5月4日
雑費 栄養ドリンク10 498円
レンタル3 540円
外食 からあげ定食 750円
食類 豆腐 120円
合計 1908円
5月累計 4285円
レンタルは
リリイ・シュシュのすべて
花とアリス
カナリア
お参り先の床の間にヘルメットが置いてあった。バイク用じゃなく、工事現場とかで使うやつ。棒とタオルも置いてあって「なんですか?」と聞いたら、「兄ちゃん知らんのか?子どもの日やんけ!」と60ぐらいのオッちゃんに云われた。
「子どもの日って鎧兜ですやん」って言ったら、「アホか?そんなもんで世界同時革命が出来ると思てるのか?♪立て餓えたる者よ~」
いや、ゲバ棒では世界同時革命は出来んぞ。赤軍の武力でも無理やぞ。中核派革命軍でも無理やんけ。やるのなら『選挙』でっせ。体制を倒すには選挙しかおまへんで。天皇制廃止も選挙しかおまへんで。
「何を、貴様は国家の手先か!体制の奴隷か!犬か!」
「オッさんこそ脳味噌腐ってるんと違うんか?我々人民には選挙制度という与えられた革命の一票があり、その『票』こそだけが唯一確実な銃弾になるのだ。貴様のような古ボケた暴力主義者の革命が人類の歴史を間違わせて来たのだ!自己批判せよ!」
と、まあ、毎度の嘘話しなんだが。。。
連休からの睡眠調整がいまだに調整つかなくて、「今日は夕寝をせんと早く寝よ」だったのだが失敗。夕寝、っちゅうか、ほぼ昼夜逆転現象で夕寝がメインに今日もなってもうてやな。。。
『リリイ・シュシュのすべて』を今日は観た。
理由は単純で『蒼井優』だ。しかし、スタートから80分まで延々と蒼井優ちゃんは出て来ない。出て来てもあの時代の蒼井優ちゃんは今程キラキラしてなくてやな。。。まあ、自然体でエエ感じの芝居はしてはるのだが。
中学生時代。一言でいうなら『痛かった時代』か。
当然今も変わらん。変わらず気分で生きているし、気分に支配されている。青臭く、甘っちょろい。
ただ、慣れた。一言、慣れた。最近喧嘩なんぞしてないし。意見が違うとか、気に入らない、っちゅう事を批判出来るようになったし、それ以前に慣れた。
中学時代は出来ひんかったなぁ。。。それでも小学生時代に比べると大人しくなったのだが、でもやっぱし喧嘩ばっかりしてた記憶がある。
ほんの些細な事に心を痛め傷つき、痛かった。見栄もツッパリも変わっていないかも知れないが、でも、あの時代に比べると年老いた分だけ慣れた。
「私はここに居るの。」
そう叫びたくて、
これを書いているのかも知れない。
だったっけ?『リリイ・シュシュのすべて』という映画はそんな言葉で終わる。
当然、映画監督は私より年上だし、この言葉を書いたのは誰か知らないが、選んだのは監督だろう。結構老獪な言葉だし。
中学生時代なら暴れたり、不良になったりする事で「伝えたり」するのだろうけど。
子どもの日。
鎧兜で戦場に行く人はいない。というか「行けない」。鎧兜と刀で戦場には出掛けられない。
でも、元々は戦場に行く為の道具である。
国民投票法案がらみで『成人』が18歳になるかも解らないらしい。国民投票が18からなら普通選挙も18からになり、ついでに酒、タバコ、成人式も18歳で。
と云う事は加護ちゃんはどうなるのだ?『未成年』でタバコを吸って仕事をなくした加護ちゃんはどうなるのだ?
