿サーキットまですぐやぞ!」なんぞと1人興奮のパパ。18才の時に半年間、ホンダの鈴鹿工場で期間工員で働いて居たし。工場の近くの道、確か、一度意味なく歩いた道を24年振りにママと娘とアンパンマン帰り。
長島は、長良川河口堰がある。20才過ぎかな?一度だけ行った事がある。また、長島は『長島一向一揆』の場所。約2万の真宗門徒が信長の軍隊に焼き殺された所。ただ、戦争だったので信長の軍隊も殺している事を忘れてはならない。「信長に2万人も殺された!」だけではない。そうやって信長だけを悪人にする事が真宗なのか?信長を敵にして、敵の軍隊を殺した事を忘却して、自分達だけが犠牲者面する事が真宗なのか?
辺見庸は変わらずカッコ付けの照れ屋の不良だった。ロックの臭いがプンプンしてた。元々好きだったのだが、10年ぐらい前だろうか?應典院という大阪のデカイ寺に来た時に講演を聞いて増々好きになった。大学院卒やったか、現役学生だったのか解らないが、真面目そうな良い子の兄ちゃんの話を隣で聞いてて「ムカムカしてケリを入れたくなった」なんぞと言ってた辺見庸。こころの時代でもディレクターか誰かに対して報道関係に対しての怒りを語ってた。
個。全体主義に対する個。不良の文学者・辺見庸は個が無視される流れを、『3.11』前は商業主義、『3.11』後は優しさで語って居られた。
吉本隆明『「反核」異論』。なんか、昼間にiPhoneで遊んでいるうちに引っかかった。「辺見庸が今回の事に対してどう考えているのか?」と土曜深夜に気になって、で、吉本隆明である。ちなみに有名どころのツイッターでは糸井重里が一番バランスが取れている気が、当然、個人的に感じたりする。
関連してというか、なんというか。私も42才の真宗寺院の住職なんだが、「こりゃ、戦争を煽った坊さんを他人事に出来んのぉ」と体感している。真面目だった当時の『高僧』という言い方は真宗ではしないが、まあ、有名な僧侶が、『教学者』と呼ばれる坊さんでさえ戦争を煽ったりしたのだが、それは時代に敏感であった、それだけ関係存在を生きてられて居られた、という事なんだろうが、今も変わらんと思ったりもする。身近な方々の死や、迫り来る危険。そういう中で真面目であり、優しいが故に、ではないのか?
あ、吉本隆明『「反核」異論』
10代後半から20代前半にかけてその辺の本を読みまくったので、恐らくその中に入っているんだろうが、当然、憶えていない。図書館で借りたのか、自分で買ったのかも憶えていない。自分で買ったとしても、引越過多なので当然売り払っている。
なので、ネットで検索引用。
【平穏な日常生活のなかで脳卒中の後遺症に苦しむ人も、老衰による自然死も、「ヒロシマ・ナガサキ」の被爆者の後遺症や、その死とまったく同等であり、「世界の反核運動に立ちあがった民衆」も、そんなものにいっこう立ちあがらずに平穏な日常生活をその日その日なんとなくすごしている民衆も同等である、と。「反核運動に立ちあがった民衆に挑戦」するのが不当ならば、そんなものにいっこう立ちあがらないその日ぐらしの民衆に「挑戦」するのも不当なのだ。】
この吉本隆明の不良性は好きだなぁ。
田中好子さんが亡くなられた。
先週木曜日に私は葬儀の仕事をしていた。
『3.11』は国難であるらしい。辺見庸が同じ表現だったか違う表現だったかでボロクソに言って居たが。
『国難』という言葉で個が奪われる。死が奪われる。生が奪われる。
一人一人の生活者の苦悩、亡くなられた一人一人は、震災だろうが、老衰だろうが、癌だろうが、事故死だろうが、自殺だろうが、同じである。
