坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

私たちは自分にこだわる(by積水ハウスのCM)

2007年09月01日 | 坊主の家計簿
 9月1日

 雑費  缶コーヒー        120円
     嫌韓流3巻        999円
     そば茶5         490円
 外食  そば           189円
     発泡酒          175円
     オリーブ牛        280円

 合計              2253円
 9月累計            2253円

【右翼なんてパーだし、理論もないし、排外主義者で、時代遅れだと思っているだろう。ならば、なおのことマスコミに登場させたらいい。見ている国民が「馬鹿らしい。これじゃーダメだ」と率直に判断を下してくれるだろう。】(鈴木邦男『天皇制の論じ方』101ページより)

 昨日、寝る前に少しだけ2ちゃんねるの『積水ハウス差別発言訴訟』に関するスレッドを観てて、ふと上記の言葉を思い出した。
 昨日の所用でも「今頃2ちゃんねるで祭りが始まってるのとちゃいます?」と言ったし、やっぱり気になったので。
 当然、鈴木邦男氏を始めとして論理的な右翼も多くいる。論理的でない左翼がいるのと同じく、右翼にもそういう人達がいるだけの話である。

 っちゅうことで、2ちゃんねるで仕入れた情報で『嫌韓流3巻』を購入。ちゃんと積水ハウスの事も徐文平さんの事も載ってて、自分で買いながら「ミーハーやのぉ。。。」と思うのだが(笑)
 徐文平さんの訴訟に関しては上記ニュースソースの通りに和解が決まった。31日に和解が決まって、28日に発売だし、和解が決まった今、作者がどう考えているのかを少し知りたい気もするのだが。

 差別は穢れではない。差別される側も穢れではないし、差別する側も穢れではない。
 差別意識なんぞ誰にでもある。あって『当然の事』である。
 例えば、在日コリアンの人達の中でも「日本人は」等という。『日本人』だって色々いる。一概に決めつけて『日本人」としての人格などあり得ない。
 女性が「男は暴力的である」とかでも同じ。『男』だって色々いる。
 単なる差別・偏見である。
 社会制度だけの問題なら、仏教徒なんぞ要らんし。仏教徒には仏教徒としての差別・偏見に対する取り組み方がある。『仏教』っちゅう信仰があるわけなんだから。
 
 話がそれた。
 仮に徐文平さんがネット上で云われているような人権ヤクザだとする。解決金は30万である。
 え~。。。時給を1000円として300時間。多分、私が直接知っている(見ている)だけでも、徐文平さんは100時間ぐらいは裁判に関して動いている。多くの資料や、郵送費等の経費もある。直接『動く』場合には交通費等もある。店等ではそこの料金もかかる。それら色々な経費があり、また、私が直接知っている(見ている)だけでも100時間ぐらいある。
 効率の悪いヤクザやのぉ(笑)当然、私が見てない部分の方が多いから、時給ナンボの人権ヤクザやねん(笑)

 差別発言は穢れではない。誰だってしてしまう行為である。だから、指摘されたら謝ればいいだけの話である。「あ、私の偏見でしたか。指摘して呉れてありがとう。傷つけてしまってごめんね」等と。
 謝罪して許してくれなければ、つまり相手が人権ヤクザなら、逆に脅迫罪で告訴すればエエだけの話ではないのか?

 関連して思い出したのだが、大峰山の麓住民は源淳子氏達を人権侵害で告訴すればエエのではないのか。学者やインテリなんぞの論理で生の生活している人達を傷つけてイイ論理なんぞ、人権もクソもないやろ。

 と、また話がそれた。
 しゃて、今回の裁判では積水ハウスが支援をした。まあ、大企業だし、大企業としての社会的責任なんだろう。現時点の裁判費用はざっと解決金の数倍である。私にとっては無茶苦茶高額だが、積水ハウスにしたら安いもんだろう。
 そして、得た利益はデカイと思う。ただ、この場合の『利益』とは直接金に結びつくとは思えないが、それでも大企業である。大企業が社員が仕事中に受けた被害に対しての責任をとったわけでんな。
 その反響は大きかった。テレビや、新聞、雑誌等で報道されたわけだ。単なる差別事件ではなく『積水ハウスが支援した』だからである。
 逆(?)の意味での反響も多かった。私も色々とネットを検索して見たのだが。
 まあ、多くは

 【右翼なんてパーだし、理論もないし、排外主義者で、時代遅れだと思っているだろう。ならば、なおのことマスコミに登場させたらいい。見ている国民が「馬鹿らしい。これじゃーダメだ」と率直に判断を下してくれるだろう。】(鈴木邦男『天皇制の論じ方』101ページより)

 でんな。
 企業は利益を追求する為にあるんだろうし、それに関連しての『大企業としての社会的責任』である。
 いわゆるネット右翼が積水ハウスや、徐文平さんをバッシングしようが、「積水ハウスで家を買わない」と云おうが、書こうが、大した影響はない。それ以上に裁判費用等にかかった経費よりも遥かに大きな社会的信頼を積水ハウスは勝ち取ったわけだ。いわゆるネット右翼の人達は、その片棒を担いだわけでんな。積水ハウスはネット右翼に感謝しないといけない。

