坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

ヤメ検に阿弥陀ビーム

2011年04月06日 | 坊主の家計簿
 最近、『ヤメ検』に興味がある。『ヤメ検』とは検事を辞めて弁護士になった人の事を言うらしい。
 興味が出たのは、元検事にも関わらず。いわゆる『裏社会』顧問弁護士をしておられた方の事を知った事。
 まあ、前々から『知って』は居たのだろうが、関心がなかった。たまたま関心が出て来たのだろう。

 検事というのは裏社会を取り締まる側である。で、その検事を辞めて裏社会の顧問弁護士へ。
 「お前の思想はなんやねん」なんだが、事実としてその人がどうだったのかは知らないが、それまで想像していたのとは違う尺度から考える事が出来た。
 思想として『裏社会を取り締まる』のではなく、たまたま『裏社会を取り締まる仕事だった』だけなのかも知れない。

 少し前に、死んだ友人の三回忌に行った時に、20才を過ぎた友人の息子に会う。来年、大学を卒業するらしく、周囲のおっちゃん、オバちゃん達は就職の心配をする。まあ、んな事いうても、おっちゃんもオバちゃん達も20の時には何をしてたもんやら。
 何やら友人息子は彼女が出来て、その彼女から「就職出来ひんかったら別れる」等と冗談なのかどうか知らんが言われているらしい。友人息子は20才のクセに(失敬)結婚を考えているらしい。「家庭を持ちたい」と友人息子。
 まあ、確かに、友人息子のオヤジと友人が離婚したのは友人息子が、え~。。。何才やったかな?確か一度復縁したはずだし、でも、まあ、友人息子がバリバリガキの時。それ以降、友人の男関係は結構派手だったが、再婚はしてないし。ずっと母子家庭。仲良しこよしの母子家庭だった。で、友人息子が18才、高校卒業を直前にして母親(友人)が死んだ。部屋でコタツで寝てて、そのまま死にやがった。
 だからなのかどうかは知らないが、「家庭を持ちたい」と。
 決して「革命をしたい」「芝居をしたい」「音楽をしたい」「絵を書きたい」「映画を作りたい」でなく、「家庭を持ちたい」と。

 ノンポリ。死語か。ポリシーがない。
 ポリシーが無い事はない。別の尺度で生きているだけの話だ。

 ツイッターで変わらず遊んでいる。
 『原発推進派』『原発反対派』の両意見。だが、まあ、さすがに福島で原発事故が起こった以降は『原発反対派』が増えて来たように思えるのだが、でも、やはり多くは『推進派』でも『反対派』でもないような気がする。ただ、時代の流れで反対派の意見が強くなり、それに対する推進派の意見。時流的には反対派が優勢か。っちゅうか、私の情報ソースが偏っているのだろうが。

 ここで一句。ん?一つの詩を紹介。
 来日中止になったティクナットハンの詩。




  明日、私が出発すると言わないでください。
  今日まだ、到着しているのだから。

  深く見てください。私は毎秒、到着している。
  そして、春の樹の蕾となる。

  羽がひよわで、新しい巣でさえずりはじめた小鳥となる。
  花のなかにいる青虫となる。
  石にひそんでいる宝石となる。

  私はまだ到着している。笑い、泣き、恐れ、望むために。
  私の心臓の鼓動は、すべての生きものの、出生と死にほかならない。

  私は川のみずもで変態する蜻蛉。
  私は春になって、蜻蛉を食べる頃にやって来る鳥。

  私は澄んだ池で幸せに泳いでいる蛙。
  そして私は、静かに近づき、その蛙を飲み込む小蛇。

  私はウガンダの子供、痩せこけて、脚が篠のように細い。
  そして、私は武器商人。ウガンダに死の武器を売っている。

  私は十二歳の少女。小舟に乗った難民。
  海賊に犯されたあと、大海に身を投げる。
  そして、私は海賊。心はまだ、見ること、愛することができない。

  私は党の中央委員。大きな権力を手にしている。
  そして、私は人民にたいして、「血の債務」を払わなければならない者。
  強制労働収容所でゆっくりと死の道を辿っている。

  私の喜びは、春のよう。暖かく、生命の歩みのすべてが、花を開かせる。
  私の苦しみは、涙の川のよう。あふれて、四海を満たす。

  すべての、ほんとうの名前で呼んでください。
  そうすれば、私の泣き叫びと笑いが、すべて、同時に開ける。
  そうすれば、私の喜びと苦しみが一体であることがわかる。
 
  すべての、ほんとうの名前で呼んでください。
  私が目覚め、
  心の扉、慈悲の扉が、開け放しになるために。

 (ティク・ナット・ハン『ほんとうの名前で呼んでください』 但し、中公文庫『仏の教え ビーイングピース』棚橋一晃訳より)



