坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『伝統』は小乗ではないのか?

2006年09月22日 | 坊主の家計簿
 9月22日

 雑費   タバコ           300円
      缶コーヒー         120円
      エスカップ12       628円
      パラデントエース      524円
 外食   かきあげ蕎麦        326円
      豚ステーキ肉        376円

 合計                2274円
 9月累計             55588円

 御彼岸法要初日。
 の前に時間が余ったので「辛い時は夢の中だ!」と讃岐に思いを馳せる。っちゅうか、『恐るべきさぬきうどん』の麺通団が新しい本を出していないかとか諸々探る。
 麺通団団長の日記をみっけ。
【何か、日本は北も南も、島から侵略されているみたいだ。みんなが無関心でいたら、そのうち本土も侵略が始まるのか? というか、もう精神の侵略はとっくに始まっているのかもしれないが。】(http://www.mentsu-dan.com/diary/bn2006_09.htmlの2006年9月14日(木)の日記より)
 確かにそうである。例えば香川県では『うどん』と云う食べ物を好んで食す。最近でも『UDON』という映画にまでなったくらいの力を持って居る食べ物だ。また、それ等を地元の情報誌で書き立て、本にしたグループもあるという。
 あえて説明する必要もないが、『うどん』と云う食べ物は舶来の食べ物である。また香川県では『さぬきうどんは弘法大師が広めた』との伝説もある。弘法大師空海は舶来の仏教僧である。よって気を付けなければならない。私たち日本人、『稲穂の国』と呼ばれ、神武天皇の別名である『穂穂手見』が証明するように私たち日本人=ヤマト民族は米食の国民であり、また『石』というように、その国で米がどれだけ取れるか?を大事にして来た民族であり、『年貢』という税金も米換算であった民族である。
 よって、『うどん』等と云う様なものを好んで食し、また情報誌や映画などで騒ぎ立てるような売国奴は民族の精神を舶来に売り渡した人達である。

 まあ、勝谷の影響かなんか知らんが、ついでに香川県知事に立候補するのかどうか知らんが、ついでに映画『UDON』もフジサンケイだし、まあ、解らんでもないんだが。。。ちと無理がある。時代を止めるのならいざ知らず。
 と、コメントの続きみたいなもの。

 で、彼岸法要。
 え~。。。脳味噌パニック。
 まあ、若干の予想はしてたのだが、住職より「明日感話する?」との事。まあ、機会を与えて貰えるのは幸いだし当然引き受ける。
 で、彼岸法要前に住職と役員さんが何やら話してた。何やら小乗仏教と大乗仏教の違いについてらしい。
 と云う事で明日の感話は『小乗仏教と大乗仏教』と云うテーマで感話でも何でもなくやってしまえ!って思って復習してたのだが、10分ちょいの昼と夜の2回だし、また何にしぼろうかを迷って迷ってしゃーない。

 まず『小乗』とは差別用語と云っていいのでは?と感じる。小乗は『ヒーナヤーナ』であり、『ヒーナ』とは『捨てられた』とか『劣った』とかの意味らしい。私は少なくとも大乗仏教の精神から『小乗』っちゅう云い方はあかんやろ、と感じる。
 よっしゃ、これで一つ行くか。
 ただ、当時、部派仏教時代において、部派仏教が死ぬまで伝道の旅を続けた釈尊の精神を忘却していた事は確かなんだろう。
 また、釈尊は
【元来、釈尊はその教えを説くには、すべての階級の人びとがよく理解し得るために、それぞれの地方の民衆の日常語としての俗語を用いることを命ぜられ、自らも古代マガダ語という俗語を使用された。そしてバラモン経の聖典に用いられているような高級な梵語は知識階級にだけ理解されて、下層民には解らないものであるから、仏教を語るに梵語を用いることを禁じ、かならずその地方地方の民衆語をもって説くべきであると厳命された。】(水野弘元『仏教要語の基礎知識』より)
 え~。。。原典を知らないのだが、感話やしエエか。
 で、何かの本に書いてあったのだが(本棚になおしたし、酔っぱらってわからん)、大乗も梵語を使うようになり、また、大乗も難解な学説を称えるようになり、大乗も『在家主義』から『出家主義』に変わって行った。
 じゃ~ん!じゃじゃじゃじゃ~ん!と、法然・親鸞の出番とあいなるわけだ。
 と云う事でやはり大乗の仏塔信仰か。

 とは云え、非常に混乱しているのだが、しかも眠らんとあかんしやな。
 大乗仏教運動が何故『小乗』と呼んだのか?そしてその精神からして私たち大乗仏教徒は『小乗』と蔑むクセに果たして『大乗』なのか?仮に真宗門徒と云う座に甘んじているのならそれは小乗である。別に上座部=小乗ではない。当然厳密に云うと『小乗』とは説一切有部を殆ど指し示す批判の言葉らしいし、真宗門徒としての大乗精神から云って『小乗』とは云い難いのではないのか?
 『小乗』と言い放すだけで『大乗』と云う言葉は真宗門徒としてなりたつのか?
 『救われた』と云う。陥る。

 てい!てい!てい!
 あかん。全然落ち着いとらんし、知識だけは復習したけど、どうまとめて伝えたらええのかがまとまらん。
 まあ、『小乗』と云う語についてと、『大乗』と云う語についてでしよか。

 初転法輪。仏教と間寛平は『止まったら死ぬ』。