坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『思い』

2007年01月14日 | 坊主の家計簿
 1月14日

 雑費  缶ミルクティー         120円
 外食  かきあげ蕎麦          326円
 食類  鶏肉              200円

 合計                  646円
 1月累計             118320円

 遊び疲れて、眠いっす。。。
 『思い』が傷付くと、『思い通り』にしようと思う。思い通りにならなかった分以上に、思いを叶えようとする。
 「やられたら、やりかえせ!」
 っちゅうヤツでんな。
 こういうのをきっと『流転』と云うのだと感じる。

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 「かれは、われを罵った。かれはわれを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息むことがない。
 「かれは、われを罵った。かれはわれを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。ーーーこのことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。
 (ダンマパダより)

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 mixiにはずっとこの言葉をはってある。
 このブログにも省略してはってある。
 んがやな、やっぱり『思い』が傷付くと、やり返そうとしてしまうわけでやな。。。飲みに行って遊びすぎや、っちゅうねん。。。

 【「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。】
 私は『今』『ここに』生きている。
 よって、酔って、私は間違って居る。ちょっと、気分に酔い過ぎやな。

 当然、これは『実存』が傷つけられる、のとは違う。実存が傷つけられるとは、まあ、差別なんだが、差別=『偏見』『思い込み』であってやな、『思い』が傷ついて「やられたら、やりかえせ!」の私自身が差別の再構築をしている要因の一つの人間でしかなく、そういう私が偏見・無明を作り出している張本人だったりする。
 
 当然、私の思いが傷ついているので、こういう私を誇りたいと、要するに他人を差別したいと、これまた自然になるわけでなや、ホンマにやっかいな存在やで。

 誤解を生じる表現方法なんだろうが、『よゐこ社会』は差別隠しなのではないのか?
 『臭いものには蓋をしろ。』と。ハンセン病の隔離なんぞまさにそれなんだろうが、隔離してしまう。差別を『見つめようとしない』。
 一見、綺麗だ。隔離してしまえば。
 「ほら、私って綺麗でしょ!」と、差別を見つめなければ。
 なんか、そういう社会全体の流れになって来ている様な感じをすごく受ける。 
 『臭いものには蓋をしろ』で、自分を隠す。それが出来る『よゐこ』、出来ない『悪い子』。
 よゐこは社会や自分で褒めたたえ居場所を与えられ『悪い子』を差別する。
 『悪い子』は、自分で自分を差別する。やり返そうとする。気分を晴らそうとする。

 小さい。小さい。『思い』は小さい。
 ミナミは好きだ。永年居てるし、『思い』がある。
 地元も、好きな街も、親しい人も、知ってる顔も、『思い』。

 『思い』が傷つき、数日間荒れてます。その中で新たに『思い』、小さい私に出会った。
 引き蘢るで。鬱にもなるで。差別もするで。健全無差別主義で人も見下すで。そりゃ。 
 鎖国もしまっせ。愛国心も言いまっせ。そりゃ。
 プライド高く、我が身を守ってナンボの世界か。『思い』に従い、『思い』を立てれば。

 事実は『思い』の外からやってくる。
 まあ、共に生きてるわけやし、独りで生きてないし、自分自身かって、『思い』とは離れてるし。
 けどやなぁ、やっぱし、『思い通り』の小さい世界は居心地エエもんでっせ。。。『苦悩の旧里はすてがたく』っちゅうヤツでっせ。。。ぅぅぅぅぅ。。。