 この詩には、この詩を紹介する前にティクナットハン師が書かれている文章がある。

【ある日、私たちは、小さな舟の上で、タイの海賊に強姦された、若い娘についての手紙を受けとりました。彼女は、わずか十二歳でしたが、海に飛び込んで溺れ死にました。
 はじめてこのようなことを知ると、まず、あなたは、海賊にたいして怒りを覚えます。当然、娘の側に立ちます。
 さらに深く考えるにしたがって、違った見方をします。娘の側に立てば、ものごとは容易です。銃を取って、海賊を撃つばかりです。
 しかし、私たちには、それはできません。
 もし、彼のように、海賊の村に生まれ、同じ境遇で育てられたなら、私が今海賊になっていることを、瞑想によって、私は洞察しました。私が海賊になった可能性は、非常に大きいのです。そう簡単には、彼を非難することができません。】(ティクナットハン『ビーイングピース』(中公文庫91ページより)

 反原発の人達は、それこそ『鬼畜政府東電』である。
 ティクナットハン師の文章でいうのならば、娘の側に立ち、海賊に怒りを覚える。
 しかしながら、ティクナットハン師は、ベトナム戦争の時に南北どちら側にも立たなかった仏教徒の1人であるティクナットハン師は

【もし、彼のように、海賊の村に生まれ、同じ境遇で育てられたなら、私が今海賊になっていることを、瞑想によって、私は洞察しました。私が海賊になった可能性は、非常に大きいのです。そう簡単には、彼を非難することができません。】

 と書かれて居られる。

 今回の大災害は地震&津波だけでなく原発事故というのがあった。何やら「まだチェルノブイリより被害が少ない」らしいが、3500万人という人口を抱えた首都圏からも近い。あくまでも数字上の話だが、余震、これは阪神大震災で体感したが、余震は怖い。震度ではない、余震が始まった瞬間にフラッシュバックしてしまうのだ。恐怖体験がよみがえる。これもまあ、個人差色々なのだろうが。でも、余震が続いている中での原発事故。放射能ダダ漏れ。
 何やら『スピッツ』とかいうバンド(?)の兄ちゃんが急性ストレス障害で倒れたらしいが、んなもん、「やってられるか!」やろ。余震だけでも辛い中に、『プラス』して、の原発事故。
 チェルノブイリが単なる原発事故。今回と『トータルの心理的不安』ならば、んなもん、チェルノブイリ以上やろ。
 そういう中でも『テレビで映っているから』という解りやすい理由なんだが、「ビビっている場合ではない。私たちにはやらなければならない事がある」と、緊張。後のフォロー(ケア)が必要。そんなに強くないぞ、生身の人間は。

 まあ、首都圏だけでなく、多くの方々、普段から睡眠時間の短い私も、より一層の睡眠不足の被害。
 そういう状況の中での反原発派の原発推進派に対する攻撃。
 『攻撃』と書いたが、もう、見事な悪態。普段ならば冷静な人であっても、見事なまでの『鬼畜政府東電』。
 でも、だからといって『鬼畜政府東電』の人達も共に生きている。

【もし、彼のように、海賊の村に生まれ、同じ境遇で育てられたなら、私が今海賊になっていることを、瞑想によって、私は洞察しました。私が海賊になった可能性は、非常に大きいのです。そう簡単には、彼を非難することができません。】

 である。
 政府の人も、当然の人も、『鬼畜政府東電』の人も、共に生きている。そして私も平気で「カス」だの「アホ」だのと感情に任せて書き込んだりしている。私の場合は『鬼畜政府東電』の人達に対して「カス」だの「アホ」だのと書き込んだりしてしまっている。

 先に『普段』と書いたが、『普段』も幻想である。『普段』という幻想がある。『非常時』という言葉がささやかれるが、本来、『普段』も『非常時』もない。

 全然話は変わるが、今日のツイッター情報で

 『被災地で祈る僧侶』http://www.47news.jp/photo/170726.php

 というのが、話題になっていた。

 「おお、商売上手やのぉ。。。」である。
 ひんしゅくを買うだろうが、正直な感想である。
 この僧侶が何宗なのか知らないが、この僧侶は絵になる。絵になっている。その半分はカメラマンの力なんだろうが、だが、絵になる。何にしても凄い才能である。

 先日、私と同じく商売人の僧侶と話してて、某、私にとっては後輩でもある同じ教団の僧侶の話になった。「上手いのぉ。。。」である。非常に上手い。それは狙ってやっているのか、どうかは知らない。だが、スケベ心がないはずもない。生身の人間なんだから。
 「そんな事はない、私は純粋にやっているだけなのだ」というのは、あるいは、「彼は純粋にやっているだけなのだ」というのは、煩悩を、薄汚い心を見つめるか、どうかだけの話だと思う。スケベ心ぐらいあるやろ、そりゃ。
 それが『エエ』『悪い』の話ではない。そんなもんなのだ。そして、そんなもんの中で『何に向かって生きようとしているのか?』が問われているだけの話なのだ。
 で、某、私にとっての後輩僧侶のやっている仕事を私は認めるし、また、何宗か知らんが、写真の僧侶の仕事も認める。かつ、上手い。非常に上手い。