だが『犠牲者』と呼んでしまう。亡くなられた方や、遺族にとっては犠牲者も何もないのではないのか?大切な一人一人の命である。何か、その『犠牲者』という言葉、『震災の犠牲者』という言葉でもって、死をオブラートで包んでしまう様な危険性を感じる。
数万人の犠牲者。国難。
だが、『日本』を離れれば、スマトラ沖地震の『犠牲者』は桁が違う。
ただ、今回「ただちに健康に害のない」という言葉と同じく「警察に届けられた」という言葉もある。最終的な『犠牲者』は解らない。解らないが、『犠牲者』の『数字』でもって国難、あるいは問題の大きさを語るのであれば、個が埋没してしまう。個に絞り込むが故に、「あ、」っと。ここにも、ここにも、ここにも、ここにも、こんなところにも、尊い人生を終えられた方が居ているのだ、と。
吉本隆明が糸井重里と『ほぼ日刊イトイ新聞』で対談している情報を昼間にゲットしてチェックしておいた記事を読み直す。
(http://www.1101.com/truth/2011-04-24.html)
【私的なことを捨て、公に奉仕すべきだという、それを結局やられちゃった、ぼくらの戦後のいちばんの後悔はそれです。】(吉本)
【要するに、簡単に言えば、個人個人が自分が当面してる、いちばん大切なことを、いちばん大切として生きなさい、という、それだけのことですよ。
公にどんなことがあろうと、なんだろうと、自分にとっていちばん大切だと思えることをやる、それだけです。】(吉本)
【やっと生身の人間が憧れられる存在になったかもしれない。これは悪いことばっかりじゃないぞと思います。立派な人って、まずいないわけです。
これはテレビで見たんですが、被災地の避難場所にいて、孫にあげるための入学祝いが波に流されちゃったおばあさんが、孫に向かって「ごめんね」「必ず買ってあげるからね」って言ってました。その気持ちというのは、いわゆる「すごい人」には言えないことでしょう。あれを見本にできるということをみんなが思えるようになったというのは、すごい財産だと思うんです。】(糸井)
糸井重里は上記対談でも親鸞に触れているが、ツイッターでも
【信号待ちをしている交差点。男、女、子ども、老人、あの問題に賛成の人、反対の人、よからぬことを考える人、ねぼけている人、軽薄な人、がんこな人、いじわるな人‥‥こうしたぜんぶを、まるごと救えなきゃダメなんだ、と、たぶん親鸞は思ったわけで。】
等と書かれておられる。
私自身がそうだから、つまり私の問題なので書くが、やはり、『3.11』や、原発事故に気を取られる。でも、さっき娘が泣いた。娘が泣いたのは別に『3.11』でも原発事故でもない。
「え~。。。パパ、早く寝ろ。」なんだが、そんな事すらも言えない方が亡くなられた『3.11』
大災害に囚われ『個』を忘却していた。
津波での大災害の様子に囚われ過ぎていた。
こころの時代での辺見庸の最後の詩が素晴らしかった。一人一人に対する言葉の大切さ。録画を見直してアップしたいのだが、パパは寝ます。
『3.11』と辺見庸は語っていたが、それぞれの『3.11』。大阪に住んでて、かつ、熟睡していて地震の揺れを全く感じない、余震も感じない私にとっての『3.11』と辺見庸の『3.11』とは全く違う。石巻出身で、自分が通っていた小学校が焼け焦げた辺見庸とは全く違う。親戚や友人が亡くなられたかも知れない辺見庸とは全く違う。
金曜日、22日に娘&ママの家族3人でアンパンマン・ミュージアムに行って来た。前日の木曜日に行く予定をしていたのだが、仕事も入ったし、前夜まで娘が高熱で「こりゃ無理」という事で、金曜日に出かけた。