共同体のルールを破った事は確かだが、アホ臭い。
『子供』はいつも利用される。
『大人』の好みで調教される。
軍国少年に育てられたり、全共闘学生に育てられたり。
「私はここに居るの。」
そう叫びたくて、
これを書いているのかも知れない。
イラクでシンナーを吸っていると高遠菜穂子がやってくる。
歌舞伎町だけじゃなく、ミナミでもウロウロしてると夜回り先生がやってくる。
「きゃー!辞めて!私は私なの!」
その時代にとって都合の善い『よゐこ』。
親の好み、国の好み。
奪われて奪われて、略奪される。犯され続ける。
「私はここに居るの。」
そう叫びたくて、
これを書いているのかも知れない。
『子供』からの名告り。人間としての叫び。
雑費 栄養ドリンク10 498円
レンタル3 540円
外食 からあげ定食 750円
食類 豆腐 120円
合計 1908円
5月累計 4285円
レンタルは
リリイ・シュシュのすべて
花とアリス
カナリア
お参り先の床の間にヘルメットが置いてあった。バイク用じゃなく、工事現場とかで使うやつ。棒とタオルも置いてあって「なんですか?」と聞いたら、「兄ちゃん知らんのか?子どもの日やんけ!」と60ぐらいのオッちゃんに云われた。
「子どもの日って鎧兜ですやん」って言ったら、「アホか?そんなもんで世界同時革命が出来ると思てるのか?♪立て餓えたる者よ~」
いや、ゲバ棒では世界同時革命は出来んぞ。赤軍の武力でも無理やぞ。中核派革命軍でも無理やんけ。やるのなら『選挙』でっせ。体制を倒すには選挙しかおまへんで。天皇制廃止も選挙しかおまへんで。
「何を、貴様は国家の手先か!体制の奴隷か!犬か!」
「オッさんこそ脳味噌腐ってるんと違うんか?我々人民には選挙制度という与えられた革命の一票があり、その『票』こそだけが唯一確実な銃弾になるのだ。貴様のような古ボケた暴力主義者の革命が人類の歴史を間違わせて来たのだ!自己批判せよ!」
と、まあ、毎度の嘘話しなんだが。。。
連休からの睡眠調整がいまだに調整つかなくて、「今日は夕寝をせんと早く寝よ」だったのだが失敗。夕寝、っちゅうか、ほぼ昼夜逆転現象で夕寝がメインに今日もなってもうてやな。。。
『リリイ・シュシュのすべて』を今日は観た。
理由は単純で『蒼井優』だ。しかし、スタートから80分まで延々と蒼井優ちゃんは出て来ない。出て来てもあの時代の蒼井優ちゃんは今程キラキラしてなくてやな。。。まあ、自然体でエエ感じの芝居はしてはるのだが。
中学生時代。一言でいうなら『痛かった時代』か。
当然今も変わらん。変わらず気分で生きているし、気分に支配されている。青臭く、甘っちょろい。
ただ、慣れた。一言、慣れた。最近喧嘩なんぞしてないし。意見が違うとか、気に入らない、っちゅう事を批判出来るようになったし、それ以前に慣れた。
中学時代は出来ひんかったなぁ。。。それでも小学生時代に比べると大人しくなったのだが、でもやっぱし喧嘩ばっかりしてた記憶がある。
ほんの些細な事に心を痛め傷つき、痛かった。見栄もツッパリも変わっていないかも知れないが、でも、あの時代に比べると年老いた分だけ慣れた。
「私はここに居るの。」
そう叫びたくて、
これを書いているのかも知れない。
だったっけ?『リリイ・シュシュのすべて』という映画はそんな言葉で終わる。
当然、映画監督は私より年上だし、この言葉を書いたのは誰か知らないが、選んだのは監督だろう。結構老獪な言葉だし。
中学生時代なら暴れたり、不良になったりする事で「伝えたり」するのだろうけど。
子どもの日。
鎧兜で戦場に行く人はいない。というか「行けない」。鎧兜と刀で戦場には出掛けられない。
でも、元々は戦場に行く為の道具である。
国民投票法案がらみで『成人』が18歳になるかも解らないらしい。国民投票が18からなら普通選挙も18からになり、ついでに酒、タバコ、成人式も18歳で。
と云う事は加護ちゃんはどうなるのだ?『未成年』でタバコを吸って仕事をなくした加護ちゃんはどうなるのだ?
共同体のルールを破った事は確かだが、アホ臭い。
『子供』はいつも利用される。
『大人』の好みで調教される。
軍国少年に育てられたり、全共闘学生に育てられたり。
「私はここに居るの。」
そう叫びたくて、
これを書いているのかも知れない。
イラクでシンナーを吸っていると高遠菜穂子がやってくる。
歌舞伎町だけじゃなく、ミナミでもウロウロしてると夜回り先生がやってくる。
「きゃー!辞めて!私は私なの!」
その時代にとって都合の善い『よゐこ』。
親の好み、国の好み。
奪われて奪われて、略奪される。犯され続ける。
「私はここに居るの。」
そう叫びたくて、
これを書いているのかも知れない。
『子供』からの名告り。人間としての叫び。