 日本の憲法だろうが、国連だろうが、『差別』に関してはうるさい。学校でもそうでんな。宗教団体でも多くはそうだろう。
 そういう中で積水ハウスは企業として英断を下したわけだ。直接売り上げに結びつくとは思えないが、それでも企業イメージは当然の如くアップする。企業イメージをアップする為にそれぞれの企業がクイック募金等の『広告』を打ち出している事から考えると非常に効率的に企業イメージをアップ出来たわけやね。
 まあ、最近、不祥事があったらしいが(笑)

 後は被告、つまり積水ハウスにとっては『お客様』との関係だと思う。
 積水ハウスと被告との関係がどうなっているのかは知らないが、仮に切れていたとしても『元お客様』である。社員が仕事中の差別事件だから、企業として支援する事は当然だったとしても、相手はやはり『お客様』である。また、この裁判になるにいたっては多くの誤解があったわけだし。
 積水ハウスは企業としてやはり『社員がお客様を訴えた』という責任をとるべきではないだろうか。
 それには当然、徐文平さんは関係ない。あくまでも個人同士の民事裁判だったわけだし。この事で徐文平さんが責任を取らされる筋合いは全くない。ただ、積水ハウスは『社員』の徐文平さんを支援した。で、今回和解に至った。
 次は『お客様』に対しての支援ではないのか。「差別事件を起こすような客は要らん」とは大企業では通じないだろう。あくまでも『どんなお客様であっても』という姿勢が大事なのではないのか?
 
 当然の如く、多くのマスコミにこの裁判は報道された。その事によってネット上でも話題になった。
 いわゆるネット右翼の人達以外の報道は、基本的に徐文平さん側、積水ハウス側に立っての報道であった。被告はある意味『穢れ』になった。『差別発言をした酷い人』みたいな事になった。
 『被告』と呼んでいるが、徐文平さんが名前を出しているにも関わらず、つまり名前を出せない状況下にある。本名を出せない状況下にある。「差別発言をした悪い人」みたいなイメージが、当然の如く多くにある。よって仕方がない状況下にある。
 けど、差別意識なんぞ誰にでもある(はず)だし、私は『被告』がそれ程『悪い人』には思えない。色々と資料を読ませて頂いて、この裁判に関しては当事者でないのにも関わらずかなり詳しい。その中での判断としてそう感じる。

 徐文平さんは『本名』である。しかし、『被告』は『被告』である。決して『本名』ではない。『本名』を出せない状況下にある。

 積水ハウスは社員である徐文平さんを本名として雇い、ハングル併記の名刺を許した。詳しく知らんが、自分所の社員がどんな名刺を使っているくらいは把握しているだろう、きっと。
 次は『お客様』ではないのか?
 この裁判に少し関わらせて頂いて、ずっと感じていたのだが、『被告」はどんな気持ちだったんだろう。どんな気持ちで裁判の報道を見ていたのだろう?私ならまず間違いなく心を凍らせる。頑なになる。報道されればされる程頑なになる。「俺がそんなに悪い事をしたんか!」って頑なになる。
 で、和解の報道である。多分、『しぶしぶ』であった事は想像に難くない。昨日から多くのマスコミでまた和解の報道が流された。『被告』はどういう気持ちでその報道を見ていたのだろうか?決してハッピーではないはずだ。勝手な想像だが。

 積水ハウスは企業としてそういう『お客様』をどうするのだろうか?『悪人』にしたままで放置するのか?
 それとも、例えば、徐文平さんに対して裁判費用を支援した様に、『お客様』に対して裁判費用の全額を支援するという方法もあると思うのだが。また、社長、あるいは、役員自ら『お客様』に対して挨拶に行く。決して謝罪ではなく、挨拶に行く。
 「今回はうちの社員との間で色々とありましたが、これからもよろしく御願い致します」と。

 裁判は和解で終わった。つまり徐文平さんと『お客様』とのトラブルは終わったのだ。
 次は、積水ハウスが『企業』として、『お客様』との直接関係を修復する時である。

 私の一番の理想は、徐文平さんの担当範囲であったのか知らんが、徐文平さんが『元被告のお客様』の所に仕事しに行く事である。「あの時は色々ありましたな」と、仕事が終わった後に一緒に酒なんぞを酌み交わす事である。
 それが企業の社会的責任である。それが出来れば、積水ハウスは企業として『感動』を生み出す事が出来る。『社員』も『お客様』も見捨てなかった企業として。
 まあ、売り上げには直接関係ないんだろうが。。。

 差別は『狩る』ものではない。『出会う為』のものだ。それが糾弾だと思う。
 ということで、積水ハウスが支援した裁判は和解決着したが、あくまでも『裁判』だけの話である。
 きっとマスコミにも載らないだろうが、本当の『関係修復』はここから始まる。

 ちなみに私は徐文平さんとは親しいが別に『どちら側』の立場に立っているわけでは当然ない。私は私の立場がある。別に『元被告』に嫌われようが、徐文平さんに嫌われようが、ネット右翼に嫌われようが関係ない。私には私の立場がある。あくまでも『怨親平等』という教えがある。