坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

私は「うつ依存症」の女

2007年01月17日 | 坊主の家計簿
 1月17日

 雑費     缶ココア            120円
 食類     スパークリングワイン      498円
        法蓮草              88円
        大根              100円
        しょうが            100円
        きぬあげ            100円
        ミンチ肉            266円
        タマネギ            100円
        バナナ             100円
        芋焼酎            1725円
        タマゴ             198円
        インスタント麺2         96円
 薬局     エスカップ12         628円
 衣類     黒タートルネック2      2000円
        ジップアップセーター     1290円
 レンタル   セブンソード          105円
        キングコング          105円
        アララトの聖母         105円
        私は「うつ依存症」の女     105円
 
 合計                    7829円
 1月累計                136361円

 男はカレーだ!
 と、台所の端っこで余った人参があったのでカレーを作る。
 人参をミキサーで、ガガガガ!!!っと。大根もガガガガ!!!と。適当なもんでっせ。

 なんとなくビデオ気分だったので借りに行く。今日は『私は「うつ依存症」の女』っちゅうのを観てた。
 身辺に居てる鬱病野郎を思い出しながら観てたんだが、観ながら飲んでたクリスマス売れ残りのスパークリングワインが脳天直撃してます。要するに眠い。。。焼酎飲んどきゃよかった。。。
 
 映画のキーワードの一つが『よゐこ』
 エ~、イングリッシュデハ、ナンッチュウンデスカ?アハ?
 親からの期待。
 自分が自分に対する期待。
 そんな幻想の『期待』に押し殺される主人公。

 カレーを作りながら思う。
 「ああ、幸せになりたいよ~」
 「仏教徒やろ!」と、自分で突っ込みを入れるんだが、んなもん染み付いてまっせ。

   五濁増のしるしには
   この世の道俗ことごとく
   外儀は仏教のすがたにて
   内心外道を帰敬せり
   (親鸞)

 っちゅうやつでっせ。

 「幸せになりたい」
 それは「私の幸せ」厳密に云うのなら「私だけの幸せ」
 
 「大学に受かりますように(意訳・誰かが落ちますように)」
 みたいなもんでっせ。

 恐らく、みんながそれぞれに幸せを願っている。

 「みんなの幸せ」
 それは「私だけの幸せ」とは一致しない。
 
 当然、「みんなの幸せ」が、「日本人だけの幸せ」ではない。「人間だけの幸せ」でもない。

【穢を捨て浄を欣い、行に迷い信に惑い、心昏く識寡なく、悪重く障多きもの、特に如来の発遣を仰ぎ、必ず最勝の直道に帰して、専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ。ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられなば、かえってまた曠劫を径歴せん。誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知りぬ。ここをもって、聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。】(親鸞)

【諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、これがこよなき幸せである。】(スッパニパータ『こよなき幸せ』より)

 
 今日観た『私は「うつ依存症」の女』で知ったんだが、ルーリードはガキの頃(から?)躁鬱病だったらしい。
 映画の中の事だからホントかどうかは知らない。病んでる事は音で解るが。
 まあ、その病んでる音が好きで大ファンなんだが、映画の中の主人公もルーリードにハマる。部屋の壁に私も持ってたベルベットのポスターを貼ってたし。
 彼女はルーリードの病気を転換した音に関心を抱く。彼女と同じ症状にありながらも、その病気を見事に天才的に音に転換して多くの人を感動させた事に関心を抱く。で、彼女は文章を書く事で表現方法を見出そうとする。
 同時に、それは彼女のプレッシャーの一つにもなる。

 映画のラストシーンで彼女は文章を書いている。ただ、以前とは違って、自分を追い込む事無く書いている。

 私は『よゐこ』である。
 いや、これでも大分とマシになって来たのだが、それでも最近貰ったメールの中で「あなたは徹底して物事を考える」みたいな事が書いてあって、私的には「んだら、若かった時はどないやねん?」なんだが、私的にも、私を古くから知ってくれている人からも「丸くなった」と云われ、私も「おお。焼肉親父になって来ましたで」なんだが、まだ『よゐこ』なんだろう。

 『よゐこ』は夢を観る。
 『夢』は現実ではない。
 理想の自分、理想の社会、で『苦』を再生産し続ける。

 存在の故郷。それぞれが、ひとつひとつの輝きをもった世界。
 そこに還る為に生きているのか、それとも、そこから離れようとして生きているのか。

 とは云えやな、やっぱし、『私だけの幸せ』は欲しい。
 恋人も欲しい、金も欲しい。地位も名誉も欲しい。。。
 煩悩が泣いている。