坊主の家計簿

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流行

2011年04月29日 | 坊主の家計簿
 今日も鼻血が。。。んが、さっきまでコタツで寝てたので、少しだけお酒を頂きつつ、ネットで遊んで、寝よ。

 今日は、初『お香屋』。そろそろ寺にあった焼香用のお香が無くなりつつあり、『お香は堺』という事で、自転車に乗って、堺にあるお香を売ってる店に。っちゅうか、むっちゃ、デカイ。タマに見かける『コーヒの線香』も売ってる店で、まあ、『店』というよりも『メーカー』か。
 ショールームがあって、そこに行って店員さんに挨拶。素人丸出しで、持って行ったお香を出して「これと同じの下さい」。戸惑う店員さん(笑)
 結局、「寺院ではこの辺がよく売れてますよ」という辺りの一番高いのと、それの6分の1の価格のを購入。1グラムでどれだけの量なのか解らず、財布に5万円を突っ込んで行ったのだが、予想よりは遥かに安かった。小さい寺なんだが、寺以外の法事でもお香を持って行くので、結構使ったりするのだが、まあ、2年ぐらいは持つかな?後は、価格差の違いで今後の購入を考えよ。

 さて、橋下知事の脱原発である。

 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110428k0000m010090000c.html
 http://www.j-cast.com/2011/04/28094577.html

 昨日知って大笑いしてたのだが、え~。。。多分、大阪府民の大半は信じていません(笑)個人的には1ミリも信じていません。なぜなら『橋下知事だから』だ(笑)
 橋下知事の参謀は大前研一。もんじゅの設計に関わった大前研一。新自由主義バリバリの大前研一。アメリカバリバリの大前研一が、脱原発路線?「はあ?」である。だいたい、関西空港から梅田北ヤードにリニアモーターカーを走らせる構想の持ち主が脱原発、「はあ?」である。どうせなら、ビルゲイツの新型原発を関西空港に誘致する構想とかの方がエエのと違うか?橋下知事ならば。南港埋め立て地とか。
 なので、全く期待しない。
 期待はしないが、面白い。何が面白いって、橋下知事って広告屋としての才能はスンゲーある。それは当然、大前研一なんぞの参謀や、他のスタッフも含めての『橋下知事』なんだが、その橋下知事が「脱原発は当面票になる」と踏んだわけでんな。これは面白いし、デカイ。
 大阪は統一地方選で橋下知事派が圧勝した。ほぼ、橋下クーデター状態であったりもする。かつ、今度の大阪市長選挙では民主党・平松市長との対戦が待っている。平松市長は強い。その強敵に対しての人気取りでの脱原発表明。まあ、橋下知事は当選したとしても『大阪都構想』なんだし、とっとと辞めて国会議員になるのだろうけど、世の中の流れを読む広告屋としての能力に長けている橋下知事が脱原発路線を表明したのは、非常に面白い。今後、名古屋&愛知のあの人達もこの流れに乗りそうな気もする。そういう面では石原都知事の方が、まだ政治家としては信頼に足りるかも知れん。まあ、都民だったとして絶対に投票しないが。

 今の(あえて)『脱原発ブーム』を見ていると、アル・ゴアの『危険な話』、ちがうわ、『不都合な真実』を思い出したりする。
 「シロクマが危ない!」と、CO2削減の大ブーム。え~。。。なにやら今回の原発事故で吹っ飛んだのかも知れんが。『不都合な真実』が不都合な真実になったのかも知れんが。

 こういうあり方を『時衆』なんぞと呼んだりしたのだろう、仏教では。
 流行や、時代の中で右往左往しながら生きている。

 戦争中の人達を、当時の軍人も含めて、戦後にそだった私みたいな人間は「なんで戦争なんかしたん?おかしいやん」なんぞと批判したりする。戦争はおかしい。でも、今のありようを見ていると「当時もこんな感じやってんやろなぁ。。。」なんぞと思ったりする。
 当然、筋金入りの『エコ』や『脱原発』『反原発』の人にとっては別なんだろうが、戦時中の話でなら、筋金入りの戦争肯定主義者は「断固として決戦あるのみ」だったのだろうが、多くは時代の流れの流行。
 
 流行だから、流行遅れの人を「目覚めない人」なんぞの呼び方で言ったりする。まあ、孫正義とか、山本太郎はさしずめ『ファッションリーダー』みたいなものか。ならば、もっと解り易く「ダッサー!」と言えば良いのに。
 「え~、知らないの?今は脱原発が流行っているのよ。これからは再生可能な自然エネルギーなのよ。いつまでも原発に頼るのはダッサー」なんぞと。
 特に原発事故は生命の危険が入るので、その過激さが心配。原発推進派に対して「非国民」なんぞの言葉が心配される。

 違うのだ。その時代時代の流行の価値観に縛られて生きているのだ。だから脱原発路線を歩めない人は『流行遅れ』なだけなのだ。で、誰が流行遅れの人を裁く事が出来る。「悪いヤツら」や、「逮捕しろ」なんぞと裁く事が出来る。んなもんは、ワガママでしかない。違いを認められないだけの話である。
 違いを認められない世の中は優しくない。そんな世の中なんぞ、真っ平御免である。
 それが『脱原発』『反原発』であろうとも。
 個を無視する、違いを敵対化するありようは真っ平御免である。それは国家のやり方である。強者のあり方である。