エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

夕焼

2014年05月28日 | ポエム
昨日は、今にも泣き出しそうな空であったけれど、ほんの瞬時甘粒(雨粒)が落ちるにとどまった。
なんとか持ちこたえてくれた空であった。

夕刻、淡く空が染まって初夏の夕焼けらしい色合いを見せてくれたのであった。
夕焼・・・「ゆうやけ」とも「ゆやけ」とも読む。
何とも独りよがりの俳句的読み方である。



だがしかし、作品となって文字になると、その読み方次第で俳味が深くなる。
悠久の歴史に育まれた短詩型文芸の不思議である。







「夕焼雲赤み増すほど愚かしく」







夕焼けには、不思議な魔力が内包されている。
「背信の美徳」と言うべき普遍的な魔力である。

だがしかし「逢魔ヶ時」の夕焼と言う軌跡に酔い痴れてはならない。
そこには恐るべき「陥穽(かんせい)」が潜んでいるのである。
踞(うずくま)っているのだ。

時として、そこにはおぞましき「自己保身」といった陥穽もあるのだ。
これを人は「背信的自殺行為」と称するのである。
まさしく、醜悪な陥穽なのだ。

言い換えれば、独りよがりの資本であり悪行であって人の業とは相容れもしない。
その資本は、膨れ上がっていく。
そのプロセスは、周囲のおどろおどろしたイエスマンが醸成する。
いわば「取り巻きの堕落」なのである。

そこまで言わなくても「老害」の業である。
老害の最たるものは「余人をもって替えられない」と思った瞬間、人は堕落する。
陳腐化するのである。

陳腐化には、組織の閉塞が必ず伴う。
組織が内部から瓦解する、主要な要件である。

自戒しなければ・・・なるまい。



      荒 野人