娘、昼寝時間を早める為に朝早く起きた娘はパパの作戦通りに車の中で爆睡。丁度、桑名・長島のインターを降りた辺りで眼を覚ます。眼を覚まして、少しすると「ここはどこ?」のアンパンマンの国。オモチャ屋よりも遥かに多くのアンパンマンが居てるので戸惑う娘。でも、食事して、徐々にテンション上がって来て、楽しそう。楽しそうな娘を見ているのはパパも楽しいのだが、眠い。どこかのベンチで寝転んで昼寝でもしようと思ったのだが、結構狭いのよね、アンパンマン・ミュージアム。遊園地並みの広さがあると勝手に想像していたので、ちょっと残念。あ、昼寝の部分だけね。
結局、13時前に入って17時前までゆっくりと遊ぶ。
ちなみにアンパンマン丼が貰えるうどん屋は結構美味しいし、値段も無難。アンパンマン丼の子どもうどんは800円やったかな?少し高いのだが、まあ、アンパンマン丼代。きつねうどんが530円やったか?讃岐直送の麺らしく、まあ、無難に美味い。
駐車料金は1000円なんだが、すぐ近くにあるアウトレットモールで一店舗で3000円以上の買い物をすると駐車料金1000円が戻って来る。名古屋名物・有名店のフードコートがあり、『矢場とん』のわらじカツが1700円ぐらいだったし、少し贅沢な晩御飯を食べれば駐車料金が戻って来るし、福助のアウトレットで足袋を買ってもエエかも知れん。
行きは高速をひたすら走ったので、帰りはゆっくりと。せっかく桑名まで来たんだ。長島まで来たんだ。んが、晩御飯を食べるとすっかり夜。久々の長島をゆっくり巡りたかったのだが、また次回。亀山まで下道で「お!鈴鹿サーキットまですぐやぞ!」なんぞと1人興奮のパパ。18才の時に半年間、ホンダの鈴鹿工場で期間工員で働いて居たし。工場の近くの道、確か、一度意味なく歩いた道を24年振りにママと娘とアンパンマン帰り。
長島は、長良川河口堰がある。20才過ぎかな?一度だけ行った事がある。また、長島は『長島一向一揆』の場所。約2万の真宗門徒が信長の軍隊に焼き殺された所。ただ、戦争だったので信長の軍隊も殺している事を忘れてはならない。「信長に2万人も殺された!」だけではない。そうやって信長だけを悪人にする事が真宗なのか?信長を敵にして、敵の軍隊を殺した事を忘却して、自分達だけが犠牲者面する事が真宗なのか?
辺見庸は変わらずカッコ付けの照れ屋の不良だった。ロックの臭いがプンプンしてた。元々好きだったのだが、10年ぐらい前だろうか?應典院という大阪のデカイ寺に来た時に講演を聞いて増々好きになった。大学院卒やったか、現役学生だったのか解らないが、真面目そうな良い子の兄ちゃんの話を隣で聞いてて「ムカムカしてケリを入れたくなった」なんぞと言ってた辺見庸。こころの時代でもディレクターか誰かに対して報道関係に対しての怒りを語ってた。
個。全体主義に対する個。不良の文学者・辺見庸は個が無視される流れを、『3.11』前は商業主義、『3.11』後は優しさで語って居られた。
吉本隆明『「反核」異論』。なんか、昼間にiPhoneで遊んでいるうちに引っかかった。「辺見庸が今回の事に対してどう考えているのか?」と土曜深夜に気になって、で、吉本隆明である。ちなみに有名どころのツイッターでは糸井重里が一番バランスが取れている気が、当然、個人的に感じたりする。
関連してというか、なんというか。私も42才の真宗寺院の住職なんだが、「こりゃ、戦争を煽った坊さんを他人事に出来んのぉ」と体感している。真面目だった当時の『高僧』という言い方は真宗ではしないが、まあ、有名な僧侶が、『教学者』と呼ばれる坊さんでさえ戦争を煽ったりしたのだが、それは時代に敏感であった、それだけ関係存在を生きてられて居られた、という事なんだろうが、今も変わらんと思ったりもする。身近な方々の死や、迫り来る危険。そういう中で真面目であり、優しいが故に、ではないのか?
