坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『美しい国へ』

2006年09月20日 | 坊主の家計簿
 9月20日

 食類   たまご       198円
      納豆3        78円
      くうしん菜     128円
      ちくわ        88円
      むきエビ      163円

 合計             655円
 9月累計         49979円

【それでは、アーナンダよ。ヴァッジ人が、しばしば会議を開き、会議には多くの人々が参集する間は、ヴァッジ人には繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。】(岩波本『大パリニッバーナ経』11ページより)

 タイのどこが仏教国やねん。。。と、「国王の意思ではないか?」と噂されるタイの軍事クーデターのニュースを観ながら思う。
 ついでながら、タイにはタイに伝わった仏教があり、日本には日本に伝わった仏教があり、またそれぞれの地で歴史を重ねて来た経緯がある。当たり前ながら。で、それは当然同じ『仏教』の名であっても違う『現われ方』である。

【偏見や伝承の学問や戒律や誓いや思想や、これらに依存して(他の説を)蔑視し、(自己の学説の)断定的結論に立って喜びながら、「反対者は愚人である、無能な奴だ」という。
 反対者を〈愚者〉であると見なすとともに、自己を〈真理に達した人〉であるという。かれはみずから自分を〈真理に達した人〉であると称しながら、他人を蔑視し、そのように語る。
 かれは過った妄見を以てみたされ、驕慢によって狂い、自分は完全なものであると思いをなし、みずからの心のうちでは自分を賢者だと自認している。かれのその見解は、(かれによれば)そのように完全なものだからである。】(岩波本『スッタニパータ』195ページより)

 タイ仏教の観点から日本仏教を決めつける事は修行が足りんのではないのか?逆もしかり。


 と云う事でわが日本。
 『日本は天皇を中心とする神の国である』(森喜朗)
 という認識はやはり分析力としては正しい。
 だが、その日本は、アイヌ民族を侵略&同化し、琉球民族を侵略&同化する日本である。また、旧植民地時代に日本に来られた方々も居る。当然、旧来云われて来た『日本人』ではない。また当然な話だが天皇は侵略者ではないのか?大昔に天皇に侵略された方々の末裔も当然居るのではないのか?
 仮に天皇家が万世一系であるとして、そういう血統を崇め奉らなければならないいわれは何処にあるのか?『日本人のアイデンティティ』等とも聞くが、その『日本人』も変わって来ているのであり、また、天皇は神主であり、宗教者であり、仏教徒である私にとっては異教徒である。
 天皇は『天皇教』として独立の一宗教法人として、天皇家を崇め奉る人達と共に『万世一系』や『男系男子の染色体』にこだわればイイだけの話だ。ちなみに天皇家が使う内延費は3億2400万であるらしいが、阪神の今岡の年俸は3億3000万らしい。天皇家は今岡より年収が少なかったりするし、え~。。。例えば仮に天皇&皇太子に結婚式や、葬儀等の冠婚葬祭をやってもらった場合に幾ら包むのであろうか?また『天皇教』として組織にした場合に一体幾ら稼ぎ出す事が出来るのであろうか?

 『美しき日本』と云う。その場合の『美しき』とは『穢れ』の部分を視ない『美しさ』なのであろうか?
 例えば『自主憲法』と云う。その場合の『自主憲法』とはあくまでも『進駐軍の意思でなく、日本人の意思によって作り出された憲法』とか云う意味なんだろうが、なら、何故アメリカの都合のイイ様な形での『自主憲法』なのだ?
 あるいは『愛国心』と云う。その場合の『国』とは当然わが日本なんだろうが、その場合なら当然アイヌ民族の自主独立性を認めた上での話でないとおかしな話だし、また琉球民族や、旧植民地出身者の自主独立性を認めた上での話でないとおかしい。『日本人』の全てでなく、日本人の大多数かも知れないが『一部』である『日本民族』だけの愛国心はおかしい。また、『日本民族』と云っても様々な宗教をもたれた方々が居られるのであり、例えば神道や、仏教のみが『習俗』であると云う事は、日本の未来を否定した事ではないのか?
 
 とは云え、憲法改正に向けた準備については別に批判しない。主権在民であり、少し問題があるとはいえ選挙制度があり、そこから選び出された国会議員が居て、国民投票があるのなら、それは結局『国民』の議論が肝心要であり、安易な左翼が云う『多くの国民は愚民である』はおかしい。
 安倍内閣で『国民』が問われる事は、それこそ『国家と何か?』であり、『国民とは何か?』であり、『日本とは何か?』である。

 『美しい』と云う言葉は、若干の抵抗は残るが、そうキライではない。ただ、『穢れ』を排除した上での『美』なら、それは不完全な『美』でしかないのでないだろうか?本当の『美』とは『美醜』を包み込むような『美』であり、それは死を目前に控えた方々や、宗教をやっておられる方々や、あるいは神谷美恵子が確か書いてあったと思うのだがハンセン病患者等の隔離された方々が感じた様な『すべての存在がきらびやかに輝く』ようなものでしかなく、例えば先の大戦でもって日本が犯した戦争の都合の悪い部分を隠す事ではない。都合の悪い部分を隠す事は『美しい日本』を信じていないだけの話だけではないのか?日本は様々な罪があり、それも含めた上での『日本』ではないのか?『美しい日本』ではないのか?
 
 よって、私の『美しい日本』を酔った頭で思いつくままに。

 一 旧植民地下であった方々に参政権を与えるべきである。同様に日本に一定期間定住し税金を納めた方々に参政権を認めない事は『美しい日本』ではない。
 
 一 ホームレス状態にある方々や、様々な事情でもって生活苦に陥っている状態にある方々にあり助けを求めておられる方々を見放す事は『美しい日本』ではない。
 
 一 仮に『国際貢献』という名目や、『民主主義を伝道する』などの様々な大義名分があったといえども他国の人達を殺すような歩みを始める事は『美しい日本』ではない。
 
 一 様々な人生の歩みにより他人の殺してしまった方々に対して死刑をいう刑罰でもってその人を『殺す』法制度がある事はは『美しい日本』ではない。
 
 一 様々な思想・宗教をもたれた方々が居られる事を無視して、特定の思想・宗教だけを保護する事は『美しい日本』ではない。
 
 一 世界には様々な事情でもって貧困や病苦に悩まされている方々がおられる事を無視して、自国だけの安穏を願う事は『美しい日本』ではない。
 
 一 日本人には様々な性別がありながら、日本の象徴としての天皇に男系男子しか認めない事は『美しい日本』ではない。
 
 一 全ての日本人は国民として平等であるのならば天皇制はあきらかな矛盾であり、『民』と『皇』が分かれているような国は『美しい日本』ではない。

 【雑草という名前の草は無い】(昭和天皇裕仁)
 
 天皇は民間に降りて国民として、一宗教者として活躍すべきだ。

 
 どうでもエエけど、小泉氏は、最後で「ころころ」って言葉を噛みよったなぁ。。。