坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

弱さに帰る脱原発運動

2011年04月12日 | 坊主の家計簿
 昨日は選挙。
 仕事が終わって、昼飯喰って、少し寝ようかなとコタツで横になる。投票は20時まで大丈夫だし。
 ママが選挙に行くというので、「行ってらっしゃい♪」したら、娘ににらまれる。泣きわめいたりするのでなく、もの凄く怒って睨む。ひぇ~、「ゴメン、ゴメン。パパも一緒に行く」と選挙に出かける、っちゅうか、娘とママと3人で出かける。「ハイ!」と手を出して来るので娘と手をつないで近くの小学校の投票所へ。桜もエエ感じ。

 今回は「二大政党制なんてクソ喰らえ!」なんだが、基本路線は変わっていないのだが、日本で原発を辞める絶好の好機なので民主党へ。ただ、府議会は民主党議員が居なかったので無理だったが。
 なんせ、『日本の総理大臣』という座にありながら


【首相、福島原発は「廃炉」 原発増設計画は「白紙で見直す」

 菅直人首相は31日、共産党の志位和夫委員長との会談で、東京電力福島第1原子力発電所について「廃炉にしないといけない」と述べた。また、平成42年までに原発を現状より14基以上増やすとした政府のエネルギー基本計画について「白紙で見直すことを検討する」と述べた。志位氏が記者会見で明らかにした。】(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110331/plc11033115150020-n1.htm)

 と、まあ、志位氏との会合の中なんだが、それでも言った菅直人総理を支持する、と一点でのみ、その一点だけでも価値があると、民主党へ。結局、惨敗だったが。
 気に入らん事も多々あるが、絶好の好機。

 日本が戦争に負けて「もう、戦争なんかエエっちゅうねん。軍隊なんかエエっちゅうねん」と、憲法9条も含む現在の憲法が1946年(昭和21年)11月3日に公布されて、1950年(昭和25年)8月10日には警察予備隊が出来ている。改憲の動きも多くある。そんなものなのだ。ただ、まあ、福島原発は当面放射能を出し続けるようだから、つまり福島原発という祟り神が生きている間はなんとかなるのかも知れないが、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」という自分勝手なものだし。今がチャンスなのだ。
 
 で、「他の総理だって言ったかも知れない」なら、それは仮定になる。仮定にかけるよりも、今の段階で「白紙で見直す」と言った総理に期待するしかない。

 とは云え、民主惨敗。
 大阪では橋下知事率いる大阪維新の会が大躍進。まあ、これはこれで楽しいかも知れない。

 ずっと以前の話になるのだが、電車の切符が自動販売機になりだした辺りの時に切符を買えなくなった人が居てたらしい。それまでは「難波まで大人一枚」だったのだが、自分で買わなければならなくなった。当然、駅員に言えば売ってくれるのだろうが、そこにハードルが出来た。文字の読めない人には。

 私はまだ若く、増して大阪市民に復活したのは最近である。かつ、引っ越しばかりしていたので住所が変わる事など、多少の面倒はあるが、慣れっこである。

 大阪市○○区と書いていたのが、大阪都○○区になる。その○○区も、現行の区の名前ではなくなる可能性が高い。これは市町村の合併でもあった事なんだろうが、めんどいぞ。
 
 確かに合理的なんだろう。合理的なんだが、その合理的でない所に人は生活してたわけであってでんな。「二重行政、そらアカン。税金の無駄使いや」なんだろうが、その『税金の無駄使い』で生活して居られた方々も居てでんなぁ。。。

 そろそろ43才になったりする。いわゆる『汚れた大人』だ(笑)
 大人になると保守になる。保守になるのは、色んな人に会ったから。色んな立場の色んな人にあったから過激にはなれない。過激には付いて来れない人も多々いるのだ。急激な変化に付いて行けない人が多々いるのだ。