 そういや、数日前にようやく週刊ポストの『美人尼僧のグラビア』を見る。え。。。名前忘れた。白木澤琴さんやったけな?大学院を出ているらしいし、今後の大谷派のバリバリホープだろう。で、震災、大丈夫やったのかな?よう知らんが。
 で、『美人尼僧』。関西では今日の昼間にやってたのだが、少し親しい先輩の川村さんが出てたテレビもあった。他に同じ教団では

 ♪お坊さんに憧れてお寺に入ったの

 の、君代さん。
 個人的には君代さんが一番『美人尼僧』だと思うのだが、まあ、エエわ。

 週刊ポストの『美人尼僧グラビア』言葉付き。それぞれがぞれぞれのメッセージ。本願寺派の坊さんの「阿弥陀ビーム」がツボだったのだが、それぞれがそれぞれのメッセージ。

 『美人尼僧』は絵になる。絵になるが故に、週刊ポストの白黒だがグラビアに取り上げられる。そして、それぞれの確かな仏教ビーム(?)を伝える事が出来る。
 それは今日の『被災地で祈る僧侶』の写真も同じ。
 批判としては「今、祈りをしている場合か?」等もあるのだろうが、んなもん、それぞれがやりたい事をやればエエだけの話である。それぞれに仏教を伝えて行けばエエだけの話である。
 そして、絵になる方が『商売上手』である。売れると伝わるのだ。

 「いや、売れる事を目的にしていない」のならば、大谷派ならば、まあ、大谷派のホームページは見難い事で悪評が高いが、ホームページをする必要もないし、先日終わったが『親鸞の道』などというテレビ番組を作る必要もない。
 他宗はよく知らんが、西本願寺での蓮如上人500回忌イベントを仕切った広告代理店のオッサンと直接会った事もある。
 伝えたいのだろうが。

 禅宗でも道元禅師の映画もあった。
 真言でも弘法大師の映画もあった。

 伝いたいし、より多くの人に見て、それぞれのメッセージを伝いたいはずである。

 商売。なにか『NPO』だとか『宗教法人』に比べると『俗』なのかも知れんが、大切な事。

 それぞれがぞれぞれの生活現場で生きている。『僧侶』だろうが、『商売人』だろうが、『裏社会のヤメ検』だろうが、東京電力の人だろうが、政府の人だろうが、『御用学者』と一部で呼ばれる人だろうが。
 それぞれに『阿弥陀ビーム』が届いて、それぞれから阿弥陀ビームが発せられている。

 原発というのは、「わけの解らんもの」だ。もう、書くだけでイヤになる言葉なんだが、『死亡コスト』は安いらしい。また、今回の事故も含めて『経済的コスト』も将来に渡って考えるに安いらしい。公害や、事故で死ぬのは別に原発だけではない。ただ、原発は『白い巨塔』なのだ。



  何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
  動物園の四坪半のぬかるみの中では、
  足が大股過ぎるぢゃないか。
  頚があんまり長過ぎるぢゃないか。
  雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
  腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
  駝鳥の眼は遠くばかりを見てゐるぢゃないか。
  身も世もないように燃えてゐるぢゃないか。
  瑠璃色の風が今にも吹いてくるのを待ちかまへてゐるぢゃないか。
  あの小さな素朴な顔が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。
  これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
  人間よ、
  もう止せ、こんな事は。
 (高村光太郎『ぼろぼろな駝鳥』)



 将来的に原発に慣れるのかなんぞ知ったこっちゃねぇ。もう、文明、人間のエゴ、理想、能力を追い求めるのが『間違っていた』と、今、感じてるのが原発やろ。

 と、まあ、本日理想の私ならばプカプカに行って漫画さんに「知ってるか?福島原発よりも、もんじゅの方が危ないねんで」と言い垂れつつ飲んで、その後にコニーアイランドで萌え萌えしながら「おっちゃんが若い頃に六ヶ所村で『いのちの祭』っちゅうのがあってな、それに山口富士夫とか、ランブルフィッシュとか出ててんで、行ってないけど」なんぞの、おっちゃん自慢話をした後に、酔いが足らなければ「鉄人~」と行くつもりだったのだが、娘が発熱したので、パパ、酔っぱらいながら自宅待機中です。

 ん?何を書いててんやったっけ?
 まあ、エエわ、歯磨きして寝よ。