坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

葬儀社坊主

2010年07月21日 | 坊主の家計簿
 休みだったので爆睡。昼過ぎに起きる。ママと娘は出かけるみたいだったので、パパはダラダラと。エエ加減に腹も減って来たので御近所定食屋へ。日替わり定食400円を食べて週刊誌を読む。

 週刊誌の記事で『布施の相場』について書かれてあった。まあ、イオンの坊さん派遣に関する記事なんだが、以前にも何度か書いたので、今回は置いておく。
 気になったのは、某僧侶の話として、マンション坊主に関しての批判が書かれてあった事だ。え~「読経の質が落ちる」やったけな(笑)。

 マンション坊主だけでなく、最近では葬儀社が僧侶を養成しているという噂も聞く。『養成している』といっても、まあ、どこか適当な宗派で僧侶資格を得て、葬儀社に依頼された葬儀を執行しているのであろう。その場合に「○○寺」として無断で葬儀を行っていたのならば問題なんだろうが、○○寺に断りを得ていたら問題はないだろう。また、○○宗の僧侶が違う教団の方法でもって葬儀をする事はアカンが、「うちは元々○○宗なんですが」と、旧来の檀家制度の宗派であるが、葬儀をするにあたって特に宗派にこだわらなければ、別に何宗でやっても構わないはずである。檀家制度は江戸時代の遺物である。なんら、法的な、仏法的、世間の法律的であっても問題はないはずである。問題があるのは檀家制度が利権化している事にあぐらをかいて居る寺だけである。「うちの檀家を取りやがって!」である。心情的には解るが、なんら問題はない。恥ずかしいだけの話であって、これはよく言うのだが、「檀家を離れる時に金を持って来い」は脅迫でいけるのではないのか?「代々の付き合いのあるお寺様から脅迫されました」と。それこそ週刊誌ネタであり、週刊誌と共に、その教団と警察に訴えるべきやな。

 しゃて、葬儀社が僧侶を育成したらどうなるか?きっと、役割としては葬儀の際んぼ読経担当である事は当然として、ケア係だろう。大手であればある程、『心のケア』というサービスを大事に考えるであろう。というか、やってはるし。
 葬儀社で僧侶担当の社員を募集したりとする。大学の心理学部なんぞに求人が来たらオモロイかも知れん。心理学部を卒業して葬儀社で僧侶として働くというのは、非常にアリではないか。
 まあ、別に心理学をやってなくとも、「私はこの仕事で生きる」と決めたのならば、独学、あるいは、各講習会に出て、グリーフワークや、グリーフケアの勉強をしたり。そういう形で葬儀社勤務で僧侶として働く生き方だって「アリ」だろう。それこそ、プロである。プロの葬式坊主である。読経なんぞはCDを聞いて練習すれば、その辺の住職よりも正確な読経が出来るであろう。そして、プロの葬式坊主として、毎日、多くの悲嘆に出会い、プロとして「布施」でなくサラリーマンとして『心のケア』に特化すればいい。実際に大手の葬儀社では、自分達の顧客をメインに、『遺族』の心のケアの場を設けている所がある。顧客管理でもあり、利用者に対するアフターサービスである。
 これが『商売』である。

 だが、そこに特定宗派の教えはない。。。のか、どうかは解らんが。。。

 まあ、何にしても「マンション坊主は質が下がる」とは偏見以外のなにものでもない。寺の住職だって、ゴルフ三昧の生活をしている人だっているだろう。あるいは、飲み屋歩きをしているとか(笑)。まあ、飲み屋歩きは私の事なんだが。

 「○○だからダメ」
 とは、
 「女だからダメ」「在家出身者だからだめ」とかと同じ偏見以外のなにものでもない。つまり、修行が足りん(笑)
 「いや、私は体験したから」ならば、個人的体験を全てに拡大解釈してしまっているだけの話である。
 私は在家出身の小さな寺の住職だが、寺生まれで大きな寺の住職の中に立派な人が居ているのも多くの体験でもって知っている。
 まあ、「何が立派」で、「何が立派でない」のかの基準はええ加減な個人的妄想にしか過ぎないのだが、例えば読経の質、つまり、経典の理解度や、間違いなく読経出来る、エエ声である、なんぞを例にとるならば、そんなものはマンション坊主も、大きな寺の住職も違いはない。個人の資質や経験の違いだけである。大きな寺の住職だけが「読経の質が高い」なんぞとは全く思わん。違いはない。個人の問題である。
 個人の問題を、その個人に対するレッテル全体に拡大解釈してしまうのは如何なものなんだろうか?

 まあ、伝統教団の住職、まあ、私もそうだが、イオンの坊さん派遣だろうが、マンション坊主だろうが、葬儀社だろうが、多くの批判は、単に利権の問題ではないのか?
 「あんなのが出て来たら、うち等の生活が危ないやんけ!」と。
 で、その事に慌てふためくのが生活者であり、布施で生活しているものではない。布施で生活している、布施を徹底するのならば、イオンが出て来ようが、マンション坊主が出て来ようが、葬儀社が出て来ようが、布施で生きる事を徹底すれば良い。生活出来なければメシを食べなければいい。極論ならばそういう事だろう。
 だが、騒ぐ。布施の大事さを語りつつ、生活の問題で騒ぐ。それが生活者だ。出家僧侶ではない。出家僧侶が布施の高い低い、布施がイオンから派遣された僧侶や、マンション坊主や、葬儀社に流れて行く事に騒ぐとは到底思えないのだが。。。

 ちなみに真宗僧侶は出家僧侶ではない。生活者である。
 生活者である以上、出家僧侶や、マンション坊主、イオン、葬儀社と全く変わらん。
 故に、出家僧侶の中で自分達の生活の質を落とすのがイヤで、イオン、葬儀社、マンション坊主を批判するのは生活者としてよく解る。
 ただ、「教え」はどないだってまんねん。