 それこそ、今、大災害で仮設住宅が出来始めている。でも、阪神大震災の時は『町内』の関係も無視しての仮設住宅が多々出来て、「寂しいよぉ。。。」である。ただでさえ、地震で環境が激変した中で、人間関係まで大きく変わるのは、かなりキツい。
 当然、阪神大震災当時の私には、まだ若かりし私には解らない。変わらず旅暮らし状態だったし。阪神大震災の時の部屋はミナミのカプセルホテルだったし。環境が変わるのは慣れっこ。「何を弱音を吐いとるねん」である。でも、まあ、自分の体力気力も落ちて来たし、かつ、色んな人達に年齢と共に出会って来ると、「何を弱音を吐いとるねん」とは言えなくなる。無理な人が多々居てるのだ。タフでない人が居てるのだ。

 何やら、東京電力に関しての魔女狩りが始まりつつある。社員や、原発の宣伝をしていた人などに関する魔女狩り。
 
 魔女狩りをするのは弱さである。『鬼畜米英』と呼ぶ弱さと同じである。オウム事件の時にマンションに「オウムはマンションから出て行け!」なんぞと書かれた大きな垂れ幕を京都・山科で見かけたが、ああいう弱さである。

【じつは視聴者にはオウムは凶悪な集団、あるいは洗脳された集団であってほしい、自分とは違う存在であってほしいという思いがある。】(森達也http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/5d7be736ee4fe2045f5408e5b9e8c82cより)

 である。

 まあ、自分の事はよく解らんが、とにかく多くの人が取り乱しているのは確かである。で、取り乱して当然である。プチ・パニックになって当然である。それは弱さだ。

 人は死ぬのだ。でも、その覚悟を決める事が出来ないから、水や食料を買い占めたりする。

 なんか、この大災害を通じて、より一層の保守化、排他的な保守化でなく、弱さを見つめるが故に排除し難くなる保守化を学びたい。

 ちなみに「うちの村に危機的な状況を起こしやがって!」と、排除してたのが、過激に排除していたのが、今は、東京電力の人達や、原発推進していた人達だったりするのではないかと。地域の中で原発反対派が住み難い状況があったのならば、それをやり返す必要がどこにあるのか?と。政治思想でなく、別の見方からの思想では。

【40年間、耐用年数を10年過ぎてまで酷使され、ろくな手当てもされず、安全管理も手抜きされ、あげくに地震と津波で機能不全に陥った原発に対して、日本中がまるで「原子怪獣」に向けるような嫌悪と恐怖のまなざしを向けている。
 それでは原発が気の毒だ、と橋口さんは言った。
 誰かが「40年間働いてくれて、ありがとう」と言わなければ、原発だって浮かばれない、と。】(内田樹http://blog.tatsuru.com/2011/04/08_1108.phpより)

 なんか、こういう視点が大事だと思ったりする。

 原発は強さと優秀さの象徴である。
 ならば、弱さに帰る脱原発運動が大切なのでは?と。

【私の専修学院での学びは、凡夫という言葉を中心に始まりました。しかし学院は生活学習の場ですから、そこで繰り広げられる私の意識生活は、その凡夫の身を裏切る自尊心との格闘でもありました。それは今日も、今も、続いています。そうした事実と思いのぶつかる日々の生活の中で、それでもここに身を置いていることの支えとしている言葉があります。それは信國先生が大病を患われた晩年のころだったのではないかと思いますが、授業で法然上人の『一枚起請文』(真宗聖典九六二頁)を取り上げられて
 「ここに『一文不知の愚どんの身になして』とあるでしょう。この『なして』という日本語は、意思をあらわす言葉です。意思して、愚鈍の身になるのです。」
 と、強い口調でおっしゃいました。「意思して、なる」。いつのまにか、如来回向とか、本願他力という教学用語を自分勝手にとりこんで、仏法を自動起床装置であるかのように錯覚する腑抜けた信仰理解にまどろんでいる私どもに、「目覚めよ」と命じる一言でした。
 凡夫とは、意思して凡夫にならなければ、自分が凡夫の身を生きていることに気付けないものです。その凡夫への意思を私どもに喚び起こす強い力が、如来の本願です。】(狐野秀存『共に是れ凡夫ならくのみ』より)