坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

彼岸の中日

2006年09月23日 | 坊主の家計簿
 9月23日

 雑費   缶コーヒー        120円
      回転寿司         420円

 合計                540円
 9月累計            56128円

 今日は彼岸の中日5-7ヤクルト。しかも山本昌で負けてやんの。ヒャヒャヒャ!!!
 阪神が11対2で巨人に勝ったから4ゲーム差か。別に奇跡は信じていないが、万が一っちゅう事もある。しかもこれからの中日は優勝を目前にしているワケであって緊張しないわけがなく、逆に追う側の阪神は背水の陣である。背水の陣とは当然諸葛孔明の兵法であると昔コーエーの本で学んだ記憶があるのだが、諸葛も藤山寛美も同じ松竹であり、阪神の監督である藤山寛美は当然諸葛直伝の背水の陣の兵法を学んで居るはずなので圧倒的に有利である。
 はずなんだが、彼岸の中日は法要が昼の部もあって、夜の部が終わって帰って来て空きっ腹に飲んだビールが脳天直撃やなぁ。。。
 まあ、明日は法要は夜の部だけやし、お参りが終わってから夜の部までに仮眠も出来るやろうし、まあええか。
 
 っちゅう事で『小乗と大乗』。昼は15分ちょいで仏教教団の歩みから竜樹、天親を例に引きつつも、結局真宗仏教がいかに釈尊の精神を受け継いでいるのかをスーパー早口でホワイトボード書き殴りの、ついでにパンパンしまくり。とりあえず熱意だけは伝わったか。。。
 夜の部は少しゆったりしながら、でも変わらず親鸞がいかに釈尊の大乗仏教精神を受け継いでいるのかを、これまた途中から早口になりながら喋る。 
 「釈尊の大乗仏教精神?」という批判もあるだろうが、釈尊こそが大乗仏教精神だろうに。

【元来、釈尊はその教えを説くには、すべての階級の人びとがよく理解し得るために、それぞれの地方の民衆の日常語としての俗語を用いることを命ぜられ、自らも古代マガダ語という俗語を使用された。そしてバラモン教の聖典に用いられているような高級な梵語は知識階級にだけ理解されて、下層民には解らないものであるから、仏教を語るに梵語を用いることを禁じ、かならずその地方地方の民衆語をもって説きべきであると厳命された。】(水野弘元『仏教要語の基礎知識』49ページより)

 こういう精神の流れが釈尊の願いであり、大乗ではないのか?
 それぞれの時代時代の限界性はあるにしても願いではないのか?

 必ずしも願いを受け継ぐ為には言葉通りではない場合も出て来る。大衆部と長老部の分裂などもそうだろう。その願いの精神を受け継ぐ事と、言葉通りとでは時代や個々において若干の違いは出て来て当たり前ではないのか?それが仏教=大乗ではないのか?

 と云う事で、こういう日記では好き勝手に緊張せずに書きなぐることが出来るのだが、ああいう場で喋ると緊張しまくりの小さい小さい自分が、小さいくせに、いや、『小さいからこそ』か、大きく見せようとして緊張して小さい自分を、等身大の自分で居れずに見栄っぱりでプライドが高く傲慢な私か。

 「そのままで来い。構わんから、そのまま来い」と、どっかで聞いた記憶がある。
 それは
 「身なりを整えてから来い」とか
 「大きく成ってから来い」とは全然違う。

 当然「健常者になってから」とか
 「男になってから」とか
 であろうはずがない。