坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

宗教に対する意識

2007年09月14日 | 坊主の家計簿
 9月14日

 雑費  缶コーヒー        120円
     温泉マッサージ機    1000円
     焼肉ビール       1869円
 食類  豆腐           120円

 合計              3109円
 9月累計           49821円

 体が。。。朝から頭痛いし、バテバテ状態。よって予定してた立ち飲みライヴを断念して御近所温泉マッサージ機へ。
 とりあえず次の休みが16日なので、明日の仕事をなんとかしなあかんし。
 16日は岸和田だんじり祭りもあるし、大正でエイサー祭りもあるし。っちゅうか、天気予報では雨なんだが。。。

 温泉&マッサージ機上がりには毎度の焼肉ビール。今日のお供は週刊文春。映画『武士の一分』に出てた女優の『壇れい』の写真も載ってるし。
 ちなみに『壇れい』はいわゆる『壇一族』とは関係がないらしい。単なる宝塚時代につけた芸名らしい。
 壇一雄とも関係なく、壇ふみとも関係がないらしい。
 段田男とも関係がなく、番場蛮とも関係がないらしい。
 ダダダダーン♪とも関係がなく、ババババーン♪とも関係がないらしい。
 パンパカパーン パパパッ パンパカパーン!の漫画トリオとは、とりあえず『同じ関西人』としては関係があると思う。

 っちゅう事で今週のハイライト。
 週刊文春の『激震スクープ』とやらで『「錯乱」安倍晋三の「四人の神」』っちゅうのに興味をひかれて買ったわけなんだが、どこがスクープやねん。下らん。
 昨日の夕方の報道番組で記事を知って、勝谷氏が「この記事の見本が出回ったから安倍退陣になった」と勝ち誇って云ってたが、こんなもんで一国の総理が退陣するわけないやろ。
 だいたいやな、宗教団体の意見を聞いた組閣であったとしても、意見ぐらいは聞くだろう。『意見を聞く=決定する』とは全然違う話だ。それに安倍氏は数カ所の宗教団体から意見を聞いており、それが『参考でしかなかった』事の証明だろう。
 また、安倍氏は数カ所の宗教団体との関係があり、その宗教団体がどういう宗教団体であろうが、日本には『信仰の自由』が保障されているわけであって、どんな信仰をしようが勝手である。事務所で念仏称えてたら問題なら、それこそ大問題である。それを伝統宗教『だけ』を重んじて、新興系宗教を卑下する発想があるからあんな記事になるんだ。それこそ、日本の大週刊誌である『週刊文春』の宗教に関する考え方を問われる問題である。安倍氏がどんな水を飲もうが、例えそれが宗教団体が関与している水を飲もうが勝手である。
 まあ、勝谷氏なんぞに煽られて文春を買ってしまった私がアホなんだが。

 しかし、一国の総理だけでなく、有名人でもそうなんだろうけど、いわゆる『新興宗教』に関与している、信者である、等と云う事はスキャンダラスに取り上げられるが、伝統仏教に関しては何もないな。
 『衝撃の大スクープ!森元総理は真宗大谷派門徒だった!!!』なんぞ記事にならんだろうし。単に『売れない』んだろうし。
 まあ、それだけ伝統宗教が信仰対象としての宗教として認められていない事なんだろうし、同時に、いわゆる『新興宗教』に対する偏見もあるんだろう。
 伝統宗教は世間の風習であり、いわゆる新興宗教は信仰対象としての宗教である。
 よって、例えば一国の総理が念仏申そうが全く問題にならず、神棚に手を合わそうが伊勢神宮に参拝しようが全く問題にならない。なるのは靖国神社といわゆる新興宗教だけか。

 とは云え、例えば法務大臣が「私は真宗門徒なので死刑のハンコは押しません」は少し問題になる。が、あれは「だったら法務大臣を引き受けるなよな」っちゅう批判である。
 けど、宗教なんぞは、信仰なんぞはそんなもんである。『信仰心がないのが前提』だからそういう批判が出て来るわけであって、『一個人としての信仰を尊重する』のなら、一個人が法務大臣になったのなら、当然の事、その一個人の信仰を大切にしてもエエはずである。それが宗教であり、信仰である。信仰心がないから、信仰心を持つ『一個人』の発想が解らないだけの話であって、そんな人間が信仰の自由なんぞ解るわけがない。信仰を持たない人間が信仰の自由を語る事はナンセンス極まりないのだが、それが『当たり前』になっている。そして、風習、習俗になった伝統宗教に関しては何も云わず、宗教・信仰が明確ないわゆる新興宗教に関しては騒ぐ。

 当然私は伝統宗教に属している者である。
 よって、
 「衝撃の大スクープ!福田総理が真宗大谷派の葬儀に参列した!!!」と云う記事が出る為にちょっと気合を入れんとアカンな。
 葬儀だって立派な宗教儀式である。別に習俗でも、風習でも、風俗でもない。

 ちなみに『だんじり祭り』も立派な宗教行事なんだが、私はだんじりが大好きなので参加しまっせ。まあ、『見に行く』っちゅう形での参加やけど。今日も練習中のだんじり囃子を聞いたんやけど、やっぱり血が騒ぐ。
 排他的、原理主義はキライやし、それが宗教行事である事ぐらいは大切にしとかんと岸城神社に申し訳ない。
 違う宗教やからいうて、その宗教を大切にしておられる人がいるんだから、その事を無視したら沖縄の聖地の前に鳥居を立てたり、アイヌ民族の聖地にダムを造る行為と何ら変わりはない。
 マイノリティーの宗教・信仰だけを大切にする運動論は大キライ。
 マイノリティーの宗教・信仰にだけ礼を尽くして、マジョリティーの宗教・信仰に対しては礼を尽くさないのは、『宗教』に対して失礼だ。だから、伝統宗教は習俗、風習になり、それ等は『宗教行事でない』とか云うおかしな憲法改正の議論につながるんだ。