坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

愛が生まれた日~『故人』と『諸仏』~

2010年07月20日 | 坊主の家計簿
 あ~、缶酎ハイが美味いぞ。もう1本買ってくりゃ良かったな。買いに行くのは面倒なので、ビールにしよ。
 と、風呂上がり。あ、厳密には銭湯上がり。
 数日、っちゅうか、え~と、しばらく続いた忙しい日々も終了である。なので銭湯である。銭湯なので風呂上がりの缶酎ハイである。まあ、単に銭湯の近くに100円ローソンがあるだけの話なんだが。

 そういや、今日、仕事中の開いた時間に仮眠する。仮眠は毎度の事なんだが、今日は少しだけ遠方に出かけていたので車の中で仮眠。日陰に車を停めて、iPhoneの目覚まし時計をかけて「よっしゃ、寝るぞ!」と、即睡眠。
 「アホかこら!殺す気か!!!」と3分後に目覚める。暑くて暑くてたまらん。一応、窓を少しだけ開けたし、日陰だったのだが、問答無用に暑かった。まあ、坊さんルックやったから、暑くて当たり前なんだが、それよりも睡魔が勝ってでんなぁ。。。
 しゃーないのでアイドリング状態でカーエアコンをかけて寝る。これまた10分チョイで暑くて目が覚める。エアコンかけているので多少は涼しいのだが、さっきまでの熱が体に籠ってたのかな?
 多少頭が楽になったので復帰。近所のコンビニでアイスを買って喰ったら体も復帰。なんとかその後の仕事も無事終了。帰宅してメシ喰って、テレビをボケーっと見る。

 カンブリア宮殿で孫正義が出てた。何やら、ソフトバンクは300年計画をしているらしい。300年っちゅうたら、(多分)江戸幕府よりも長いぞ。江戸幕府が出来た時から薩長対策をしていたような感じの事をソフトバンクは考えているのか?これはかなり

 ♪ぐるぐるぐるぐるどっかーん
  うれしくなっちゃうな~

 の話である。

 ということで、私も300年計画を立ててみようと衝動的に思ったりする。

 1 とりあえず300年間生きてみる

 無理だ。。。

 2 300年間毎日1円貯金をする。

 106800円にしかならん。。。いや、しかし、西川きよし師匠も「小さなことからコツコツ」と仰っておられたように、やはり小さな事から初めないといけない。毎日10円貯金なら、パパの小遣いにとってはかなりの痛手になるので1円貯金から始めないといけないのかも知れんが、よく考えてみたら300年後の物価が解らん。。。300年後の10万円って、何が買えるねん。っちゅうか、『1円』っちゅう単位があるのか?
 んが、まあ、「1円」という単位が無くなっても、誰かが始めなければ始まらない。釈尊が最初の法輪を回してくれなきゃ、今、回っているわけがない。んが、まあ、1円貯金は「する気がない」

 300年というが、私が預かっている寺は300年以上である。500年以上である。
 何やら作られた方の末裔によると「道場やったで」との事らしいので、まあ、『寺』になるまでの長い間は道場だったのだろう。今は『内陣』っちゅうのもあり、小さいながらも寺形式なのだが。

 そういや、『東本願寺』は『真宗本廟』になって、『根本道場』になったらしいが、なら、なんで今回の修復作業の時に道場形式にしなかったのだろうか???高倉会館や、専修学院には内陣はないぞ。
 等と、よく考えてみたら、修復作業の時って、俺、もう大谷派に入っててんや。。。今から「やり変えろ!」っちゅうたら、金がかかるのぉ。。。かつ、勿体ないのぉ。。。今ある形を生かして行くしかないか。

 と、まあ、銭湯でボンヤリしながら、んな事を考える。
 いや、今日の最初の仕事は法事だった。私が住職になってからの新しい付き合いの方でして、仏壇の相談をされた時も、「三つ折り本尊というのがありますよ」と、「本町に南御堂という所がありまして、そうです、そうです。御堂会館の奥です。その奥の右手にある建物の二階に上がって『三つ折り本尊を下さい』と言ったら買えますよ」と紹介したら、中陰中に買って来られたわけである。私は、基本「三つ折り本尊さえあればエエ」という意見なので、っちゅうか、個人的道場体験で三つ折り本尊と3つの仏具を置いた場が「御本尊がある場所」という体験をしてたので、「それで十分やんけ」と。仏壇の様な派手さはないけど、信仰上の問題は全くない。
 とはいえ、仏壇が「宗教的ムードを醸し出す」という魅力も知っている。まあ、舞台装置だ。舞台装置は金に余裕があれば買えばエエだけの話である。なくても信仰上は全く問題がない。

 300年後、当然、檀家制度は無くなっているだろう。同時に檀家制度と密接な旧来の身分差別も無くなっているだろう。
 で、これまた、「当然!!!」真宗仏教の教えは続いているはずである。その為に、『今』が問われているわけである。

 と、いう事で、パパはヘロヘロの状態ながら、「ああ、もう、法話サボって読経だけして帰りたいよぉ。。。」という魔に完璧に支配されながら、「アカン、アカン」と法話する。
 ちなみに葬儀からしばらくの法話は、殆どグリーフワークの勧めである。『故人』を『諸仏』として見出していく仕事が真宗のグリーフワークやろ。

 


 『愛が生まれた通夜』なんぞという言葉を思いついたりもするが、まあ、タイトルは別にしよ。