ふ。。。ようやく寺の通信も出来て、忙しいラッシュが終わった。。。ん?もう少し続くか。でも、一段落。
7月号の通信は昨夜作っていたのだが、え~。。。どうも気力が入らずにサボってサッカーのワールドカップを見ていたわけなんだが、さすがに試合終了と同時に「アカン、アカン」と、通信作り。4分の3まで完成させる。
んが、今日、テレビニュースを見ていたら、何やらPKを失敗した駒野選手を相手選手が励ましてたりしたらしい。そのシーンを見て、急遽、紙面差し替え。
で、さっき完成して、御近所コンビニでコピーしてビールを飲んでたりする。
サッカーって、うち等世代ではやってるヤツは少なかった。やはりプロレスか野球である。また、個人的にも興味がなかった。確かあれは中学生時代だったと思うのだが、大阪に確か有名サッカー選手のスポーツ用品店があった。大阪の阪急ファイブやったかな?タマタマ友達と阪急ファイブに行った時に「ここは○○の店やねんで」と言われた事を憶えている。で、私が「誰や?」と言った事も憶えている。それぐらい興味がなかったし、また、サッカー部の部員も少なかったと思う。遊びでサッカーをやっても「オフサイドって何?」やし、まして「PKって何?」である。遊びのサッカーに審判は居ないし、PKで勝敗が決まる事なんぞなかったし。
まあ、何が言いたいのかというと、私はPKをした事がない。ないから昨日の試合でも「何を外しとるねん」の気分だったのだが、やはり、実際にサッカー、特にプロの選手、っちゅうか、代表に選ばれる選手なんぞは過去にどれだけPKを失敗して来はってんやろか。と、同時に大きな試合であればある程、PKを外したショックが大きい事も実体験として解っておられるのだろう。だから、敵チームであっても声をかけたりするのだろう。それに対して何も答えられない駒野選手に変わって誰か(名前知らん)が「サンキュー」と。
いや~、エエシーンやった。
PK失敗というとロベルト・バッジョである。バッジョの名言で「南無妙法蓮華経」というのがある。ん?違う
【PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ】
である。
私はPKを蹴った事すらなく、ましてサッカーをろくに知らないし、殆どやった事がない。だから、「駒野、お前がPK失敗せえへんかったら勝ってたかも知れんやんけ」なんぞと思ってしまうわけなんだが、これは『気軽』だからである。実際に『その場』に立った事がないからであって、それが故に思ってしまう事であって、実体験した人にとっては駒野選手を責め立てる事など出来ようがないのだろう。
【イエスはオリーブ山に行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入れられると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れてきて、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」】(ヨハネ8:1~11)
『駒野、胸を張れ 無念のPK失敗 誰のせいでもない』http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/100630/scr1006302316122-n1.htm
であるらしい。
なら、琴光喜はどうやねん。
私らみんな、人生のプレイヤーやろ。ピッチ上に駒野や、琴光喜と一緒に立っとるんと違うんけ。
7月号の通信は昨夜作っていたのだが、え~。。。どうも気力が入らずにサボってサッカーのワールドカップを見ていたわけなんだが、さすがに試合終了と同時に「アカン、アカン」と、通信作り。4分の3まで完成させる。
んが、今日、テレビニュースを見ていたら、何やらPKを失敗した駒野選手を相手選手が励ましてたりしたらしい。そのシーンを見て、急遽、紙面差し替え。
で、さっき完成して、御近所コンビニでコピーしてビールを飲んでたりする。
サッカーって、うち等世代ではやってるヤツは少なかった。やはりプロレスか野球である。また、個人的にも興味がなかった。確かあれは中学生時代だったと思うのだが、大阪に確か有名サッカー選手のスポーツ用品店があった。大阪の阪急ファイブやったかな?タマタマ友達と阪急ファイブに行った時に「ここは○○の店やねんで」と言われた事を憶えている。で、私が「誰や?」と言った事も憶えている。それぐらい興味がなかったし、また、サッカー部の部員も少なかったと思う。遊びでサッカーをやっても「オフサイドって何?」やし、まして「PKって何?」である。遊びのサッカーに審判は居ないし、PKで勝敗が決まる事なんぞなかったし。
まあ、何が言いたいのかというと、私はPKをした事がない。ないから昨日の試合でも「何を外しとるねん」の気分だったのだが、やはり、実際にサッカー、特にプロの選手、っちゅうか、代表に選ばれる選手なんぞは過去にどれだけPKを失敗して来はってんやろか。と、同時に大きな試合であればある程、PKを外したショックが大きい事も実体験として解っておられるのだろう。だから、敵チームであっても声をかけたりするのだろう。それに対して何も答えられない駒野選手に変わって誰か(名前知らん)が「サンキュー」と。
いや~、エエシーンやった。
PK失敗というとロベルト・バッジョである。バッジョの名言で「南無妙法蓮華経」というのがある。ん?違う
【PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ】
である。
私はPKを蹴った事すらなく、ましてサッカーをろくに知らないし、殆どやった事がない。だから、「駒野、お前がPK失敗せえへんかったら勝ってたかも知れんやんけ」なんぞと思ってしまうわけなんだが、これは『気軽』だからである。実際に『その場』に立った事がないからであって、それが故に思ってしまう事であって、実体験した人にとっては駒野選手を責め立てる事など出来ようがないのだろう。
【イエスはオリーブ山に行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入れられると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れてきて、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」】(ヨハネ8:1~11)
『駒野、胸を張れ 無念のPK失敗 誰のせいでもない』http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/100630/scr1006302316122-n1.htm
であるらしい。
なら、琴光喜はどうやねん。
私らみんな、人生のプレイヤーやろ。ピッチ上に駒野や、琴光喜と一緒に立っとるんと違うんけ。