あ、吉本隆明『「反核」異論』
10代後半から20代前半にかけてその辺の本を読みまくったので、恐らくその中に入っているんだろうが、当然、憶えていない。図書館で借りたのか、自分で買ったのかも憶えていない。自分で買ったとしても、引越過多なので当然売り払っている。
なので、ネットで検索引用。
【平穏な日常生活のなかで脳卒中の後遺症に苦しむ人も、老衰による自然死も、「ヒロシマ・ナガサキ」の被爆者の後遺症や、その死とまったく同等であり、「世界の反核運動に立ちあがった民衆」も、そんなものにいっこう立ちあがらずに平穏な日常生活をその日その日なんとなくすごしている民衆も同等である、と。「反核運動に立ちあがった民衆に挑戦」するのが不当ならば、そんなものにいっこう立ちあがらないその日ぐらしの民衆に「挑戦」するのも不当なのだ。】
この吉本隆明の不良性は好きだなぁ。
田中好子さんが亡くなられた。
先週木曜日に私は葬儀の仕事をしていた。
『3.11』は国難であるらしい。辺見庸が同じ表現だったか違う表現だったかでボロクソに言って居たが。
『国難』という言葉で個が奪われる。死が奪われる。生が奪われる。
一人一人の生活者の苦悩、亡くなられた一人一人は、震災だろうが、老衰だろうが、癌だろうが、事故死だろうが、自殺だろうが、同じである。
だが『犠牲者』と呼んでしまう。亡くなられた方や、遺族にとっては犠牲者も何もないのではないのか?大切な一人一人の命である。何か、その『犠牲者』という言葉、『震災の犠牲者』という言葉でもって、死をオブラートで包んでしまう様な危険性を感じる。
数万人の犠牲者。国難。
だが、『日本』を離れれば、スマトラ沖地震の『犠牲者』は桁が違う。
ただ、今回「ただちに健康に害のない」という言葉と同じく「警察に届けられた」という言葉もある。最終的な『犠牲者』は解らない。解らないが、『犠牲者』の『数字』でもって国難、あるいは問題の大きさを語るのであれば、個が埋没してしまう。個に絞り込むが故に、「あ、」っと。ここにも、ここにも、ここにも、ここにも、こんなところにも、尊い人生を終えられた方が居ているのだ、と。
吉本隆明が糸井重里と『ほぼ日刊イトイ新聞』で対談している情報を昼間にゲットしてチェックしておいた記事を読み直す。
(http://www.1101.com/truth/2011-04-24.html)
【私的なことを捨て、公に奉仕すべきだという、それを結局やられちゃった、ぼくらの戦後のいちばんの後悔はそれです。】(吉本)
【要するに、簡単に言えば、個人個人が自分が当面してる、いちばん大切なことを、いちばん大切として生きなさい、という、それだけのことですよ。
公にどんなことがあろうと、なんだろうと、自分にとっていちばん大切だと思えることをやる、それだけです。】(吉本)
【やっと生身の人間が憧れられる存在になったかもしれない。これは悪いことばっかりじゃないぞと思います。立派な人って、まずいないわけです。
これはテレビで見たんですが、被災地の避難場所にいて、孫にあげるための入学祝いが波に流されちゃったおばあさんが、孫に向かって「ごめんね」「必ず買ってあげるからね」って言ってました。その気持ちというのは、いわゆる「すごい人」には言えないことでしょう。あれを見本にできるということをみんなが思えるようになったというのは、すごい財産だと思うんです。】(糸井)
糸井重里は上記対談でも親鸞に触れているが、ツイッターでも
【信号待ちをしている交差点。男、女、子ども、老人、あの問題に賛成の人、反対の人、よからぬことを考える人、ねぼけている人、軽薄な人、がんこな人、いじわるな人‥‥こうしたぜんぶを、まるごと救えなきゃダメなんだ、と、たぶん親鸞は思ったわけで。】
等と書かれておられる。
私自身がそうだから、つまり私の問題なので書くが、やはり、『3.11』や、原発事故に気を取られる。でも、さっき娘が泣いた。娘が泣いたのは別に『3.11』でも原発事故でもない。
「え~。。。パパ、早く寝ろ。」なんだが、そんな事すらも言えない方が亡くなられた『3.11』
大災害に囚われ『個』を忘却していた。
津波での大災害の様子に囚われ過ぎていた。
こころの時代での辺見庸の最後の詩が素晴らしかった。一人一人に対する言葉の大切さ。録画を見直してアップしたいのだが、パパは寝ます。
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